フォーエバーアンドエバー1

何をしている人ですか?と初対面の人に聞かれても、何もしていません、としか答えられない。
昔からずっとそうで、それが本当にコンプレックスだった。
社会人になって働いたこともないし、イラストや絵や文章や芝居をやったりボディーワークやレイキや色々やったけど、どれもこれも趣味の範囲で仕事じゃない。
なにかを本気で一生懸命出来ないというか、その時々の盛り上がりだけで長続きしない。
大学も一年で辞めたし、そのあと入った専門学校も文学科と美術科の一年生を二回やって辞めた。
十年同棲した彼氏にもふられ、そのあと結婚した人とは離婚、二人の子供は父親が違う。

母は私に、あなたは色々やっても本当に何一つモノにならなかったねと言い落胆した。
父はここまで育ててお金もかけたのに何一つ理想通りにならなかったと嘆いた。
私も自分のことを、一体なんなんだろう、申し訳ない、と思った。
物心ついた時から家庭不和で、鬼のように厳しく笑顔のない両親のもとで育まれた「生まれてきてすみません」の太宰ズム。自分が生まれなければと思う日々の中で学校でもハブられひとりぼっちになったときはいよいよ自分には生きる価値が無いのだと本気で思い、息をすることすら空気の無駄使いだから止めようとしたが苦しくて挫折、せめてもの気持ちで食べることをやめた。勿体無かったから。
当然拒食になりどんどん痩せて学校も行かなくなった。そんな娘にも親は常に無関心で、ああ自分は本当に必要ない人間なのだな、と思い知った私は、いつもぼんやりと自然を見ていた。親に拒否される、無視される、愛されないということは、幼い子どもにとって、死よりも辛いことなんじゃないだろうかと思う。受け入れてくれる死のほうが遥かに優しい気がした。それと同じ感覚で、当時私には自然が何よりも優しかった。家の裏の山に登り木にしがみついたり、草むらに寝っ転がっては空や月を見ていた。地面や木や空はどんな時でも私を受け止めいだいてくれた。はっきりと、地面や木の命を感じた。暖かかった。
そんな中三のあるとき、学校にも行かず絶望的な気持ちでふらふらと道を歩いていたら、突然、何かが脳天から足の裏を一気に突き抜けた。その感覚があまりにも衝撃的過ぎて、一瞬で目がカッと開いた。それは完全にオープン、繋がっている、という感覚だった。それまでの私は完全なクローズであり、孤立そのものだったので、いきなり闇の中から光の下に出たような、世界の外側に放り出されてしまったような、劇的な変化だった。その変化が突如、なんの前触れもなく、一瞬で起きたのだ。私はその時スピリチュアルも何も知らなかったのだけど、これは宇宙意識だとすんなりと思った。というか、宇宙意識としか言えなかった。宇宙などそれまで特に考えたことも無かったのに。
私はその場に立ち尽くした。訳の分からない涙が後から後からこぼれてしかなたかった。私は愛されている、全身でそのことを初めて知った。圧倒的だった。私は最初からすでに完全に愛されていたし、いつだって愛の中を泳いでいるのだ。
それからその「繋がっていて愛されている」という感覚は、ずっと消えずに共にある。
でも、現実この世界では私は何をやってもからっきしで役立たずで、特殊な才能や使命がある人と比べてはそういう自分をいつも責めて卑下していた。
私はいったい、何のために、何がしたくて生まれてきたのか、
何者にもなれず、ていうか一度もなったことすらなく、好きなことはどこかに旅に出ることと、音楽、自然のなかでぼーっとすること、寝っ転がって誰にも邪魔されず漫画を読みお菓子を食べたりすることだなんて、誰にも自慢できないし子供の頃と何も変わらないし本当に何の意味もない、なにも生み出していないし、マジで誰の何の役にも立たなさすぎる。一緒に日向ぼっこしている植物でさえ、何もしてないように見えるけど、実際葉っぱは二酸化炭素を吸い酸素を作り出すという大変な有難い仕事をしているのに、私ときたら・・・せっかくもらった命を無駄遣いしてるだけだ、何か、何かしなければならぬ、と私はめちゃくちゃ焦り、焦るだけで何も身にならない自分をめちゃくちゃ責めている、ということを、今日、さっき、はっきりと、分かってはいたけど本気で自覚して、そのことにショックを受けたので、このことを記しておこうとこのノートを書いた。

他の人はみんな、そんなことを思うのだろうか。
思う前にすでに何者かの肩書きがあるのが普通なのかもしれない。
この「何者でもない不安」というものは、多分幼い頃は無かった。
そして今でも意識を自分から切り離してあの宇宙意識が入ってきたときのように上の方から自分を眺めると、幼い頃と同じように、ただあることで全ては完璧なのだという感覚に満たされる。でも、ヒュッと自分の中に戻り、まわりを見渡したとたん、またこの自分の何者でも無さ、何も生み出して無さ、魂の半身の紫のバラの人に出会うこともなく芝居に命を燃やすこともなくただ生きて死ぬだけの自分を、そんなんでいいのかお前と怒り、責めてしまうのだ。

どうしてこんなに何者かにならなければいけないと思ってしまうんだろう。
何かしなければ役立たずと思ってしまうんだろう。
このままの自分ではいけないと思っているんだろう。
きっとそれは全て、後天的なもの、
親や、学校や、他人や、そういうまわりからのものを、自分に取り入れ思い込んだのだと思う。
そして親や他人は私にそうしてやろうと思ったのではなく、そうされてきたままを倣っただけなんだと思う。
じゃぁもうそれいらないな、と頭では分かっているのに、身体の深い記憶にはその思い込みがすっかり染み込んでしまっている。
でも、それは本当に私のものなんだろうか?
というところで、長くなったので、つづく。

5

持山まさみ

day

日々のこと
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