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履歴書



高校を卒業して工場に就職した。猿でもできるような仕事に辟易し、一年で退職。そこから二年、役者になりたいと言い出し、新橋にある養成所に通いながらフリーター生活。パチ屋、すき家、居酒屋のキャッチ、派遣、コンビニ、色々やった。養成所の契約期間である二年が過ぎ、家族が解散するだのなんだのがあり池袋で一人暮らしをする事になった。サンシャイン通りにある牛角で二年くらい働いた。当時付き合っていた子と「同棲したいねー」という話になり、三茶の不動産に就職。半年ほどか。物の見事にその子とは別れた。

ヤケになった俺は長野へ移住する。

「東京にいる必要もない。どこか田舎でのんびりやりてぇ」

引越しのサカイに就職した。当時、弾丸で長野へ行き、その日に三社面接を受けて決めた。「うち来てくれれば東京からの引越し代いらないよ」所長のこの一言が決め手だ。半年ほどか。

「もうちょい山の方行きてぇな」

市内から抜け出し、北上する。信濃大町という地で観光ホテルに勤めた。半年ほどか。

「もっと上行きてぇなぁ!」

安曇野。上高地近くの老舗旅館で働く。最寄りのコンビニまでは山道を車で一時間走らせるような場所だった。半年ほどか?ここからはもう記憶が曖昧だ。次は白馬の居酒屋へ。そこは冬のシーズンだけ営業をしている店だった。客の9割は外国人。スキーをしに来ていた。

「お前さ、行くとこないやろ。俺と静岡行こうや」

冬はスノボ。その他の時期はサーフィンをしていて、いくつかスポンサーも付いているという居酒屋パイセンの一言で静岡へ。茶積みをした。文字通り奴隷のように働かされたが、金も稼げた。

「なーんか、キラキラしてぇな」

筑波のホストクラブでNo.1を維持し続けている幼なじみの男から、数年前に「一緒にやらないか」と誘われたが、断った。

「まだやってんの?」
「やってるよ。やる?」

群馬へ。アンダーグラウンドだった。クズ達が集まっていた。営業中、酒に酔った俺は代表に喧嘩を売り、投げられた鏡月のボトルが頭に当たり三針縫う事になった。長野へ戻る。飛ぶ。と言った方が正しいな。コロナが来た。旅館や飲食業はめっきり稼げなくなり、インフラ関係の仕事を探す。九州にあるダイハツへ。車を製造した。しばらくするとまたコロナの影響で部品供給が回らなくなりラインがストップ。色々あり、東京の牛角へ戻った。

今は店長をやっている。

今年で三十一になる。

これが、私の履歴書。


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