なんで勉強しなきゃいけないの?

前回に続き、子ども向けの美術教育をされている方から聞いたお話の中から、印象に残ったエピソードを紹介します。

今回は「勉強をすべき理由」です。

勉強をすべき理由:(一般回答)

「なんで勉強ってしなきゃいけないの?」

子どもの頃、この素朴な疑問を持った人は割と多いのではないでしょうか。もちろん私も思ってました。特に算数の図形問題や理科の計算問題が苦手で、家でこれらの苦手な宿題をやるときは

(こんなもん知らなくたって生きていけるだろーに!!)

と思いながら、必死でこなしてました。(これでも一応理系なんですけどね…)。英語が大の苦手だった私の友人なんかは

(一生、日本で暮らすんだから英語なんて勉強しても意味ねーよ!!)

と言ってましたw

そんなモヤモヤから、親にこの素朴な疑問をぶつけた事がある方もいるのではないでしょうか。その時、満足のいく解答が得られましたか?
この疑問に悩まされるのは、子どもの立場から親の立場になっても変わらないようです。我が子から「なんで勉強しなきゃいけないの?」という疑問を投げかけられて、どう回答すべきか悩んでいる親御さんは今でも多いようで、ググるとこの悩みに対する解答例を示したサイトがいっぱい出てきます。

例えば、タレントの厚切りジェイソンは、「勉強する理由」を以下のように答えています。

先人が残した資産を効率よく獲得するため

まぁ、確かに間違ってないですね。

こんな解答例もありました。

こちらは模範解答を子どものタイプ別に3つも紹介していました。

他にも探すと色んな解答例が見つかるのですが、解答としては概ね以下のポイントに集約されるようです。

将来、できることを増やすため(=将来の選択肢を狭めないため)

これが「勉強をすべき理由」として最も一般的な解答ではないでしょうか。(今思えば、私の親もこんな風に言っていた気がします。。。)

勉強をすべき理由:(美術教育の視点の解答)

一方で、先日私がお話を聞いた美術教育の専門家の方は、上の一般解答とはちょっと違う観点から「勉強をすべき理由」を捉えていました。

その方は、近隣の小学校にいる児童達を自分の職場である美術館に招待し、展示されている美術作品を通して、子どもたちに様々な学びや気づきを与える教室を続けられていました。
ある時、以下のようなモチーフを扱った写真作品が題材になりました。
(※これは実際に展示されていた作品ではないですが、モチーフは同じです)

※画像引用元:芦屋市HPより

これ、何だかわかりますか?

そう、ビール瓶です。ちょっとねじ曲がってますけど。

この作品の前に立った児童たちに、こう投げ掛けるわけです。

「これ、なんだと思う?この茶色いヤツが何だかわかる人?」

すると、ほとんどの子が

「ガラス瓶!」とか「ビール瓶!」と答えます。

次に、こう問い掛けます。

「この瓶、何だかヘンだよね。ねじれて曲がってるよね。どうやって曲げたのかな?どうしたらこんなにねじれると思う?」

すると、一部の子から

「・・・熱とか?」「熱くて溶けた?」

という声が出てきます。周りの子はそれを聞いて「へー」という感じです。

さて、大人の皆様はもうお気づきかもしれませんが、この題材となった作品というのは、「原爆投下後の広島の惨状」を撮影した写真作品だったのです。(上の参考写真には変形した瓶しか写っていませんが、実際の作品は瓶が町の風景と一緒に写っていたと思われます)

さらに児童たちにこう問い掛けます。

「ビール瓶がこんなにねじ曲がるほどの熱をあびた出来事って、いったい何だろうね??」

ここまで来ると児童たちの中にも

「あっ・・・(原爆のことだ)」

という顔をする子が何人か出てきます。でも、まだピンと来ない子がいます。

さらにこう問い掛けます。

「瓶がこんなにねじ曲がるほどの熱が出たら、瓶の周りにいた人達はどうなっちゃうんだろうね?」

ここまで来ると、ほぼ皆が「あっ・・・」という顔になり、その作品の意味するところがようやく分かってくるわけです。原爆によりビール瓶がねじ曲がるほどの高熱が街を襲った。その結果、そこに暮らしていた多くの人が亡くなったんだというストーリーが作品を通して自分と繋がるわけです。

ここで重要なのは、「ねじ曲がった瓶」という”起点”から「多くの人が亡くなった惨劇」という”結末”を想起する力です。この”結末”に、ファシリテーターの支援を受けずに自力で辿り着くためには、

・瓶は高熱で変形するという事実
・超高熱が街を襲ったという歴史上の事件
・その結果、おびただしい死者が出たという事実

少なくともこれらを前提知識として持っている必要があります。途中でピンときた子は、他の子に先んじてこれらの知識を何らかのきっかけで持っていたのでしょう。(親に教えられた、本で読んだ、テレビで見た・・・etc)

まとめ:なぜ勉強をするのか?

私も以前は、上の一般解答にあったように「将来の可能性を広げるため」「選択肢を狭めないため」に勉強はした方がいい、と考えていました。しかしこのエピソードを聞いてから、勉強をする本当の意味というのは「いま起きていることの”意味”を自分なりに解釈するためにこそ必要である」と思うようになりました。

一般に、美術作品の根源的なテーマの1つは「抵抗と批判」なのだそうです。ねじ曲がったビール瓶の写真も「戦争の悲惨さ」を批判した作品だと思いますが、作者が込めたその思いも、前述したように写真に込められた意味を解釈するのに必要な前提知識がないと

「あ、なんかビール瓶がねじ曲がってるね。」

で止まってしまいます。

また、これは何も美術作品を見るときに限った話ではありません。

例えば「トランプ大統領がこんな発言をした」とか「応援しているサッカーチームがエースを放出した」とか「会社の人事制度が変わった」とか、もっと身近な例で言えば「最近、友人の言動が変わった」など、自分の身の回りに起きた、あるいは起きつつある見過ごしてしまいそうな変化の背後にある”意味”や”文脈”を、他人の解釈に依存することなく自分で解釈するためには、やはり自分自身に前提となる知識が必要なのです。特に最近は世の中の変化が激しく、以前獲得した知識がいとも簡単に更新され、陳腐化してしまいます。だから、子どもだけでなく大人も(むしろ大人の方が)、大いに「勉強すべき理由」があると言えますね。

おしまい。

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