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あなたともっと別の空気を


「今度の土曜、空いてる?」

あなたからも、私からも。
その約束をする度に私は、金曜日の夜にいつもより念入りに女の支度をする。自分からじゃ見えない背中の私に、少し心配を残しながら。ただ、あの人がそんなものに興味がないことを、私は知っている。でも、分からないでしょ。私が気を抜いた日に限って、あの人の興味がその女の部分に向くかもしれないから。

『ああ、らしくないな』

そんな事を考えながら、私はベランダを開く。湿度と熱気に溢れた部屋の空気を入れ替えて、今夜という風の記憶を肺に吸い込む。いつも変わらない湿度と熱気と違って、その夜風は二つとない記憶と時間を、いつも私の頬に教えるのだ。

出会いは学生時代の先輩に連れられて行った飲み会だった。なぜ参加することになったのかは、今はもう覚えていない。その飲み会は別にどうってことない、なんなら「早く帰りたいなぁ」と思うような飲み会だった。今となれば、その席に「たまたま彼が居合わせていた」、ということなのだが。その時の私にとって、彼は特別目を引くような存在では無かった。

その最初の夜の詳細は、一体どうだっただろう。思い出したいのに、今ではもう思い出せない。ただ、初めて彼の部屋に入った時、洗面台のコップに放り込まれた二つのハブラシを、私は意味もなく眺めていた。そんな彼の手は意外にも、私の想像よりもいくらか優しく、そっと私の肌を撫でた。

「カノジョ、大丈夫?」

ベランダから控え目に入って来る風に物足りなさを感じた。もう少しカーテンを揺らして、火照った私の頬を撫でてくれたらいいのに。シャワーから出て来た彼は、「なにが?」とスマホに視線を落としたまま問いを返してきた。「なんでもない」。私は問いかけるのをやめた。なぜか彼に女々しいと思われることが嫌だった。

待ち合わせはいつだって夜だった。最初の夜を終えた二回目の夜、居酒屋で一緒にご飯を食べようと待ち合わせた私達は、食事の間中なぜかとても居心地の悪い思いをするはめになった。互いが互いを探り合うような、何を話すかすっかり迷ってしまうような、そんな空気が流れていた。
ただその夜、湿度と熱気を入れ替える頃になってから私達は、居心地のいい空気を過ごしていると感じられるようになった。少なくとも私は、特別やる気のあるわけじゃない彼との会話を、意外と好きだなと感じていた。その夜、ベランダから入り込む風には少しだけ、雨の匂いが混じっていた。

「…胸張ってる?」
「そうかも」

私の胸に手を当てた彼の動きが止まる。案外、彼はそういった変化に敏感だった。時には「痩せた?」と、無自覚に私を喜ばせた。
私の周期を悟った彼は、その後暫くの間私に連絡してくることはない。初めのころ、周期を終えた私から連絡を入れたとき、私はひどく恥じらいを覚えた。だって私たちは、ただそれだけの関係だったからだ。私は、その時ばかりは彼から連絡を入れさせたくて、見られているかどうか怪しいtwitterに、こっそりメッセージを忍ばせた。

『さて、復活したのでラーメンを』

二日後、彼はしっかりと私のメッセージを読み取った。意外と見てくれているものだなと感じてから、私はtwitterの投稿を意識するようになった。けれど、彼が意識してくれるのはその期間中だけのようだった。だって、ベランダの空気に当たりながら話す私の日常に、彼は初めて聞くような反応を示したから。その話は、前回の夜の翌日に投稿した何気ないひとコマだった。
それを知って、私は少なからずショックを受けた。そんな自分に、私は気付いてしまった。その日ベランダから入り込んだ夜風は、新たな熱気を入れ込むような生温さがあった。

生活感のない彼のtwitterからは、時折カノジョのツイートが上がって来ていた。彼がカノジョの投稿をリツイートしているのだ。それも、いいねまで付けて。しょうもない男。
そんなしょうもない男に、いつの間にか「特別」を求める様になった私は、彼にも勝るしょうもない女だった。

ただ私の位置づけは、ある意味では優越感の持てる立ち位置だった。ただそれだけの関係は、「それだけ」では済まない「どこにでもある関係」より特別に思えた。そう、ただのカノジョでしかない、あの子より。

なんて思えたのは、自分の気持ちに気付いて最初の頃だけだった。
彼との夜の匂いが増える度に、そうじゃない匂いを私は欲した。見上げれば目を細めなければならないような太陽の下で、その日のアスファルトの匂いを嗅いでみたい。いや、ただ居酒屋の端の席で、どこの誰とも知れない人間の煙草の匂いを感じるのもいい。
私は、緊張よりも悪戯心に胸を弾ませ、スマホを取った。日付をまたぐような時間だった。

『今度の土曜日、空いてる?』

ふふふ、と、思わず声が出た。寝返りを打って、腰のだるさを誤魔化して、感じる湿り気から目を逸らした。「既読」の文字が付く。彼の普段あまり変わらない表情の変化を、私は勝手に想像した。駆け引きの一度も無かったラインの小部屋で、彼の返信の遅さに私の胸はドキドキと鳴った。

『空いてるけど、どうした?』

どうした?なんて。初めて聞いてくるじゃない。仕方ないか、私達はただ「それだけの関係」なのだから。

『ご飯食べに行こうよ』

送った自分の文章を眺めて、自分が何かを動かそうとしている事を実感する。「既読」の文字が付いた。悪戯心からのドキドキは、その後なかなか返って来ない彼からの返信に、心地悪いドキドキに変わった。

ただ「それだけの関係」は、ただの「それだけの関係」でなければならない。熱気と快楽だけを求める関係に、心など入り込ませてはならないのだ。
彼の行動に意味があると感じてはいけない。彼のそれはただのマナーであり、その夜を成立させるための演出なのだ。
それらを心得ていなければ、しょうもない女となった私は、夜を過ごすたび自分を傷付ける。その現実から切り離される夜は、私にとっても都合のいい夜なのだから。

ただ欲した。あの人との「匂い」を。「結婚するから終わりにしよう」なんて、そう簡単に言わせたくなくなった。ろくに教えもしないあなたの日常に、私の影を見てしまえばいいと思った。

『いいよ』

随分待たされて、返って来た言葉はそれだけだった。女々しい自分の不安的感情に、私は必死で見ないふりをした。自分の部屋の中で、私は固く口元を引き締めた。

『なに食べたい?』
『なんでもいいよ』
『彼女といつもどこに行くの?』

そして私は、次の土曜日の夜、『彼がよく彼女と利用する居酒屋』へ連れて行ってもらうことになった。

なんの話しをしよう。彼が一体どんなことに興味を持っているのか、私にはイマイチ分からない。彼がリツイートするバントの音楽は、私の肌には合わなかった。彼は私の日常になど興味はないだろう。だからって、私は他に彼を喜ばせる話題を持ち合わせちゃいなかった。
ただ「それだけの関係」のくせに、いっちょまえに私達の中でカノジョの名前は禁句だった。どちらが決めた?忘れちゃったな。

『この前言ってたご飯屋さん、今度一緒に行こうか』

優しい人。ただごめんなさい、今は物足りない。

ベランダを開けて、外から入る夜風に頬を撫でられる。青く静まり返った夜に、遠い工業団地の灯りが光る。私はスマホを構えて、その夜を撮った。私の撮る写真は、いつだって見えている景色をそのまま残してはくれなかった。あるはずもない化学製品の匂いを、その夜私は懸命に探した。

自分の部屋で感じる風はいつも、私に物足りなさを感じさせた。



雑談:
「惜しくない湿度と、熱気」
https://note.mu/tanukihama/n/na85ed9ffd126
の、アンサー品の様なモノですが、書くの爆裂難しかった。菅田将暉『キスだけで feat. あいみょん』を聞きながら、「いやなんか違うんだよ!違うモンになっちまってんだよ!」と、一体誰に対してのか分からん言い訳をずっと叫びながら書き上げました。
さあ、あぐらを掻いているのは一体どちらなのでしょう。




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ここまで読んでくださった上にサポートまで頂けようものなら、僕はローソンのプレミアムロールケーキを食べます。

え、やだ、嬉しい。
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ただの全力青色フリーター。フィクションであり誰かのノンフィクションの様なモノ、激しい独言から記録まで。
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