変わらない感覚とか遊びのこと

10.15

小説がほぼ全く読めなくなってだいぶたつけど、エッセイなら読めるのかな?と思って立ち読みしてみたら、数ページ、ひとつ、読めた。村田沙耶香さんの新しく出た本に載っていた、歌舞伎町界隈のコンビニでバイトをしていた話。
読んで、読み終えて、あ、読めた、と思った。そして、作家というのはなんて文章が上手いんだろう、と驚いた。作家になる人というのはこうして文を書くのが好きで、結果上手くなった人なんだなぁ、とものすごく納得した。

うまく言えない、ことばにできない感覚、というのが幼い頃からあって、その感覚というのは感情を越えた「感覚そのもの」のような、静かでありながら爆発的なものだったので、それにどう対応したらいいのか分からなかった私は、よく道路をゴロゴロ転がったり、夕日に向かってひたすら走ったり、寝落ちるまで月を眺めたりしていた。
その感覚はやっぱりどうしてもことばには出来ないのだけど、それでも敢えて頑張ってしてみるのなら、「圧倒的なものと一緒にいるという絶対的な安心感と、本当のひとりきりなんだという絶望的な孤独感」がこの小さい体の内と外に同居している、という感じ。
うまく話せないから口ごもる、でもやっぱり一人は嫌だから言葉にしてみたいしこの思いを共有したい、それでなんとか頑張って話してみても毎回理解されずそのたびに孤独感に心がカッサカサの落ち葉みたいに淋しくなる、その繰り返しだった。母親はそんな私を〈繊細でよく分からない子〉の括りに入れてとりあえず放置したので、私はますますひとりきりの世界に閉じこもるようになり、夜な夜な月を眺めてはえーん帰りたいよ〜と涙を流していた。
ずいぶん大人になった今もその感覚は無くならないというか、むしろそれしかないままで今も生きているし、どうにもいわゆる人間界には完全には馴染めないことも認め、それでもこの地球や(自分含めての)人間が本当に好きだということも認めている。
どうしたっていつかはこの身体と地球を離れなきゃいけない日が来るのだから、それまでは生きていることを思い切り楽しみたいというのが私の願いであり、幼い頃からずっと持っている「遊びたい。」としか言えない強い気持ちだった。
そういえばこっそりやっていたブログのタイトルも「遊び」だったし、初めてちゃんと作った歌も「遊び」という曲だった。(しかも人前で歌った。)
せっかくなので歌詞を載せて今日は終わり。

『遊び』

遊び呆けた庭で
まどろみの中、駆け出して行け
もつれた糸のほつれ
夢の中からご挨拶
「やぁやぁ、皆さんこんにちは。」

汚れたカーブを曲がって
茶の間でテレビを見ている
あの子は悪い子じゃないよ
少し綺麗なだけさ

遊び呆けた庭で
まどろみの中、駆け出して行け
もつれた糸のほつれ
夢の中からご挨拶
「やぁやぁ、皆さんこんばんは。」

(山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言ふ)
あの子は悪い子じゃないよ
少し優しいだけさ

遊び呆けた庭で
まどろみの中、駆け出して行け

5

持山まさみ

day

日々のこと
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