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『神は成長する』進捗状況(2)

日々劣化速度を増していく我が脳みそと馴れ合いながら(?)、『神は成長する』は現在400字詰め換算で(古いな)百数十枚といったところ。
そのうちのごく一部をここに転載して、自分へのゴール前鞭としておきます。



「意識世界」と「物理世界」の関係

 ここからは、一つの意識が生成する個々の世界を「意識世界」、意識世界が多重に重なり合った世界の総体を「物理世界」と呼ぶことにする。
 この思考モデルをさらに進めてみよう。
 私が生きている物理世界は、私の意識だけでなく、生命体も非生命体も含めて私が知覚できるあらゆる物質が相互に関係し合って形成している「多重構造」の世界であり、私だけの世界ではない。
 私が知覚している物理世界と、隣に住むAさんが知覚している物理世界はほとんどが重なり合っているので「似た」世界だが、違う部分もある「別の世界」である。さらにはその隣のBさんが知覚している物理世界もまた、私やAさんがいる物理世界と似ているが、完全に同じものではない。
 しかし、この三人は同じ地面の上で立ち話ができる。お互いに触れあうこともできる。だから、同じ物理世界に生きていると思い込んでいる。そう考えないと不都合だからだ。
 私の意識が生成する意識世界は、細かい模様が描かれた薄い膜のようなものだとしよう。隣のAさんの意識が生成する意識世界もまた、ほとんど同じ模様が描かれた薄い膜のようなものだ。二つの薄い膜は、物理世界の中で重なり合っている。
 二つの膜はほぼピッタリ重なり合うように見えるが、実は細部でかなりの違いもある。二人が共通して見ることができる物理世界は、それぞれの意識世界の模様が重なっている部分だけなのだが、違う模様はお互い見えないので、全体がまったく同じ物理世界だと信じている。
 そう、確かに重なっている部分だけを見れば「同じ物理世界」なのだ。
 私が死んで、私の意識が生成する意識世界(薄い膜)が消えても、Aさんは私の意識世界がなくなった物理世界を見続ける。
 
 今私の周りをうるさく飛び回っている蠅が知覚している物理世界もまた、私が知覚する物理世界と重なり合ってはいるが「別の世界」である。
 この場合は隣のAさんがいる世界とは似ても似つかないほど重なり合う部分が少ない世界であり、「同じ物理世界」に生きているとはとても言えない。
 しかし、蠅が生成する意識世界もまた、確実に一つの物理世界に組み込まれているはずである。私が認識している物理世界の中には、蠅の意識世界も重なって存在している。
 蠅の世界と蟻の世界も似ても似つかない別々の物理世界だ。蠅の物理世界は三次元だが、蟻の物理世界は限りなく二次元なのだから、重なり合う部分は極めて少ない。それでも蠅と蟻が鉢合わせすることはあるわけで、その限られた部分では両者は同じ物理世界に存在している。その光景を見ている私も同じ物理世界に存在しているが、蠅も蟻も、私の意識世界が自分たちのいる物理世界と部分的に重なっているとは認識できない。
 そうした「無限に重なり合う多重構造の世界の一つ」を、今の一瞬を生きている私は「一つの物理世界」として認識している。私が死ねばこの「一つの物理世界」は確実に消えて、無限に重なり合う多重構造の物理世界の総体が少しだけ変化する。

無限に重なり合う多重構造の物理世界

 本書の冒頭でも書いたが、あらゆる物質を構成している原子は、原子核の周りを電子が動き回っているという構造であるとされている。原子核がごま粒の大きさだとすれば、電子はごま粒よりずっと小さい。ごま粒よりずっと小さい電子が、ごま粒大の原子核から100メートルくらいの範囲内のどこかに存在している。それ以外は何もないスカスカの空間である。
 あなたも私も、原子レベルで見ればスカスカの物体のはずなのに、握手すれば手と手がすり抜けることはない。しっかりと相手の皮膚の感触や体温も伝わってくる。
 物理モデルとしては理解しがたいことなのだが、これは「電子の位置は特定できず、同時刻にいろいろな場所に存在できてしまうので、通り抜けられない膜のようなものが生じるからだ」というような説明が試みられている。
 しかしこれも、物理世界が多重構造であるとすれば、あなたの意識が生成した意識世界、私の意識が生成した意識世界、その他の生命体が生成した無数の意識世界が無数の層をなして重なっているからスカスカにならず空間がギッチリ満たされている、と想像してみることができないだろうか。「電子が同時刻にいろいろな場所に存在できるから」という説明よりは、まだイメージしやすい気がする。
 もちろんこれは私が勝手に空想しているイメージにすぎず、科学的に証明してみせろなどと言われても困るのだが、こうしたイメージの中で量子の世界を考えたほうが、「神」の謎に少しでも近づけそうな気がするのだ。

多重世界での棲み分け

 この「多重構造の世界」という考え方を、もう少し「現世」に合わせた例で説明してみたい。
 
 若いときの自分(の意識)が認識していた世界と、今の自分(の意識)が認識している世界は違っている。
 別に哲学的な意味合いを込めなくても、世界は物理的に大きく変わった。
 私は西暦1955年のある夜、母親の胎内から外に押し出され、それ以後独立した生物として68年以上生きてきたが、幸か不幸か、その数十年間における世界の変化は大変なものだった。
 子どもの頃、リモコンで巨大ロボットを操縦するとか、手のひらに収まる小さな装置で地球の裏側にいる人間と映像付きで会話するなどということは漫画や小説の世界のことであって、自分が生きている間にそんなことがあたりまえの世界になるなど夢にも思っていなかった。
 私が小学生になるまで家にテレビはなかった。中学生になるまで電話はなかった。20代後半になる頃、初めてワープロ専用機というものが登場したが、単漢字変換という漢字を1字1字個別に変換して打ち込むという代物で、使える漢字もJIS第一水準漢字しか搭載されていなかったので、例えば「贅沢」は「ぜい沢」とするしかなかった。使いものにならないので、当然、原稿は原稿用紙に手書きで書いていた。
 写真も音楽もフィルムや磁気テープなどにアナログ方式で記録するものであり、デジタルカメラ、デジタル録音はまだまだ一般化されていなかった。
 30代に入って、ようやくパソコンというものが普及し始めたが、携帯電話はまだ普及していなかった。
 こうした変化を、一般には「世界が変わった」と言うが、世界が主体となって能動的に変わったのではない。複数の意志が生成する意識世界が重なり合うことで、総体としての物理世界を変えていったのだ。
 スマホのような装置があればいいな、と思う人が潜在的にたくさんいたというだけではスマホは出現しない。それを実現するための原理を追求し、装置として製造する能力を持った人たちが現れ、実際に行動に移したことでスマホ時代は到来した。
 スマホを作り出した人たちの意識が生成した複数の意識世界が重なり合うことで、本当にスマホのある物理世界が出現した──そう考えてみることもできる。
 現在の世界は「スマホがあたりまえにある世界」だが、この同じ時代に、アマゾンの奥地には、スマホはおろかテレビもラジオも持たない狩猟採集を続けている人たちもいるかもしれない。
 彼らにとっての物理世界は、確実に私たちが今知っている物理世界とは違う。
 そんなわけはない、とあなたは反論するだろう。それはその人たちがテレビやスマホという文明の利器を知らないだけで、同じ地球上で生活していることに変わりはないではないかと。
 本当にそうだろうか?
 彼らの意識が生成する意識世界は、あなたや私の意識が生成する意識世界とは違う。彼らの意識が生成する意識世界と私たちの意識が生成する意識世界は重なり合っていても、重なる部分はあまりない。あなたが見ている物理世界と私が見ている物理世界はかなりの部分が重なり合っているが、私たちとアマゾンの奥地で狩猟採集生活を営む人たちが見ている物理世界の重なりは少ない。
 例えば、彼らにとって日本という国は存在しない。「知らない」というだけでなく、物理的に存在していない。そうした知識がないし、想像もできないのだから、存在していないのと同じではないか。
 いやいや、それは言葉上の遊びだろ。この地球上には日本という国は実際に存在している。それを自分は直接知っているし、そこで暮らしてもいる、と、あなたは言うだろう。
 しかしそれは、あなたや私が生まれてから得てきた経験から生まれた物理世界、あなたや私の意識世界が重なり合っている物理世界のことである。アマゾンの奥地に棲む彼らが棲む物理世界とは重なっていない部分のことなのだ。
 彼らには、そもそも「国」という概念がないかもしれない。その感覚のほうが物理世界の理解としては純粋だ。「国」というのは思考モデルであり、物理的な実体ではない、ともいえるのだから。
 彼らの知る世界に日本という国がなかったとしても、夜空を見上げれば同じ星や月を見ている?
 そうだろうか。
 彼らが見ている星や月は、あなたや私が見ている星や月と同じではない。
 月までの距離が約38万㎞で……などという思考モデルの介在しない月を見ているのだから、まったく「違う月」なのだ。
 もしかすると、月については、彼らのほうが私たちよりもずっと多くのことを知っているかもしれない。

世界観が違う意識世界が重なり合う物理世界

 では、同じ事柄を正反対に把握している人が生成する意識世界はどのように重なり合うのだろうか。
 例えば、私も隣のAさんも、ウクライナという国が存在していて、そこで2023年現在、戦闘行為、虐殺行為が繰り広げられていることを知っている。しかし、それがどういういきさつで起きたのかという理解についてはほとんど正反対の認識を持っている。
 2014年にウクライナで起きた「マイダンクーデター」と、その後のウクライナ正規軍やアゾフ大隊による東部ドンバス地方の自国民への殺戮行為について、私はその真相をある程度知っているが、隣のAさんはまったく知らないし、日本のマスメディアが流す間違った情報を鵜呑みにしているとする。私とAさんの世界はどのように重なり合うのだろうか。
 ウクライナで起きていることについて、私とAさんはまったく相容れない認識をしているわけだが、この場合は、間違った情報を「常識」として脳に取り込んでしまったAさんの意識が生成する意識世界には、実際のウクライナ(現地で実体験している人たちにとっての物理世界)は存在していないことになるだろう。「架空のウクライナ」を取り込んだ意識世界が生成されている。
 その意識世界もまた、現実を知っている、あるいは進行形で体験している人たちの意識が生成している意識世界と重なり合って、共通の物理世界を作り上げている。
 現実を知っている人たちにとっては「架空のウクライナを頭に描いている人たちが大勢いる物理世界」が存在しており、相容れない意識世界を生成しながらも、それらが多重に重なった同じ物理世界に生きていることになる。
 
 このように、多重世界に存在する個々の意識は、同じ物理世界の違う重なり、違う層に生きている。重なっている部分では、お互いに触れあうことも、話し合うことも、恋に落ちることも、戦争することもできるが、意識が生成する意識世界は違う。
 一つの意識が生成する意識世界は一つしかない。その意識世界が組み込まれた物理世界は、その意識にとっては一つの物理世界だが、他の意識にとっての物理世界とは、個々の意識世界の重なっている割合や構成が違う。つまり、まったく同じ物理世界に棲んでいる意識は二つとない。
 あなたと私は同じ物理世界に生きているのではない。
 どんなに同じように思えても、違う物理世界に棲み分けており、重なっている部分でお互いを同じ物理世界の住人だと認識しているだけである。

 ……こうした思考モデルを、ほとんどの人は「哲学的命題」としてとらえ、物理世界の話ではないと考えるだろう。しかし、私は実際に「物理世界」がそのように無数の多重構造をしており、その結果、人間の脳では理解不能な無限の広がりを持っているのではないかと考え始めている。


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こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。