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ニッポンの勤労観① 田んぼ編

みなさん、「田んぼ」って好きですか?

水田 © 菊池市 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)

私は好きです。特に初夏の水田が😀

子供の頃、私は静岡の片田舎に住んでいたのですが、実家の周りは田んぼだらけでした。(別にコメの生産量が盛んな地域でもないんですけど…)

で、毎年6月頃になると田んぼに水が張られて辺り一面が水田になるのですが、水田にはアメンボやオタマジャクシがたくさんいたりして、遊ぶのに事欠きませんでした。夜になると水田から大量の蛙の鳴き声が聞こえ、掃き出し窓の網戸からは水田の上を吹き抜ける(ちょっと生臭いけど)涼しい風が部屋に入って来るのがとても心地よかったです。(7月、8月は普通に暑い)

秋になれば黄金色に実った稲穂が風に揺れる様は何とも美しく、稲が刈り取られた後の田んぼは絶好の遊び場になり、日が暮れるまで田んぼで野球やサッカーをして遊んでました。

田んぼにはそんな思い出がたくさんあるので、今でも田んぼを見ると懐かしさと共になんだか清々しく暖かい気分になったりします。

今回はこの「田んぼ」を題材に、わたしたち日本人の「勤労観」のルーツ、つまり日本人にとって”働く”って本来どういう事だったのか?を紹介したいと思います。

田んぼの神様

温暖な気候と豊富な水源に恵まれた日本は、2500年前(縄文時代後期)には大陸から伝わった稲作農業を始めていました。山や石、木など、ありとあらゆる物の中に「神」を見出す、八百万の神々の世界観を持つ日本人ですから、当然「田んぼ」に対しても神様を見出すわけです。田んぼの神様は「稲荷神」と呼ばれます。

ところで稲荷の「」はともかくとして、なぜ「」なんでしょう?

どうやら最初は稲荷ではなく「稲生り」あるいは「稲成り」と表現されていたようです。やがて「稲成り」神は、↓のように稲の束をつけた天秤を背負った神として描かれるようになり、いつしか「稲を荷う神」=「稲荷神」と表現するようになっていったそうです (※諸説あります)

ちなみに。

あれ!?お稲荷さんってキツネの姿じゃないの!?」「油揚げどこいった!?」と思った方がいるかも知れませんが、稲荷神=キツネではありません

キツネはこの稲荷神に仕える眷属(しもべ的な)であって、神様の本体(?)はあくまでこの稲荷神なのです。稲荷神は、正式には宇迦之御魂神(ウカノミタマ)といい、五穀豊穣を司る神様です。(五穀ということは、必ずしもコメ専じゃなかったんですね)

話を戻して、この稲荷神を信奉することを「稲荷信仰」というのですが、さすがコメの国というべきか、日本人の「稲荷信仰」は大変強く、その証拠に現在日本で一番多い神社は「稲荷神社」だったりします。(全国に約8万ある神社のうち3万が稲荷神社!)。

言われてみれば、稲荷神社ってどこの地域に行ってもあるようなイメージはありますね😅

稲づくり=神様との共創プロジェクト

さて、この稲荷信仰ですが、その根底にある考え方は「神人共作」です。読んで字のごとく、神様と人の共作です。「稲」というのは農民だけで作れるような代物ではなく、稲の神様である「稲荷神」と人との共作で初めて作られるもの、と考えられていたわけです。
(厳密には、農民が神様からの委任を受け、神様に代わって稲を育てるという形にはなるのですが)

稲というのは畑で栽培する作物とは異なり、多大な手間と労力と繊細な管理を要します。そのため1年かけて「稲が実る」という結果を安定的に得るには、神様の御業と人間の協同が不可欠である(そうでなければ、稲を最後まで立派に生育させる事はできない)と考えられてきたわけです。

言ってみれば「稲作を通した神様と人間の共創プロジェクト」であり、田んぼとは「神様と人間のコラボワーキングスペース」だったわけです。ビジネスパートナーである神様との共同作業場所ですから、田んぼというのは常に清々しく保たれている必要があり、汚れや乱れがあってはならないし、節目の時には神様に報告もしなきゃならないわけです。今も日本各地で、田植えや収穫の時期になると田んぼでお祭りが開催されますよね。田んぼのお祭りは、稲荷神に対する感謝や収穫の報告をすることが趣旨です。

現代風に言えば「プロジェクト開始のキックオフ」とか、「プロジェクト終了後の打ち上げパーティ」みたいな感じでしょうか。きっと二次会・三次会までやるんでしょう。

ジャガイモやダイコンの畑ではこのような祭りの慣習があまりないことを見ると、稲がいかに特別視されていたかがわかりますねw

このように日本人は、古来より稲作を通じて神様を身近に感じ、稲作という一大プロジェクトに神様の協力が得られるよう日々の仕事に精を出し努力を惜しまないという姿勢が自然と身についていきました。

キリスト教やイスラム教では、神との対話・神への信仰を示すため定期的に教会やモスクに赴いて礼拝する習慣がありますが、日本の場合は日常的な仕事=コメ作りがそのまま神との対話・信仰を示すことに繋がっていたわけです。なので、わざわざ神聖な場所(今でいうパワースポット)みたいなところに行って祈りを捧げずとも、自分の田んぼで雑草を取り除いたり水を綺麗に保つなどして、稲の健全な生育を見守っていくだけで十分、神と対話し、神の期待に応えるという信仰を感じられていたわけです。

この「真摯なコメ作りを通した神との共創感」こそが、日本人の勤労観の原点です。

失われた日本人の勤労観

シビアなビジネスの世界を生きる現代人の感覚からすれば「自分たちが食っていくためのコメを作るんだから、そりゃー真面目に作業するでしょ。だって稲が枯れたら自分が飢えるんだしw」と思ってしまいそうです。その側面は確かにあると思います。実際、凶作になればマジで餓死者が出ていたことは事実でし。でも前述したように、日本人にとってコメ作りには「食い扶持を稼ぐ」という目的とは次元の違う「神様との共創」という意味・意義があったわけです。

こんな崇高な勤労観って、世界のどこを見てもほかに無いんじゃないかなーと思います。そもそもキリスト教やイスラム教では神様は絶対的な存在なので、一緒に仕事するとかビジネスパートナーとか恐れ多くてとても考えられないはずです。「神を侮辱しているのか?」なんて怒られそうです。この勤労観は「神様って、意外と人間に身近な存在なんだよね」という考えが全国津々浦々、一般市民に広く浸透している日本人だからこそ持てる感覚です。

さて、現代を生きる私たちの勤労観はどんな感じでしょうか。

仮に、自分が参画するプロジェクトのメンバーに

「これは自分が崇敬する神様との共創プロジェクトだから、絶対に成功させたいんです!」

と、そんな勤労観を心に秘めて仕事してくれるメンバーがいたらとても心強いと思います。当事者意識が違うでしょうから。「働く」ことの意味を、単に食い扶持を稼ぐ手段=ライスワークとして捉えるのではなく、自身の崇敬の対象である神様と対話し、神様に近づく手段だと捉えているからです。
(※実際にこのセリフをそのまま口に出すメンバーがいたら、さすがに「おっ、ヤベー奴が混じってるな」としか思わないでしょうけどw)

残念ながら、この世界に類を見ない独特の勤労観は今の日本には殆ど残っていません。(田んぼでコメ作る人減ったから当たり前なんですけど)。別にその勤労観があるからといって日本のGDPが復活するわけではないですし、数々の問題が解決するわけではないと思いますが、少なくとも「ワーキングプア」や「過労死」のような深刻な社会問題はここまで酷い状況にはならなかったのではないでしょうか。なぜなら、これらの社会問題の根源的な要因の一つに「健全な勤労観の欠如」があると考えられるからです。

さいごに

今回は日本人が本来持っていた勤労観がどういうものだったのか、神道の観点から紹介しました。ただ、神道というのは基本的に「自然の中に八百万の神々を見出す世界観」であって、そもそも自然と触れ合う勤労者が少ない現代の日本の私たちにはピンと来ないかもしれません。

一方、日本人の勤労観というのは、実は神道だけでなく仏教(禅仏教)からも大いに影響を受けており、こちらは現代の日本人にも大いに通用する考え方です。ということで次回は仏教の観点から見た日本人の勤労観を紹介する予定です。たぶん。

つづく。

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