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「特別な教科 道徳」にモンモンとするアタクシ

 ご訪問ありがとうございます。ざまたかです。
今日は道徳教育について、モンモンとしていることを書きます。道徳が「特別な教科 道徳」となったのは中学校では2019年度のこと。その前から校内研修としてずっと研修を受けています。とはいえ私が実際に道徳の授業をしたり、評価したりすることは基本的にはないので、話を聞くばかりの時間です。

教科にすることで教科書ができました。
(今までは副読本でした)
評価もつけることになりました。
「読む道徳から考え議論する道徳へ」と内容が変化し、その背後にはいじめ防止という目的もうたわれています。
ざっくりとした理解ですが、変化としてはだいたいこんな感じです。現場はもちろん「どう教えるの?」「評価はどうするの?」と不安なことがいっぱいだったので、数年かけて研修した学校がたくさんあったと思います。ちなみに、道徳地区公開講座などという実践も平成10年から続いていています。いじめが社会問題となり、「道徳でいのちの尊さを教えるべき」となった頃からの流れです。保護者として意見交換会に参加された方もいらっしゃるのではないでしょうか。

私がモンモンとするのは、「教科書で教える道徳」です。そもそもモンモンが深くなったのは映画「教育と愛国」を観たせいもあります。

(この映画、怖いです。怖いの苦手なのに、、、。教育関係の皆様には一度観ていただきたくははありますが、なまじっかなホラーより怖いです。)
教科書を使って心情理解をし、それぞれの感想や考えを話し合う、そのための題材ではあるのですが、心情は理解させるけど国語とは違うとか、多様な意見はあってしかるべきだけど「道徳的」といわれる価値観以外はなんとなく「ダメ」と評価される感じとかがどうにもすっきりしなくて。研修ではとても丁寧に解説されるけど、結局のところ発問の仕方やICTの使い方など、授業のテクニックやどの発言を拾ってどう評価するかなどの評価の方法論な気がしてしまい、どんどん自分からは遠いものになってしまっています。それも現場としては差し迫って大事なことだけど、そこじゃないよね?

教科になる前の道徳は、すべての教科や生活の中で扱うものでした。
副読本はありましたが、その時々のニュースや新聞などから自由に題材を拾ってくることも推奨されていました。自由度が高かったし、授業者の思いも伝わりやすかったはずです。そして、教科化前は評価はされませんでした。心の中を他人に評価されるなんて(そしてそれが義務教育期間中続くなんて)ナンセンスだし、評価されるとなればよい評価がもらえるようにふるまう子はたくさんいるのではないでしょうか。(もちろん「特別な教科 道徳」の評価は5段階評価ではなく、文章ですが。)教科の中や生活の中で道徳的なふるまいを見たり聞いたり人の気持ちに触れたりすることは教科書で教えることよりも劣るとは思えないのです。

今、社会で起こっていること
戦争だったり少数民族への差別的な扱いだったり、
都立高校の男女別の募集がなくなったことだったり、
いじめの事件のことだったり、
もっと身近なことでいえば「みんなが平等に楽しめる体育祭」について考えてみるとか、
考えるべきことや考えてみたら面白そうなことはたくさんあるのに。
なんで教科書なんだろう?
教科書は毎日の生活に追いついているのだろうか?
ああ、モンモン。

私だったら映画を観て話し合ったり、
新聞の記事を読んで話したりしたいな。
国会中継を見るのとかもいいかもな。
そうやって毎日の生活の中に落とし込みたいな。
でももうしばらくモンモンとする研修を受け続けることになるんだろうなあ、、、。






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