【技術職を具体例とした】仕事が特定の人に膨大に降りかかる問題について

仕事がある特定の人に膨大に降りかかる問題は、およそ多くの分野の会社できっと起こっているのだろう、という予想をしております。

そのプロセスが、職種ごとに同じであるかどうかは不明なのですが、ここでは僕の経験上、理系関係では具体的にどういうプロセスを辿っているかを一例として示しておこうと思います。

理系需要の増加とその要求の変化

今日では、理系人材に対する需要が高くなっていることは、何となく生きていると感じております。
私のように零細企業に勤めていると、様々な会社での人手不足や技術屋不足の話を小耳に挟みます。
これは、大学で研究していた時と同じ現象であります。

また、昨今はSTEN人材なる言葉まであるようです。
下記サイトから、この定義を引用します。
どうやら、多くの国々で、技術を扱う人の深刻な人口不足を案じており、アメリカなどは国費を多額投入してこのSTEM人材の育成に乗り出したということであります。


「Science」(科学)、「Technology」(技術)、「Engineering 」(工学)、「Mathematics」(数学)の頭文字を取った造語で、これらを統合的に学ぶ機会を子どもたちに提供することで、次世代を担う人材に育てようという教育方針です。


https://diamond.jp/articles/-/114334


さて、この話には続きありまして、さらなる要求があります。

具体的には、技術開発を目的化することなく顧客ニーズや社会問題などの課題ベースで事業を進められること、そして1つの専門事業内でタコツボ化することなく、水平横断的に物事をつなげられる人材が求められています。これらの源泉となる力こそが、自主性や実行力といった課題解決力、そしてコミュニケーション力だと考えています。

ほほうー!!
これらをまとめますと、科学技術工学数学をそこそこに学び、さらに、自主性実行力課題解決力コミュニケーション力を礎に、社会や顧客の諸問題を技術で切り開くことが出来るような、水平横断的な人材を育成したい!!!

という、主張であります。

これだけ聞くと、なんと優秀な人材を欲しているのだろうか、そしてその要求の多さに未来のSTEM人材の心労が危ぶまれますw

学ぶ人達の気持ち


学ぶ方にとってしてみると、短時間で深く理系技術を習得することは難しいし、難解になればなるほど、周りに一緒にやる仲間も減ってくることでしょう。
学生時代のうちは、まだ仲間もおりますが、会社などに行きますと、いきなり仲間が減少する可能性があります。

そうなると、時には
「俺はいったい何をやっているんだ?」
といったような、問いが起こることがあるわけです。

分野も多岐に渡るし、当該分野の人が少なければ少ないほど、ひとりで悩むことも多いかもしれません。

また、より抽象度の高い技術ほど、学ぶのに精神力を使いましょう。

社会には高い能力を持った技術者が欲しいといった需要があるけれど、その育成には、メンタル面も含めて何年もかかります。

現代のように、専門分化がかなり進んできた社会では、より分野横断的な能力が求められるという需要もわかりますが、その能力を確保するためには、我々は勉強せねばなりません。
(STEM人材は、あるいは社会に出る前までの育成を主に指しているでしょうから、社会に出てからの育成という視点は別なのかもれません。)

そう、つまり、負担がマジパネーションなのです。
複雑な理系の技術をマスターするには、会社に行った後も、勉強が必須でしょうし、より高度なことをマスターしたい場合はプライベートを深く侵して勉強せねばなりません。

会社が終わってから、実験に必要な理論を学んだり、プログラミングを学んだり。。。

このような状況下で、社会の技術者はどうなるでしょう?

技術の属人化と仕事量の偏り

僕のこれまでの観察ですと、極端に技術好きな人や、人生の山あり谷ありの中で技術に対するモチベーションを失わなかった人が、突出した技術者になっていきます。
その結果、会社やその他の組織の中でも個々人における明確な技術格差が生じてしまうのです。

この現象はおそらく日本の組織の様々な場所で見受けられます。
状況がより進むと、技術が属人化して、「あの人だけが持ってるスキル」が多くなり、技術の伝達がスムーズに進みにくいといった現象も見てきました。

特に実験技術などは、事細かにマニュアルがあったとしても、それを超えた実験勘とか、様々な問題に対する対処法などがあり、かつ実験が複雑であればあるほどその難解さは増していきます。

あの人しか作れない物質とか、あの人でないと測定できない実験があるとか、今僕が所属しているアナログ回路関係の会社でも同じ状況です。

仕事が属人化するとどうなるか?と言いますと、その仕事が出来る人にしか出来ない仕事がある、ということなので、出来る人の仕事量が大幅に増えたりします。

特に小さい組織ですとそれが明確かもしれません。(大きい組織にいる人の話も伺いたいです)

僕は、大学で研究していたり、零細企業に居たり、小さい組織にしか居ませんので、よりその様を体感しています。

こうなると、出来る人にぼんぼんと仕事が降ってきて、この解析が出来るなら、もしかしてあれも出来る?とか、なって仕事が降り積もっていくわけです。

すると、出来る人がより数をこなすことになるため、よりスキルが先鋭化し、まったりしている人は、それなりにまったりし続けていることも出来るため、より技術格差が広がってしまいます。

こうした現状があるため、同じ給料を貰うなら、なるべく仕事を避けたいと思う人も出てきます。

つまり、高度STEM人材を育てても、このように労働が過酷になる可能性を垣間見てしまうと、ここまでやりたくねー、、などという力学が働いてしまう可能性があり、マジで高度な技術者を育てたいならこういう問題にも対処せねばなりません。

また、その他の要因として、人間のライフステージとモチベーションの維持う問題がありますが、今回の議題とは異なるので、機会を他に譲ります。

何にせよ、技術をやり続けるってのも、なかなか大変っすわな、、、。(と、最近よく思います)

このような現象について、何か意見がありましたら、コメントよろしくお願いいたします。



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