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「信楽タヌキ」はどう「動く」? 【第一回 映画『パプリカ』】

「信楽タヌキ」は置物である。

だから動くこともなければ、喋ることもない。魂も(おそらく)ない。
一言で言えば、不動の存在……現実世界では。

だが、映像の中ではどうだろう。
例えばアニメ、例えばCG。作品によっては、置物である不動の「信楽タヌキ」にも魂が込められ、自由自在に画面の中をはしゃぎ踊り回るのではないだろうか。

躍動する「信楽タヌキ」。
ただ、そこに一点疑問が生じる。

「信楽タヌキ」ってどうやって動くの??


本来不動の置物であるし、手足が稼働するわけではない。
「信楽タヌキ」はバリエーションも豊富であるから、それ自体様々な表情やポージングを見せてくれるが、いざ動くとなると「決まったイメージ」というのは確立されていない気がする。

何が言いたいかと言えば、

映像作品によって「信楽タヌキ」の扱われ方、それに由来する動き方は大きく異なっているのではないだろうか、ということだ。

そこで、映像作品を主軸に、「信楽タヌキ」の動き方を観察していきたい。

目的は二つ。

一つは、「信楽タヌキ」『扱われ方の多様性』を現実の置物とは異なる角度から明らかにしてみたい。
現実世界においても、縁起物として扱われたり、園芸の一部とされてしまったり、神様として祀られたり、「信楽タヌキ」の扱われ方はとにかく多様である。
これが映像作品の場合は、愉快なキャラとなるのか、魂のない無機物として扱われるのか、沈黙の象徴として扱われるのか、そんなところを追ってみたい。

もう一つは、上記に由来する映像作品中の「信楽タヌキ」の『動き方の多様性』を見てみたい。
あくまで無機物としてぎこちなく動くのか、これでもかと言うほど手足をばたつかせて走り回るのか。
作品ごとの、「信楽タヌキ」の動きに目を向けてみたい。

ということで、第一回は今敏監督のアニメ作品『パプリカ』。
登場する「信楽タヌキ」をこれでもかというくらい観察していきます!!

構成
1.『パプリカ』って?
2.作品における「信楽タヌキ」の登場シーン
3.作中の「信楽タヌキ」の特徴と動き
4.まとめと考察

1.『パプリカ』って?

映画『パプリカ』は2007年に公開されたアニメーション作品。
監督は今敏、原作は筒井康隆。

夢と現実の混在、侵食がテーマとして語られる作品で、他人と夢を共有できる、夢に入り込める「DCミニ」という機器を中心に物語が展開されていく。

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大まかなストーリーは割愛させていただくが、作中では「夢の世界」を様々な手法で表現している。

普段我々が見るような夢……支離滅裂で急展開、時系列もバラバラで、でも見ている本人は整合性を感じるような夢の感覚を、『パプリカ』では感じられる。

では「夢の世界」の表現手法とはなんぞという話だが、私は以下の4つがそれに当たるのではないかと考えてみた。

①支離滅裂なセリフ
例:作中のセリフ「絢爛たる紙吹雪は鳥居をくぐり周波数を同じくするポストと冷蔵庫は先鋒を司れ!賞味期限を気にする無頼の輩は花電車の進む道にさながらシミとなってはばかることはない!」

②一見脈絡のない場面展開
③非現実的な体験

サーカスの観客かと思えばステージの檻に閉じ込められていたり、突然電車の中へ場面が切り替わったりといった急な場面の転換。また、空を飛ぶ、人魚に変身する、他人のTシャツの景色に入り込むなどといった非現実的な体験

④非現実的な存在の登場
人形やロボット、家電製品や仏像などといった無機物が動き出し、列を成してパレードを始める。

物語の中で、こうした表現が「夢の世界」を演出する。そしてこれらが現実世界にも表出していくことで、夢の侵食が始まる。

そんな中で、「信楽タヌキ」はといえば④非現実的な存在として登場する。

※ちなみに①のセリフについては今敏監督のブログで詳しく解説されていて非常に面白いので、ぜひご一読あれ。

2.「信楽タヌキ」の登場シーン

上記では④非現実的な存在と一括りにまとめてしまっているが、映像で登場するのは家電製品、置物、オモチャ、標本やマネキン、仏像、ぬいぐるみや人形などに細分化される。

いずれも共通するのは、現実世界において「自らの意思で動くはずがないもの」ということ。作中ではそれら存在が、隊列を形成して動き、愉快なパレードが形成される。

(ちなみに挿入歌である平沢進の『パレード』はオススメの一曲。エンディングで流れる『白虎野の娘』も名曲。ぜひ、平沢進を聞こう!)

今回は「信楽タヌキ」の動きを見るにあたって、下記の今敏監督のブログ記事を参考とした。

パレードは「捨てられたものたちが帰ってくる」というイメージです。
宗教性やらまだまだ使える家電や家具、あるいはまた人間が成長するに従って捨ててきてしまうものたち、たとえば好きだったオモチャとか衣服、それとか初恋の人とか、苦い失恋の想い出とか、成就できずに捨て去ってきた夢や希望……脱線ばっかりしてんじゃねえよ、というツッコミは無しにしていただくとして、そうした捨ててきてしまったものたちがパレードをなして夢の路を戻ってくる、と。
捨てられたものたちだって自分たちが存在したことを、忘れないでもらいたいでしょう、きっと。

作中におけるパレードは、捨てられたもの、忘れられたものが帰ってくるイメージだという。

それは人々に物理的に捨てられたものはもちろん、時代を経て薄れていった信仰心や、過去に栄えていた廃墟といったものも該当する。

だから家電製品やオモチャ、動物の置物や仏像などがパレードに登場している。

そんな中で、「信楽タヌキ」もパレードに馳せ参じている。


↑こんな感じ(『パプリカ』作中より)

こちらも上記の記事を参照すると、

家具家電のカットの次が「カエルたちの楽団が浮かれたように行進の後から、招き猫や狸の置物などなどが続く」カット。こちらは「動物やそれに準ずる作り物を中心に」という考え方。
「動物やそれに準ずる作り物」とか「人間に近い作り物」は、よく遊園地とかテーマパークなんかで見かけられるものですよね。特にバブル華やかなりし頃に、雨後の竹の子よろしく日本全国各地に醜悪なテーマパークがたくさん作られました。そしてその多くが、いまや野ざらしの廃墟となって打ち捨てられている。もの悲しくもたいへん滑稽な廃墟。そうした捨てられたテーマパークの忘れられた作りものたちが隊列をなして帰ってくる、というイメージです。

動物とそれに準ずる作り物」の一つとして、タヌキはパレードに加わっている。

タヌキは廃墟、捨てられたテーマパークの「忘れられた作り物たち」の一員であり、生物として登場するわけでないのは着目すべきポイントかもしれない。

そんな背景も踏まえ、次は「信楽タヌキ」はどんな姿で、どんな動きをしているかを見ていきたい。

3.「信楽タヌキ」の特徴と動き

作中において、「信楽タヌキ」が登場するシーンは何度もあるが、
同じ映像が流れることも少なくないため、特徴的なカットを抽出してみた。

①「動物やそれに準ずる作り物を中心に」映るカット(『パプリカ』作中より)


②劇場に雪崩れ込んでくるカット(『パプリカ』作中より)

③ロボ時田を筆頭に劇場スクリーンへ突撃するカット(『パプリカ』作中より)

④夢の侵食により現実にパレードが現れるカット(『パプリカ』作中より)

【姿形の特徴】
まず、タヌキの姿形に着目してみると、タヌキは大きく4パターン確認できた。

①④:パレードを歩く比較的新しく可愛らしいタヌキ(手招きスタイルもあり)
②:劇場に侵入してくる、カット①④より古めのタヌキ
③:スクリーンへ突進する、カット②よりもさらに古いタヌキ
(その他:パレードを俯瞰した際に確認できた信楽焼のタヌキっぽくないタヌキ

作品において、タヌキ自体の古さや姿には別段こだわりはないように感じられる。
(場面に応じて複数種類のタヌキを描いている)

ただ、強いて言えば②で現れたタヌキが、直後③のようなさらに古い時代のタヌキへと変わってしまった理由は非常に気になるところ。


【動き方の特徴】
次に、本記事の本題でもある、作中での「信楽タヌキ」の動きを見てみたい。

参考して取り上げたいのはこちら。

左右にゆらゆら(ガタガタorぬるぬる?)動く(『パプリカ』作中より)


ボヨンボヨン動く(『パプリカ』作中より)

カットによってタヌキの姿は異なれど、動き方は共通していた。

●表情は変わらず、手足も固定
●左右に「揺れる」、上下に「跳ねる」といったイメージで動き、前に進む

例えるのなら、スライムやゴムボールのような動きだろうか。

階段を降りる描写などでは上下にボヨンボヨンと揺れる動きをするため、多少アニメとして動かしやすいようにアレンジはされているけれども、「置物」としてのイメージを崩さない動き方をしているよう感じられた。

これはパレードで隣を歩く招き猫や恐竜、カエルの人形も共通している。
いずれも「動物」ではなく、あくまで「動き出した"モノ"たち」としてぎこちなく動いているのである。


4.まとめと考察

ここまで作品の背景と「信楽タヌキ」の登場シーンや意味合い、そして動き方に目を向けてきた。

これら情報を踏まえ、改めて以下の2点について考えてみたい。


【作中における「信楽タヌキ」の『扱われ方』】

『パプリカ』における「信楽タヌキ」は、夢の世界で現れる「パレード」の一員として登場する。

今敏監督によれば、この「パレード」は捨てられたもの、忘れられたものが帰ってくる様を表現しているといい、「信楽タヌキ」は捨てられたテーマパークの帰還を想起させるものとして「動物とそれに準ずる作り物」の隊列に加わっている。

この背景から考えられるのは、
本作における「信楽タヌキ」は、タヌキ(動物や妖怪、信仰対象問わず)としてではなく、あくまで「作り物の一つ」という扱いを受けていること。

パレードの隊員に魂があるのかどうかはさておき、登場する「信楽タヌキ」は命ある存在ではなく、過去を想起させる「モノ」の一つにすぎない。

【作中における「信楽タヌキ」の『動き方』】

それゆえ、「信楽タヌキ」の動き方も、上記の扱いが反映された動きとなっている。

表情は変わらず、手足も動かない。揺れたり跳ねたりしながら前進する。
そんなモノの域を超えない、モノらしい動き方が、「信楽タヌキ」や隣の招き猫、カエルが「作り物」であることを強調している。

ちなみに少し話は逸れるが、鎧兜や、同じ動物モチーフのクマのぬいぐるみなどは、パレードの中でも比較的激しく、生物的な動きをしていた。(どちらも手足を動かし二足歩行)

ただ、こちらはモノ本来の可動範囲の問題なのかもしれない。
タヌキや招き猫は置物だから手足が可動しないが、ぬいぐるみなどはある程度手足をブラブラと動かすことができる。

パレードの一員として「動き出す」上でも、現実世界の可動範囲、ひいてはイメージを逸脱しない範囲で動く、といった制約があるのかもしれない。

最後に

改めて今までの話をまとめると、

①『パプリカ』における「信楽タヌキ」は「作り物」として扱われている
②それゆえ、手足や表情が動かない、モノらしい動きで表現されている。

「作り物」の代表として、「作り物」らしく動くのである。

ただ、ここまで映画を見てみてもう一つ疑問が浮かんだ。


●なぜ「信楽タヌキ」が忘れられたものを想起させるモノとして登場したの?

廃れたテーマパークをイメージさせる動物たちの一員として登場するタヌキだが、この隊列の中にタヌキが加えられている理由は詳しく考えてみたいところ。

・「動物orそれに準ずるモノ」という括りで、作り物のタヌキが選ばれた?
・タヌキの見た目が「古さ」や「歴史」を感じさせるため選ばれた?
・仏像同様、現代で薄れた信仰心を表すものとしてタヌキと招き猫が選ばれた?

作品において、そもそも「信楽タヌキ」が選ばれた理由については、今後他の作品を見ていく中でも浮かぶ疑問かもしれない。

そしてその理由を探っていくことは、いずれ作者が持つ「信楽タヌキ」のイメージについて迫ることに繋げられるかもしれない……。(たぶん)


ということで、今回はここまで。

ちなみに9/28(土)、9/29(日)のマニアフェスタでは、
今回のような【映像作品における「信楽タヌキ」の動き方】をまとめた調査本を出す予定です!

ただ、平成狸合戦ぽんぽこや有頂天家族、繰繰れ! コックリさんで「信楽タヌキ」が登場するのは確認できている一方、
その他の作品は未だなかなか見つけられていない現状……。

なので、もし映像作品で「信楽タヌキ」を見たことがある方がいれば、ぜひ教えていただけると有り難いです!!


文系出身なのに科学者的な響きに憧れて「研究所」に改名した、けいおうタヌキ研究所のTwitterアカウントはこちら



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