【ヨガ哲学】"私"とは?

先日、ポーズの難易度が"私にとって”高めのヨガをして色々と思うことがありました。
簡単にできること、何も体感できないことばかり続けていても成長しないのでなるべく慣れないポーズの練習を取り入れているのです。


練習中「できないー!」と思って悲しくなったり、痛みが生じて不安になる瞬間がありました。
皆さんもヨガのポーズ中にそんなことありませんか?ヨガ以外でも、仕事や家事で悲しみや不安に出会うはず。
でも、それは一時的に"本来の自分の姿を忘れているだけ"というのがヨガの考えなのです。
本来の自分は、永遠で、何にも束縛されない、限界のない喜びの中にいます。生まれる事もなく、死ぬ事もないのです。

ヨガの教科書では、誰もが恐怖を感じている時、本来の自分自身を忘れていて心や身体の状態を自分自身だと思い、一体化してしまっている状態だと言います。
それは、古いインドの言葉でAvidya といい無知という意味です。
私達は自分というものがこの身体やマインドそのものだと思うから辛いのです。

ヨガの聖典ヨーガスートラではこれが悟りを妨げるもののひとつだと説明しています。

よく「私はこういう人間だ」とか、「私は〜〜が得意、好きだ」等と言いますが、それはヨガで言うところの”私”ではないのです。

なのでポーズで恐怖を感じたのは”私”ではなく、本当の私の所有する心と身体でした。
これを体現するには瞑想を習慣にして、感情を他人事のように観る練習をすること。冷静でいる練習をすること。本質を知る練習をすること。アーサナの中でも自分を観察すること。


この前はバックベンド/大車輪(子供の頃体育でやった?ブリッジ)を5呼吸×3セットやりました。

1回目、『”私には”もう少し練習が必要』とマインドが言い途中で諦めました。2回目の途中に心身の痛みに引っ張られたことに気づき、3回目は最後までキープできました。

同じ機能を持って生まれた人間ができたことを私達がができないはずがない。
でも人間はやりたくないことに対してできない理由を探すことに脳がとってもクリエイティブに働くそう。

それを知っていれば、自分を責めることも減りますね。
そして本当の自分を見つけられたら可能性が広がります!

私もまだまだヨガの練習で学んでいる身です。私も皆さんも共に成長できたらと思います。


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Tantan

ヨガインストラクター�/アーユルヴェーダセラピスト 2019年に神奈川から沖縄に移住 主にヨガ・アーユルヴェーダ・沖縄生活・エコについて発信 環境と動物に優しい暮らしを模索中

ヨガ哲学

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