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なっちゃんが住む町で働きます。

10月からの仕事は、新百合ヶ丘の魚居酒屋で料理長として働くこととなりました。お店の詳細は落ち着いたら報告します。
 新規オープン5ヶ月で料理長をクビにして、現在1ヶ月半お店を閉めてるグダグダなお店で、正直大丈夫か、、、。というような感じですが、会社自体は本業が別の水産関係の仕事で稼いでいて、そっちの活動が面白そうなのでとりあえず、行ってきます。

新百合ヶ丘は、小田急線沿いの神奈川県。新興住宅街で、徒歩圏内に音大があり、イオンシネマもあり、駅前に駅ビルとスタバがあって。この町でパパとママとして暮らす人たちが、スーツに着替えて、何かしらの肩書きを背負いながら電車に乗って東京に向かう。

僕のイメージだけだけど、そんな人たちが沢山住む町だ。

その人たちにとって「あぁ近所にこんなお店があったらよかったな」というお店にしていければ。

おしゃれして、待ち合わせしてデートに向かうように、わざわざ来るようなレストランじゃないけれど、近くにこんなお店がったらいい。それが、自分の中でのコンセプト。

そこに近づくには、程遠いほど内情は厳しいけれど、ぼちぼちやっていこうと思う。

新百合ヶ丘は、今回の職場で声がかかって、初めて降りた駅。新百合ヶ丘と聞いて、思い浮かぶことと言えば、大学時代の友達、なっちゃんが住む町。
それが、僕が知っている新百合ヶ丘。

なっちゃんは、高校時代から続けているボランティア活動の団体で知り合った、ひとつ年上の先輩。小・中学生が参加する自然体験のサマーキャンプで、多くて60人くらいの子どもたちが参加する。それを7人くらいの班にわけて、その班をまとめる役割とかをやっていた。毎月の週末キャンプや長期休暇のキャンプに僕たちは参加していた。

その運営事務所が小田急線、参宮橋駅にあるオリンピックセンターの中にあって、多い時はキャンプの企画会議などで、週に5回はそこに通っていた。

なっちゃんちの実家は下町でコーヒー豆屋さんを営んでいて、実家が鶯谷にあり、僕はその時、西日暮里にに住んでいて。小田急線から新宿経由の山手線で、帰り道が一緒だった。

一緒に活動したのは2年くらいかな。なっちゃんと、もうひとりなっちゃんと同い年のみほちゃんと、3人でよく一緒に帰った。なっちゃんは、地元ではミス浅草に選ばれ、大学のサークルではチアリーダーをやり、学生最後の思い出にと、ピースボートに乗ったり。明るく元気で、人の文句も言わないし、活動的で、彼女の嫌いな人はいないんじゃないかと思うような人だった。(共通の友達のダイスケとはいつもお互いが「なっちゃん、俺のこと好きだと思うんだよねー」と言い合って盛り上がっていた。)

僕よりひとつ先輩なので、1年先に就活を始めた。希望はアナウンサーだった。なっちゃんらしいなと思った。全国放送の民放じゃなくて、地方局で体を貼るロケをやったり、天然でイジられるみたいなアナウンサーになるんだろうなと想像できた。

就活をはじめて、参宮橋には通わなくなってから、あまり会わなくなっていた。それから2ヶ月くらいすると、「たらー(僕のあだ名)。ちょっと寄っていい?」と
突然、21時くらいにメールがきて、ちょいちょい、うちに寄るようになった。

「アナウンサー志望学生に向けたセミナー」に出た帰りには、飲めないお酒をちょっとだけ飲んできて、すごいテンションで半分洗脳されたように、熱く就活論とその先生がいかにすごいかを語っていたり。

就活をするには「自己採点」という自分がどういう人間かを明確にする作業をしなきゃいけないらしくて。それが大変だけど面白いという話をしていた。

直接は言わなかったけれど、あまりうまくいっていなそうだった。背伸びをしながらすごく頑張っていたけれど、ちょっと苦しそうだった。

「大人になるってこういうことか」とか「ここまでして就職したくねーな、、、、」と僕は思いながら、「ちょっと寄っていい?」は、なっちゃんの中で結構なSOSなことは、雰囲気から伝わってきた。僕は励ましもしなかったし、やめればいいのにとも言わず。ただ聞いていた。笑えるとこは笑って、お茶を飲んで「じゃあまたねー」と見送った。

結局、なっちゃんはアナウンサーにはなれなかった。でもそれから、すぐに軌道修正をして、出版取次の大手に就職して、それから2〜3年で同期の男の子とあっさり結婚し、今では3人の子どものママになった。

あっさりと、ふつうの幸せを、手に入れた。

旦那さんからのプロポーズは「これを最後の恋にしたい」だ。

僕は、マジか!!!!と思った。
20代前半で最後の恋でいいんか!!

ドラマの中でも使われないようなアツいセリフを本当に言う人がいるんだと心底驚いたし。しかも、格好つけてるわけじゃなくて、素直にそう思ってることも伝わってくるようないい人だった。そんなこと言ってくれる人を見つけるのも、屈託無く、プロポーズの話を夫婦でできるのも、やはりなっちゃんぽかった。

その時僕は鮨屋に勤めたばかりで、希望の休みを取れる訳もなく、なっちゃんのウェディングドレス姿を見ることはできなかったけれど、相当輝いていたと思う。

それから夫婦で都内に住んでいて、ふたりめの子どもが産まれる頃には、彼の実家ちかくの新百合ヶ丘という町に引っ越して、なっちゃんとは、それから一度も会っていない。

(ちなみに、もうひとりの帰り道仲間みほちゃんは、しゃべらなければモテる子だけど、しゃべるとアホで、例えば卒業式のシーンとしてる中でのスピーチで誰かが噛むと、笑わずにはいられないし。合唱コンクールで誰かが音をはずしたりしても、笑わずにいられない。そのエピソードを喋りながら、思い出し笑いで、ケラケラケラと自分が一番笑っていた。
相手がオタクだったら、初対面でもグイグイ絡んでイジり倒し、周りにヒカれるような時もあったし。背も高く手足も長い見た目を活かした「生まれたての子鹿」の形態模写のふりきり感は超おもしろかった。
そういう影響が多分にでて婚期をのがしていたけれど、コンパという名のゴリゴリの婚活の末、3年前にとっても素敵な彼と出会って結婚した。)

なっちゃんは、僕の憧れる「ふつう」を全て持っていて。
「ふつう」ながらも、ちゃんと、なっちゃんらしい人生を歩んでいる。

僕は僕で一度だけ就職活動をしたんだけれど。
途中でせっかく仕立てたスーツを、電車の棚におき忘れて。
もうスーツを買うお金がなくて、就活をやめた。

そして、僕は鮨職人になった。

サービス業という職柄、いろんな人に出会い、
東京、札幌、気仙沼。いろんな町で沢山のスペシャリストに出会った。
そういう仕事にももちろん憧れるけれど、僕が一番憧れているのは、なっちゃんが過ごしているような、ふつうの家庭かもしれない。

なっちゃんが住む町ならば、きっと楽しいことが待っているだろう。
なっちゃんちにも、おすしを握りにいこう。働くお店も「たらー、ちょっと寄っていい??」あの頃のなっちゃんのように、気軽に町の人が寄れる場所になればいいなと思う。

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