見出し画像

何かの役に立ったのか。(3/8)

実際に、グリーフケアの概念がどう役立つのか。というのは、具体的に例えばおすしが握れて誰かがよろこぶ、というようなわかりやすい、因果関係があるわけではなく。そして、その、概念自体をうまく消化吸収できていないままだから、正直よくわかっていない。それがわかるには、きっとあと何年かかかると思う。

ただ。その時期に、くじらさんという友だち(代官山で美容院をやっている)とお茶をした時に、くじらさんも突然死で、家族を亡くしているんだけれど

「あー、そうそう!!!こういうこと言っちゃダメ!!!わかるわぁ!!!」と関連する本を読みながら、激しく同意できるページに何箇所もチェックをしてくれた。その部分は、そういうことばや態度をとるのは、やめようと思ったし、そういうことを言ってくる人とは、一緒にいないほうがいいなという選択の指針ができたことは、とてもありがたかった。

それで、やはり、少しは共通のプロセスがあるんだろうな、ということを、頭の片隅に入れておくのはマイナスにはならないだろうというくらい些細なことだけど。気にできてよかった。

身近な人との突然の別れ、を経験している友だちもいて。

「誰かのことばって、まったく「聞こえて」こないのね。私が一番、そのときに助かったのは、友人が毎日一輪挿しを届けてくれたことかな」

と教えてくれた人もいた。

「直接思い出すこと」ではなく日々の暮らしをどうしのぐか、生きるか。という時には、ことばよりも、花、アート、香り、食べもの。そういう関節的なアプローチがとても役にたつ。ということも、心強かった。

それは、祈りにちかいのかもしれないし。僕の仕事も、そういうことだ。

なんの役に立つかわからないけれど、ちょっとでも、元気になってくれたら。 


「俺はねぇ、一年後にどっと悲しみが来たんだよ。はじめの1年間は全く、実感なくて。ちょうど一年経った時に、めっちゃくちゃ悲しくなって。あ、もう会えないんだって、おふくろが死んだことを理解したんだよね。」


と教えてくれた人もいた。
この3月、あれから、2年が経つ頃に、僕も、そういう気持ちがやってきた。

サポート、熱烈歓迎です。よろしくお願い致します。