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C-KDI-10/桑沢全体講義デジュメ−1/2020年5月版;『"コロナウイルス”と言う 「テロ」に向き合うと言うこととは、』前編。

文責/平川武治:
初稿/令和2年4月末日:
イラスト/村上豊「はだかの王さま」より:

 4月も終わり、僕が帰国してから約2ヶ月が立ちました。
コロナウイルス騒動は依然、僕たちの国は未だ、収束の目処が立たず、
安倍内閣の気骨無く、覚悟なき決断により、余計に医療崩壊と経済危機の
多重迷路へ国民の不安を誘っているだけのこの2ヶ月でした。

 さて、僕も3、4日遅ければ、 パリの都市封鎖に引っかかるところでしたが、運良く、3月11日には鎌倉へ無事に帰国。
 でも、僕は平素から「自宅待機」と変わらぬ 自分の生活リズムで、
いつもの日々をおおらかに、独りと1匹でこの竹藪の中で過ごし、
時折の、街へ買い出しへ。
 しかし、やはり収束後の経済不安と子供達への変化と影響を
考えてしまうと神経は病み、いろいろ考え深読みを始めています。
 今回は、僕のこの「新型コロナウイルス」による、
「緊急非常宣言」下の体験で感じたこと、考えたことを
皆さんへお話ししましょう。

1)はじめに;
 僕の本心は、一昨年来、僕が発言してきた「近代」と言う時代の終焉が
この様な形で「御和算」を求めて来たと言う心境です。
 「飽食消費社会と資本主義」への最終警告の機が来たと謙虚に受け止め、
今後への新たな世界ルールとしての「ポスト・キャピタリズム」を意識しなければいけない“機”だと感じています。
 *参考/  
 P.メイスン著「ポストキャピタリズム」:東洋経済新報社刊 2017年10月
https://en.m.wikipedia.org/wiki/PostCapitalism‬
 斉藤幸平著/「大洪水の前に」:堀之内出版刊 2019年4月発行。
‪https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%B9%B8%E5%B9%B3‬

 今回の「新型コロナウイルス騒動」そして、忘れてはならない
現在の地球上で起こっている現実のいくつか、
「気候危機と自然災害」などは、
20世紀の我々が「近代」を選択し構築した「資本主義と消費主義の元、
その結果の「利益主義」を継続し、「利潤の拡大化と飽食化」へ
唯、謙虚さ無き進展を走り求め過ぎた結果の、
『近代人と称されてきた“民”への「神からのペナルティ」』と言う、
大いなる犠牲を伴った”警告”だとこゝろ深まっています。

 僕が昨年来、発言している「近代」の終焉が
この新型コロナウイルスによるパンデミックで完全に、
白人至上主義の元での「近代」が生み出した”キャピタリズム“
そのものが 「破綻」して「ポスト・近代」の誕生へ近づく事でしょう。
 そして、「新たな近代」としての経済構造や生活モラルが
「新しい普通のためのパラダイム」を待望する事でしょう。

 また、発言する「シン・スタンダード」論は、
"There's no place like a home.”が
再び、より真実味を憶える時代が到来するからです。
 この「シン・保守性」は
”バイオテクノロジィとアルゴリズムとIoT”によって操作される
一歩間違えば、”危険極まりない保守性”です。

 そして、あらゆるモノの創造は“Made in Internet”が主流となり、
“IoT+Cloud Com. +Big Dater”が生み出すアルゴリズムによって
監視性を内蔵した”保守性”でもあるでしょう。

 今後の視点は、このMade in Internetの世界、
或は、これにどれだけ隔たりを持った世界、
もう一つは、この世界観にどれだけ、
人間味をミックスしたところでの世界、
という三つの方法論的現実が発想できますね。

 そこへ、"There's no place like a home.”
「家にないものはどんなに遠くへ行ってもない。」
あるいは、「お家が一番!」論。すなわち、”家族最優先主義”という保守性。
 これは、1939年の映画「OZの魔法使い」の主人公ドロシーの言葉が、
また、騒がれ始めましたね。
(先日はスピルバーグもこの映画を取り上げていました。)
 昨今の状況はまさに、
”There's no place like a home with the P.C.”の世界。

(2)「新型コロナウイルス以後」蔓延する一つのコンテンツは、
 先の映画、「オズの魔法使」のコンテンツの一つである、
"There's no place like a home.”でしょう。
 戦後のアメリカにおけるセールスマンによる「物販」の発展による
”大衆消費社会構造”の根幹コンセプトは
この、"There's no place like a home.”です。
 でも、“But, the home is not a house.”でもありますね。
ハウスを持つ事で、”ホーム”があると言う図式は
短絡すぎる事もわかり始めるのも今後の時間の問題でしょう。

 そして多分、終息後の新たな時代の「物販」も
これが変わらぬ根幹でしょう。
ここに白人社会のキリスト教信仰の”Home"と言う根幹も
存在しているからです。
 ですが、ITと言うテクノロジーの発展により、
これからの時代は決して、“オールド・スクール”の
“リヴァーシブル”ではありません。

 「家にあるべきモノと、なくてもいいモノ」。
 ここから新たな「シン・ベーシック」の根幹が見えてくるでしょう。
この視点は既に、ジェネレーションーZ世代以降の若者たちには
「何が豊かさなのだろう?」と言う
“豊かさへの懐疑“から始まり、
「何が本当に必要なモノなのか?」への眼差しの変化。
 即ち、彼らたち世代の、当たり前の「自由のカテゴリィー」。

 その一つには「地産地消」と言う価値観がありましたね。
自分たちの地元や、国で作ったものを、自分たちが消費すると言う
「消費における倫理観」的方法論ですね。
 
 例えばその時に、現在のファッションビジネスがどのような対応と
「新たな価値」を見つけ出せるか?
一つの新しさへの”挑戦と好奇心”を生み出せるか?
どのような”エモーション”を顧客へ提供できるか?
そのための「モノ作り」とそれらの「販売」とは?
そして、これらの新たな「経済価値」が
どの様な仕組みと関係性で、新たなパラダイムが生み出せるか?

 貨幣構造もゆくゆくは電子マネーの時代へ変革され、
「資本主義+社会主義」という新たなるコラボレーション構造が
どのようなバランスシートと比率によって政策化されるか?
 「ポスト・キャピタリズム」の時代がより、近づいてしまったようです。

(3)では、この様な「新型コロナ ・パンデミック」の収束後は、
 
確実に、人心と経済観念が変わるでしょう。
そして、世相が変革するでしょう。
結果、人生の価値観にも影響が及ぼすことでしょう。

 例えば、僕たちのような後期高齢者世代のこの”2年ほど”と、
小学生たち、わずか10歳足らずの子供たちにとっての”2年ほど”は
比べることができない”ダメージ”になるでしょう。
 
 そこでは新しい眼差しの一つに、
『私たちが望む「豊かさ」とはなんだろう?
「しあわせ」とは何か?』
という眼差しが!

 では、今後もなんのために「服」を作り売るのか?
究極は、それぞれが持ち得た「自由の裁量」と
そこから生まれるそれぞれの「しあわせ度」への
“May I help you for happiness?” と言う視点が
「ジェネレーション-Z」たちを含む
新しいマーケットを生み出せる可能性でもあるでしょう。

 もしかしたら、”芸術“の世界が然りでしょう。
ならば、それぞれどのような
「自由」と「しあわせ」を選び出す”人間性“や”人格“を
持ち得ているかが根幹になるでしょう。

 また、現代の時代観の一つであった、
「簡素な生活と虚飾な生活の何れかを選ぶ
“贅沢”が許されている文化と豊かさ」
のバランス観も変化し、
それによる新しさが 「新しい普通」をニーズとする時代性も有りでしょう。

 ここには「ユニフォームではない、ユニフォーム」的な、
ニュアンスがキーワードの一つになるでしょう。
「ファッションではない、ファッション」や、
「服でない、服」等、など。

 「新しい普通」と言う時代性に登場する「新しいモノ」の誕生は、
「モノ・余り」+「リ・メイク」+「コラボ」=
「ネオ・ハイブリッド・クラフト」。

 或は、「手作りではない、手作りモノ」というまでの
”オブジェ/ガゼット感覚”、
「何何ではないが、何々である。」と言うコンテンツ。

 例えば、多くの高齢者たちが老後の夢としていた
彼らたちの求めた「しあわせ度」の一つであった
「豪華客船/クルージング」があんなモノなのかと言う覚めてしまった目線、
或は、憧れの「ラグジュアリィ」ブランドも
実は、”Made in China”だった?
これでは「ラグジュアリィ」の鍍金も
剥げてしまう事も起こり得る今後のモード界でもありますね。

 参考サイト/
 ●繊維リサイクル、コロナウィルスで倉庫輸出停滞/
https://mainichi.jp/articles/20200510/k00/00m/040/108000c
 ●ディオールのドレスはインドの奴隷職人によって作られる/N.Y.Times
https://courrier.jp/news/archives/198276/
 ●ルイヴィトンの靴は世界最安のルーマニアで生産/
https://courrier.jp/news/archives/96224/?utm_source=article_link&utm_medium=textlink&utm_campaign=articleid_198276

 4)『 How many ”The Fashion Week“ in the world ?』
 「Paris, Milano, N.Y., London.」4大ファッションウイークの他に  
気がついて調べてみると、この地上では 既に、20都市以上で、
”同じ構造”でコントロールされているのが現実です。
 ここにも、ある種の「利権」ビジネス構造が既に、
ユダヤ人メディア界を軸に、
それなりの人種たちによって構築されてしまっています。

 中身のファッション・クリエイションは
その大半が、「過去のアーカイブスのザッピング」。
 従って、ショー自体が”エンターテイメント“。
演劇化やダンス化それにコンサート化や「ザ・タカラヅカ」
結果、シャンペン業界も賑わうという“Luxury・ビジネス“構造。

 まるで、映画、「OZの魔法使い」のドロシーたちが
“芥子畠”でひと眠りしてからやっと辿り着いた
“OZの塔/クリスタル・タワー”さながらの現実が
「ガラ・パーティ」としてより、盛んになるでしょう。

 グランドフロアーでは、派手でヴァニティなパーティーの賑わい、
その上層階では??? (ぜひ、カルト映画、“wiz“も併せて観てください! )
 この現実がいよいよ、より肥大化してより、現実に。

 参照/映画、“WIZ” / ‪https://ja.m.wikipedia.org/wiki/‬
%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%BA_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
(後編へ続く)

文責/平川武治。
初稿/令和2年4月末日。

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