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胎盤との出会い

「胎盤は厄介者だ」と産婦人科医の父がよく言ってました。どうも癒着胎盤(絨毛膜絨毛が子宮筋層まで入り込む状態)は術中に大量出血を起こしかねないらしく、そのまま子宮全摘になるケースも少なくないそうです。よっぽどの厄介者かと思いきや、スムーズなお産だとそのまま手で剥がれ(カイザーはもちろん、自然分娩でも)、焼却され、in utero まで命綱だったのにも関わらず、「そんな臓器あったっけ」という成人が殆どです。おそらく今これをご覧になっている方も胎盤が実際どんな形、色、触感、大きさ、などわからない方が多いのではないでしょうか。この投稿では私が胎盤と出会えた経緯を簡単に書いていこうかと思います。ほぼ自分用ではありますが、ご興味のある方はぜひお付き合いください。

幼い頃はよく「産婦人科医の息子」としてからかわれました。クラスメイトの御父兄の多くが医師であったため、勤務医、開業医という線引きはもちろん、診療科カーストもありました。その中でトップはやはり開業の循環器内科や整形外科、中堅ですと眼科や皮膚科、そして下位に内科、胃腸科、産婦人科がありました。その上、男性産婦人科医というのが思春期のお坊ちゃんたちには面白おかしかったらしく、それらの理由で自然と私はクラスの「エリート」(学力、運動能力、ルックス等に依存しない)たちとは馴染めず、時にはそのストレスを父にぶつけてしまったこともありました。絶対に婦人科系には進まない、そう心を決めました。

もともと生物学には興味があったので、大学では発生分子生物学を専攻しました。2年次のカリキュラムでは発生学の授業が必修だったのですが、当時は生化学系を好んでいたため、あまり最初は乗り気ではありませんでした。それでも体軸形成がモルフォゲンの濃度勾配によって定まったり、山中因子を分化済みの細胞で発現させることによって多能性を獲得できること(iPS細胞)だったりなどを学んでいくうちに、生命の始まりに興味をだんだんと持ち始めました。それに加え、教授もとてもお人好しで、質問にも丁寧に答えてくださったので毎回欠かさず授業に出席していました。一度、私の質問をわざわざ論文の著者にまでコンタクトしてきいてくださったりして、なんだか科学界に認められた気分でとても嬉しかったです。気づけば、それはあんなにも憎んでいた父の専門領域に無意識に近づいていました。

そのままその教授の研究室に入っても良かったのですが、配属希望のメールを送っても返事が返ってきませんでした(私のことを気に入ってくれた割に。もともと機械音痴だったのでおそらくメールを見てなかったんでしょう)。モデル生物で学ぶ発生学ももちろん魅力的だったのですが、どうしてもバックグラウンド的に人間に興味があったため、人間の発生を学びたい、そういう思いで附属病院の産婦人科研究室を調べ、現在も所属しているR.ミラー教授の研究室に入りました。彼と出会えたことで私は胎盤に出会うことができました。病院内でも胎盤フリークと言われている教授は胎盤界ではとても著名で(そもそも分母が小さいような気もしますが)、日本にも何度も学会発表や日本胎盤学会のサポートをしてきたすごい方です。見た目は品と学のある優しいおじいちゃんです。ですが高齢のためか、物忘れがひどく、毎日のように同じことを繰り返し言ってあげないといけないので少し面倒です。それはさておき、当研究室はHIVやGd, Cdなどといったテラトゲンの灌流実験や、私が担当しているブラックカーボン(ナノ粒子)による胎盤への影響・病理などを日々研究しています。教授は臨床もしており、妊娠中に抗生剤を使用している方や鉛中毒患者などの対応もしています。

初めての胎盤は既にフォルマリンで固定された胎盤でした。胎児面は青紫っぽく、母体面は赤褐色でゴツゴツしていました。それを病理検査用に生検を取り、組織標本を作っていました(当時は薄切ができなかったのでパラフィンブロックを作るところまでやっていました)。そのときは1年で約5000の胎盤を処理しなければいけない年で、毎週水・金曜日には45個の胎盤がFedExで届けられれば、私はそれを処理していました。最初は血で濁ったフォルマリンを触るのも嫌でしたが、そんなことは言ってられず、気づけば慣れてしまいました。それにしても胎盤というのはまさに十人十色で、一つ一つ色や形(副胎盤が付いているものからピカチュウの形をしたものまで)、艶や血管の模様なども変わってきます。ちなみに私が好きなのは楕円形で少し青白く(ホルマリン固定済み)、血管がぷっくりと浮かび上がっているものです。なかなかそのような美形には出会えませんが、5000もの胎盤を見ていれば少なからず数個はありました。処理をしているときに、臍帯を胎児面から切り離さないといけないのですが、そのときに粘性のある血が少し出てくるところを見るのも作業をしていた時の楽しみでした。ですが、臍帯の断面というのはなんとも恐ろしい見た目をしておりまして(臍動脈2本、臍静脈1本がニコちゃんマークのように配列している)、今でも見るのは好きではありません。
それからは分娩室・オペ室から排出されたばかりの胎盤(Fresh placentaと言っています)を担当できるようになり、今となっては胎盤一個を処理する時間と玉ねぎ一個をみじん切りする時間がほぼ同じになってきています。

何はともあれ、胎盤というのはまさに「命の綱」であり、本当に魅力的な臓器です。産科医の多くも知らない(というか、すぐに捨ててしまうくらい興味がない)胎盤は胎児の未来を予測できる非常に研究のしがいがあるブラックボックスです。今回はそれとの出会いをお話ししました。次回はもう少し詳しく私の研究内容を話したいと思います。

乱筆乱文お許しください。それではまたお会いしましょう。


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