久々のnoteは「友だち」について書いた。「友だち」ってなんだろう。
僕は常々「俺の友だちに鮨職人がいてさぁ。」という、
誰かの友だち枠で、ゆるやかにおすしが握れればいいと思っている。
(んで。じゃあ「友だち」ってなにかね?と、ずーっと考えていたことが少しまとまったので。ちょっと書いておきます。)
今は、シューショクして半年でブログもあまり書いていないのだけれど。去年までは「あなたのおかかえ鮨職人」という名刺をつくって、それこそ、友だちと遊ぶように、鮨パをたくさんしていた。
「あなたのおかかえ鮨職人」は、鮨職人になると決めた動機を、よく表していると思っていて。大学生の時に周りをみたら鮨職人になる人がいないから「友だちにウケるんじゃね?家飲み、めっちゃたのしくなるんじゃね?」と思って、まずはバイトしてた鮨屋でそのまま見習いにはいって。休みの日は練習がてら、卵をやいて、友だちに配ったりしていた。
けれど、いわゆる「身内ウケ」で終わればいいとは思っていない。「友だちの輪」は、ゆるく広く、開かれたものでないと駄目だと思っている。
僕が「面白いなぁ」と思う人は「今度、すしパやるんで、きませんか?」と、誘いつつ、じわじわと、友だちの輪を広がっていった。
(2012年の僕らのホームパーティ@東京鶯谷。SKA仲間が多いなw)
ひと段落がついた職人歴10年目の僕は、旅にでた。
オーストラリア、マレーシア、ブラジルと、
友だちの輪が広がっていたので、はじめての海外旅行にもいけた。
そしてふらっと、友だちがひとりもいなくてもたどり着いた気仙沼では、居酒屋をやっているさっちゃんちに、1週間泊めてもらい、ツリーハウスビルディングのボランティアをしてたら、つなかんにたどり着き。
「ちょっと、料理できるなら、手伝ってよ。」
「いいよー」なんて。めちゃくちゃ軽いノリで、
だめなら2〜3ヶ月で帰ってくればいいや、とまさに旅のノリで働いていたら結局3年もそこにいた。
ほんとうに不思議な濃い時間を3年間すごし
「今日泊まりに行っていい?」
「あ、いいよ」
と言ってくれる友だちが気仙沼にはたくさんいる。
旅の楽しさは、30過ぎて知り、
それから、スペイン、フランス、香港、台湾、モンゴル、アラスカと。
毎年、どこかの国に「友だちに会いに行く旅」ができている。
(今年は行けなそうだなぁ、、、、。がびーん。)
そして、鮨ネタには欠かせない、鮨職人と切っても切れない関係の「魚屋さんや漁師さんの友だち」もできて、まじラッキーなんだけれど。そういう「友だち」ができると、その人のために、例えば「このホタテめっちゃうまいんすよ!だけど、去年彼女に振られて、でも結婚したいらしくて、誰かいい人いないっすかね??wちなみにわかめも、育ててます!!食べ放題ですぅ!!!!」なんて
ホタテのおいしさ時々それ以外を、「友だちの輪」を超えて、もう世界中に大きな声で伝えられたらとも思うのだけれど。いかんせん、僕はおすしを握ることくらいしかできない。そして、おすしは、例えばこの文章のように
「特定の人に書いたとしても、何万人にも届く可能性がある」ものではない。
その「ひとつのおすし」は「たったひとり」にしか届かない。そして、食べたら一瞬で消えてしまい、仮に、それを何万人にも届けるとしたら、途方もない時間がかかる伝え方になってしまう。 しかし、僕はそんなおすしが好きだし、みんなも、おすしが好きだ。
途方もない時間をかけて、たったひとつのおすしを握るんだから、
その時間をどうせなら「友だちと過ごす時間」みたいに過ごしたい。
「いい鮨屋知っててさー。今度行こうよ」ではなく「この前、鮨職人と友達になったんだけどさ、ちょっとアホなんだけど、まぁ紹介するわ(笑)」と、「かっこわらい」くらいで、紹介しあえる仲にに慣れたら、いいなと思う。そんなこんなで「あなたのおかかえ鮨職人」という名刺をつくったのだけれど。
この半年、シューショクして考えていることは。やっぱりその「友だち枠」は自分の中で重要なフックなのかなと思いはじめてきた。
例えば今のお店は35席もあって。
満席になると
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」
この2言しかことばを交わさず、相互理解にも程遠い関係だ。
もちろん、「ことば」の会話はなくても、また来てくれたり、笑顔で会釈するだけでも、そして、なにより美味しそうに食べてくれることも「会話」の中には入るのだけれど。2〜3時間も同じ場所にいて、バシバシガシャーと届く、プリントされた注文されたメニューをつくるのに追われ、相手のこと何も知らずに終わるみたいな関係は。face to face がメインの飲食店において、あまりにももったいないなと思ってしまう。(ホールスタッフとそういう関係を築いてチームでできたらとてもよいのだろうけど、今はそういう現状でもない。)
で、この「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」の2言だけの「関係性」に自分の幸せがあるとは考えにくい。
そして、その「幸せ」のテーマは「友だち」という言い方に戻ってきて。
「世界中に友だちをつくり、その友だちとすしパを続けていけたら僕は幸せになれて、例えば、ホタテ育てている友だちのことも紹介しつつ、貢献もできるのではないだろうか?」
(2019、2月、僕らの鮨パーティ@福島喜多方。ちょっとだけみんなで握った。)
というところに、喜多方ですしパをして、そのあと、友だちと会う中で「友だちつくって鮨パしてたら幸せ説」を話していた。
そうなってくると、まず、大きな、そして大切な「壁」が目の前にあって。
その壁には、こう書かれていた。
「友だちってなんですか?友だちと、友だちじゃない人をどうやってわけるんですか?」
「友だち」と「友だちじゃない人」の違いは何か。これは、大切な問いで、考える必要があるんじゃないかと、心の中を探っていくと、心の中のそれは、とても曖昧でふわふわとしていた。
海を泳ぐイルカを見つけたら「イルカがいる!!」とわかるのだけれど。目の前にいる人が「友だちかどうか」ということを、ことばで定義することはとても難しい。ことばにするのはむずかしいけれど、心や身体は、それをちゃんと感じられる。あたたかくなったり、穏やかな気持ちになって。肩の力も、するーってと抜けて行くのだ。
逆に「オレタチトモダチダヨナ」と言い寄ってくる奴がいて、そいつがくると、自分の身体がこわばったり、心がギューっと掴まれるような感じになる人は「友だち」ではないから、近づかない努力をした方がいいし、例えばそれが「友だちだから仕方ないか」と我慢することは全く持って違う。(そんな奴に毎日会わなきゃいけないなら、学校に行く必要もないし、会社だって休めばいい。まじで。)
「ことばにするのは、難しいけれど「友だち」だということが、心と身体で感じられるもの。」それが定義と言えば、定義となるのだろうか。
僕が「友だち」だと思っている人が、僕のことを「友だち」だと思っていないこともあるし。逆に「友だち」だと思われていても僕が「友だち」だと思えない人もいる。やはり、「こういう条件を満たした人が友だちです!!」と言うことは難しい。もはや人だけじゃなく、犬だって、イルカだって、友だちだと思えることもあるけれど、すべての犬と友だちになれるかといえば、それはそういうわけではないんだ。
なんと不思議なものだろう「友だち」とは。
「わしらは怪しい雑魚釣り隊」を率いる椎名誠隊長の冒険エッセイは、冒険のものがたりでもあるけれど、それは友情のものがたりだし、今も連載が続いている「わしらは怪しい雑魚釣り隊」も、釣りのものがたりの様で、つまりは「友だち」のものがたりだし。
「お前がいないと、練習になんねぇ」
という自分の映画史上のなかでも至極の名セリフを残した映画、「ピンポン」も卓球のものがたりだけれど「友だち」のものがたりだ。
ピンポンといえば、原作は松本大洋で、松本さんの「sunny」も「友だちたち」のものがたりで。「かないくん」も「友だちの死」のものがたりだ。
「かないくん」といえば、文は谷川俊太郎で。谷川さんの「ともだち」という絵本もあった。
そうか。「友だち」とは「ものがたり」なのかもしれない。やわらかくて、ふわふわしていて、時には見えず、時には犬やイルカの形をしていて。時には映画や絵本の中にもあるもの。
あとは、僕が好きなほぼ日。
東日本大震災からの東北とのかかわり方も「友だちに会いにいくように」という言い方をしていて。
それは僕にとって「憧れの関係」であり「いい関係」であり「美しいもの」である。
「友だち」とは「関係性の美しさ」であるのか。
その時々の関係性で決まるものということは
「どんな人でも友だちになり得て、友だちかそうではないかは、その時々の「関係性」で決まる。」
ということはやはり「こういう人が友だちです」という定義はできないのは自然なことなのかもしれない。
「物質」を表すことばでななく「関係性」を表すものだから。
「ことばにするのは、難しいけれど「友だち」だということが、心と身体で感じられるもの。」
というところから、少し進み、改めて、定義をすると
「「友だち」とは「今ここ」にしかない「自分」と「誰か」の間にある、心と体で感じる一瞬の「ものがたり」」
というところまで、これを書きながら、考えが進んだ。
(書くって素晴らしい。)
昨日友だちだった誰かと「今日も友だち」という保証はどこにもなく、
かといってすぐに崩れるかといえばそうでもなく
「今日も僕ら友だちだよね?」と確認するものでもなく。
「おはよー」
「あ、おはよー」
目が合えば挨拶をして。
今日も誰かと、昨日とは違う、新しい友だちとして、
僕らは日々をすごしていく。
そんな日々の中でおすしが、握りたい。
それだけ!!
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