見出し画像

漫画『キングダム』のその後

大ヒット漫画「キングダム」の実写版映画が先月より上映されましたね。
評判はそれほど悪くないようですが、漫画が原作のものを実写化すると、どうしても原作のファンには受け入れられない部分が出てきてしまいますね。
(私はハリウッド版ドラゴンボールという苦い思い出があります)

ちなみに私は漫画は読んでいませんが、Netflixでアニメシリーズは全て観ています。機会があれば実写版も観ようと思いますが、、、

さて、今回はこのキングダムにまつわるお話です。先に結論から言ってしまうと、あれだけ大苦労して中華統一を果たしたのにもかかわらず

「秦、たったの15年で滅んだってよ。」

という話です。

キングダムの元ネタって何?

キングダムは紀元前の中国においてという国が中華統一を果たすまでのストーリーを描いたものですが、これは中国の歴史書「史記」が元ネタ(下敷き)になっています。といっても、漫画向けに大いに脚色が入っていますが。

「史記」は司馬遷が書いた歴史書で、紀伝体という形式で編纂している点が当時としては大変イノベーティブでした。
(そのあたりは以前のポストにもちょっと書いてますので参考までに)

秦は長い戦国時代を勝ち抜いた

キングダムは「秦」という国の2人の少年が中華統一を目指す話なわけですが、「秦」以前にも中国に「王朝」と呼ばれるものはありました。ただ、中国全土を完全に制圧したわけではなかったので秦以前の王朝で中華統一という表現は使われていないようです。

歴史上、秦より前に存在が確認されているのは「夏・殷・周」の3つです。周王朝の支配が弱まったことで群雄割拠の春秋戦国時代に突入し、その乱世を勝ち抜いた結果、秦王朝が誕生するわけです。図にするとこんな感じ↓

この図を見ても明らかなように、周以前の歴代王朝は数百年続きました。なのに、春秋戦国時代を勝ち抜いて成立した秦王朝だけはたったの15年で滅亡します。一体どこに差があったのでしょう?

※余談ですが、昔少年ジャンプで連載されていた「封神演義」は王朝を打ち倒して王朝成立までのストーリーを描いたものです。妲己とか武王太公望といった登場人物はこの時代に実在した人物です。

秦の経営コンサルタントは法家思想

さて、秦の滅亡要因を辿っていくと春秋戦国時代にまで遡ります。春秋戦国時代は550年もの間、国内で国と国が戦争しまくってた時代であり日本の戦国時代と比べ物にならないほど乱世だったわけです。混沌と混迷を極めた社会を良くするため、諸子百家時代といわれるように様々な思想がこの時代に広まりました。とくにメジャーなのが孔子や孟子に代表される儒家思想と、荀子や韓非子に代表される法家思想です。どちらも社会秩序を取り戻すための考え方を説いたものですが、両者は重んじるポイントが大きく違います。

儒家思想・・・何よりも「義」と「礼」を重んじ「徳」で統治すべき!
法家思想・・・何よりも「法」と「律」を重んじ「法」で統治すべき!

これらの思想家は、戦乱中の各国の領主達に自分達の思想を国家運営に役立ててもらう=自分を召し抱えてもらおうと説いて回るわけです。現代風にいうと「経営コンサルタント」ですね。ちなみに、当時の思想は現代の会社経営、組織運営においても十分活用できます(経営論、組織論、戦略論が満載なので)。

秦が中華統一を果たすほど強国に成長した裏には、国の運営方針として秦が法家思想を採用したことが大きいと言われています。後の始皇帝となる秦王のエイ政が法家推しだったようです。秦は商鞅という法家思想の経営コンサルタントを雇い、厳格なルールと信賞必罰制度により厳しく統治された軍隊と国家を作り上げたことで戦争で負けない国になったわけです。

やりすぎ法治主義

さて、法家思想による国家運営で強国に成長した秦は、紀元前221年ついに中華統一を果たすわけですが、たった15年で滅亡します。なぜでしょうか?それは、法家思想に基づいた『法治主義』をやりすぎたからです

例えば

「指定された期日までにこれやっておいてね!遅れたら死刑!」

のような、個々の事情も鑑みない杓子定規な超絶理不尽ルールが平気でまかり通っていたわけです。(「それぐらいの気合いで取り掛かれよ!」っていう根性論ではなく、マジで死刑になってました)。

これまでは秦という国だけが管理対象だったのが、いきなり中国全土がその対象になったので、機械的にルールを全適用するほかなかったのかもしれませんが、それにしてもやりすぎです。他にもこんな事例があったようです。

ある日、始皇帝が宮殿内で刺客に襲われ暗殺されかけたことがあった。始皇帝は宮殿の外にいた兵士を呼んだが『殿中に武器を持って入った者は死罪』というルールがあったため、兵士達は誰一人として始皇帝を助けに入れなかった。
秦の宰相だった商鞅は、政敵によって国を追われた。他国に亡命する途中で宿に泊まろうとしたところ『旅券を持っていない者を泊めたら死罪』というルールがあったためどこにも泊まれなかった。そんな逃亡生活を続け、やがて捕まり殺害されてしまった。

こんなコントみたいな事態が国中で起きたわけです。行き過ぎた法治主義というのは、「ルールさえ守っていれば、何をしてもいい」ということになりかねません。一見すると秩序は守られているように見えるけど、人として大切な何かが失われてしまったわけです。もう国として崩壊してますよね。

これは決して「大昔のよその国の出来事」ではありません。似たようなニュースや事例は私達の日常でも見ませんか?「法律に違反してないんだから別にいいだろ!」とか「法律に書いてないだろそんなルール!」とか。

法律には違反してないけど、それって人としてどーなの?」とか
法律には書いてないけど、それってやるべきじゃなくない?」といった
ツッコミ=大切な何かを自分たちで入れ続けないと、いずれ秦と同じ道をたどることになるのは、今も昔も変わらないはずです。

ちなみに、秦の前にあった夏・殷・周のどの王朝も、数百年続いた王朝はすべて「仁」と「徳」で国家を治める「徳治主義」の国です(末期は違うけど)。混迷の時代には一時的に「法治主義」で制御することも必要ですが、ずっとそのままでいくと人も組織も長続きしないということですね。

おまけ

ちなみに、秦の厳格すぎてコントみたいなルールの事例で述べた「遅刻したら死刑!」のくだりは、劉邦項羽が「打倒:秦王朝」の反旗を翻すきっかけになったエピソードで、ここから次の時代が始まるわけです。

日経電子のバーン

おしまい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?