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2023年の1文字に関する雑記

先日、このような通知が来たので、書いてみるか、と思い立ち、今に至る。単純な人間になったもんだ、と自分で自分に納得する。

11月30日。あと1か月経てば、今年も終わる。年末が近づくと、「今年の漢字」が思い出される。12月中頃に発表される今年の漢字を、一足先に考えてみる。今年はどんな1年だったか。どんな1文字がふさわしいか。

ううん、待てよ。これが結構難しい。直近3年間を振り返ってみると、戦争が起こったから「戦」、五輪があったから「金」、コロナが流行ったから「密」など、安直な理由でわかりやすい。今年って何があったっけ。


今年は何かと「暴かれた」ものが多かった気がする。「暴れた」ではない。過去の悪事、政治家のスキャンダルは、毎日のようにニュースを飛び交ったほか、卓上調味料をぺろぺろしたことも、除草剤を撒いてしまったことも、暴き、暴かれた出来事だった。

過去には良しとされていたものが、2023年の価値観を透かしてみると、違和感として浮き彫りになり、不特定多数の間で燃え盛るのである。時代が進んでいる証拠だ。

暴かれた後は、今度はその処理が待っている。処理。処。処といえば、処理水。そんなこともあった。後処理をすると、新しいものが生まれてくる。昨日まで常識だったことが、今日になると通用しなくなっている。日々めまぐるしく何かが変化し続け、気づいたら2023年は終わうろとしていた。

何かが変わった年と言ってしまえば、そうとも捉えられるし、何かの節目の年と言ってしまえば、そうとも捉えられるし、何かが再び元に戻った年と言って終えば、そうとも捉えられる。

しかし多分それは、去年もそうだったし、おととしもそうだった。じゃあ一体今年は何だったんだ。何だったんだろう。考えるのは諦めて、来月の答え合わせを待つことにする。


先日、朝井リョウの「正欲」という映画を観た。その映画のワンシーンで「年末って、その人が1年間どのように過ごしてきたかの通信簿みたいなもんだよね」みたいなセリフが登場する。

年を越す瞬間を、誰と、どこで、どのように、過ごすのか。確かにそれは、自分の1年間を自己採点した結果が反映されているかのようで、なんだか口の中が痒くなる。

近づく年の瀬の足跡を感じつつ、残すところあと1か月となった2023年の締めくくり方を想いを馳せる。この記事で30ヶ月連続投稿達成らしい。2年半、あっという間だった。

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