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おもんないいう奴がおもんないねん

実はこの文章は、以前書いたのになんとなくチャンスを逃してあげられずにいたんだけど、カジサックのYouTubeチャンネルに矢部さんが出てこの件に触れていることと、昨年岡村さんも出てたので、まさかのナイナイ揃っちゃったし、もうこのタイミング逃したらあれかな〜、と思ってただのナイナイ好きの戯言をあげて供養することにしました。ちなみに矢部さんのおしゃべりがとってもおもろかったので、ぜひ見て欲しい。岡村さんに比べて芸もなくて何がおもろいの?とか未だに言われたりもしますが、岡村隆史を見つけ出し、岡村隆史を面白い人にした張本人だと思うし、何よりあの人の相方で居続けるのは楽ではなかったと思います。それは矢部さん本人が下手な芸を身にまとうよりも、ある意味すごいことではないかと思いますので、見て欲しいです。

https://youtu.be/n8MIV1ZSN0Y


以下、春頃に書き殴ったやつです。


豆球だけでセピア色に染まる寝室、親子4人、川の字で寝ていた。父の赤いSONYのラジカセ(※1)から流れてくるのは確かNHKラジオ深夜便。その音が怖かった。多分これは小学校上がる直前のことで、私がラジオに触れたいちばん古い記憶。

テレビは高いから、とラジカセを買ってくれたのは9〜10歳になる頃だったと思う。
世の中CDバブルに沸いていた90年代中盤、まずは音楽にハマった。

その頃テレビは、とんねるずはもうめちゃくちゃ人気だったし、その少し下のダウンタウンとウッチャンナンチャンが、ゴールデンを席巻していた。人気番組だった元気が出るテレビは、正直私の世代では最前線ではなかった。そんな中、フジテレビの土曜8時「学校では教えてくれないこと」TBSの火曜10時「ジャングルTV(※2)」に出ていた若手のコンビ芸人を一発で好きになった。
それがナインティナインだった。

夕方時代からぐるナイも見た。めちゃモテも夜更かしして見た。ナイナイナは平日だから夜更かしできずあんまり見れなくて、天素も親に隠れて見始めた頃にはもう辞める頃だった。(どこで天素にいたなんて情報得たんやろ、十になるかならんかの子が)
彼らはラジオもやっていた。木曜深夜1時「ナインティナインのオールナイトニッポン」
買ってもらったラジカセはすぐ役に立った。あっという間にヘビーリスナーになった。しかし寝落ちするのが小学生。1時に録音ボタンを押して、120分テープに録音しては聴き、翌週は上書きしていた。
これが深夜ラジオとの出会いだった。

そこから色んな番組を聴いたし、チンケで陳腐でありふれた言葉だけど、特にティーンエイジャーの頃はラジオは自分の味方のように思っていた人間のひとりで。
子供の頃は怖かったラジオが、今は一番の友達になっている。
2014年の矢部さんの卒業、私の生活スタイルの変化など、なんやかんやありながらもナイナイのオールナイトは聴き続けてた。歌謡祭もいつも仕事で行けなくて、知り合いの方がお土産を買ってきてくださったりして。


今回のことは、悲しかったし悔しかった。
怒ってるというよりは、悔しさが強く出ていた。リスナーにも少なからず責任がある、はまさにそうやと思った。あの日は寝落ちして、タイムフリーで聴こうとしたらなんか大変なことになって、もうそうなって聴くと「確かにこれは…」と思った。ただあの時は、聴いてない人が文字ベースだけで批判してるのも見て、それはちゃうぞと思っていた。批判するからには聴け。そして謝罪も聴け。聴かずにいうてるのは「批判」というのか?という怒りがあった。そしてネットやSNSでなく、その怒りは番組に投書してくれと思った。怒っている人が、真っ正面から、本人を怒ってほしかった。少なくとも、長く聴いてきた身としては、そうするほうが「これは大変な事だ、してはいけない、言うべきではなかった事だ」と感じてもらえると思ったし、まあもしそれで逃げたらそれまでの人間やし、芸人。と思っていた。

そうしたら、聴いたことの無い声とトーン。想像の数倍、狼狽していた。真正面から怒って説教したのは、批判してた人ではなく相方だった。この方法が必ずしも正しかったのかは、今でもなんとも言えない部分はあるけど、でも、このコンビのやり方としては正解だったのではないかな。ただこのやり方が、モデルケースになるのは違うと思うけど。

この問題を1人でなく、コンビとして背負うべきカルマと考え、 2人でやり直せるというのは、ある意味では幸福かもしれない。コンビってええな。あと、やめないのもよかった。なんか言われて辞められるような、そんな番組と思いたくなかった。間違ったところで、今度は間違わないようにまたやり直したい、というのは、周りも含めキツいと思う。それこそなんかあったから、はい、辞めよう、というほうが、そりゃみんな楽だし、手っ取り早いだろう。だけどそれは、どんな言い訳より酷い「逃げ」だとも思った。
でも、辞めないというたあのトーンは、それ続けられるんかホンマに?とこちらが思うほどだったけど。

と、まあ、復帰理由が理由やし、手放しに喜ぶのもあかんかな?と思ってしまうけども、嬉しいものは嬉しい!上の記憶も、時系列が正解かわからず、実はいつから聴いてたか、もうはっきりとは思い出せないくらい。97年には間違いなくリスナーだったし既に毎週聴くヘビーリスナーだったので、恐らく24年は聴いてると思います。

提クレ、宛先、点取り、矢部氏がやるの感動~(笑)久しぶりの岡村さんのJRのマネ!(笑)声のトーンが戻ったどころか、ふたりのどなり、めちゃくちゃ明るい!(笑)フルネーム名乗ったことあったかな?昔は個人名すら言うてなかったのに!番組ラストの黒沢さんからのメールがほんまにそれやったな~!最終回の最後の最後「またなんかあったら来ますし、岡村さんになんかあったら呼ばれると思いますけど…」って言うてたのよなあ矢部さん。ほんまに来たなあ。
そして20年以上ぶりに水曜0時、木曜0時、木曜1時がおもろい番組になった!実はあんなにテレビっ子だった私が、コロナストレスで録画番組以外全然見なくなったところにこれ!心の平穏を、岡村さんだけでなく私も得られそうです(笑)

あと、ニッポン放送さんはスポンサーさんのこともあるし、本当にこの件で大変だったと思います。最初に謝ったのもニッポン放送だったし。(わたしLFに謝って欲しいのと違うって言うたのよねTwitterで。今考えたら矢面に立ってくれたのに、怒りに任せてひどいこと言うた…本当にごめんなさい。)続けさせてくださって、やり直す場を与えてくださってありがとうございます!ナインティナインのオールナイトニッポンがなかったら、わたしは深夜ラジオを聴くのにここまでハマらなかったかもしれないし、死にたくなるほどのことがあっても、来週のオールナイト聴きたいしな、と思ってここまで生きてきました。そして快く送り出してくださった、ビッグハットさんかっこいい。最終回の時同様「裏に取られちゃうよ」言うてくれた、おぎやはぎさんのメガネびいきも聴かんとなあ!嬉しいなー。

毎週上書きしてたカセットはいつしかMDになり、さらにラジカセはスマホのradikoになって、録音しなくても一週間はいつでもきけるようになった。2020年。またナインティナインのオールナイトニッポンのリスナーになれる幸福を噛み締めます。


※1 https://search.yahoo.co.jp/image/search%3B_ylt=A2RimVDC2r1eGDoA0Rv0oPB7?p=CFM-140TV&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
たぶんこれ。Its' a SONYのマークの既視感がすごい。ちなみにメルカリで5000円で動作確認済みのものが出品されててびっくり。えっお前何年製?!

※2 本当は制作はMBSだけどそう書くとややこしいので…



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