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311, 渋谷から横浜までの12時間

わたしはいまサラリーマンで、10年前には想像もつかなかった"はたらく"をやってそろそろ丸6年になる。この10年間、大学生をやって、サラリーマンになって、何ヵ所も引っ越した。国内旅行は結構たくさんしてきて、東北に行くたびに爪痕はやはり感じてしまうし、でも感じなくなるのも良くないよなと思ったりしてきた。たまたま仕事の関係で、石巻でボランティアめいたことをしたこともある。でも爪痕を感じたとて、わたしは都会っ子の部外者だなぁと常に負い目のような感覚がある。ただ、ひとつの史料として、都会っ子の経験もひとつ残すことに意味はゼロじゃないんじゃないかと思うから、渋谷から横浜に12時間かけて帰った日のことを思い出してみる。



あのとき、わたしは渋谷で母と買い物をしていた。第一志望の大学に受かって、進路が決まったばかり。人生で一番浮かれていた。3月頭には高校の卒業式を終えていて、卒業旅行とか、クラスの友達と遊ぶとか部活の友達と遊ぶとか、予定をそれなりに詰め込んだ春休みの只中だった。

最初旧パルコ1階で揺れて、大きかったね〜って話ながら、でもそんな店内で何かあった感じもなく、買い物を続けた。スペイン坂の靴屋で2回目。そのとき、ヒールを履いていて、可愛かったからかその後を見越してか忘れたけれど、そのお店でぺたんこのブーツを買ってもらった。あとあと道すがら、わたしは新しいぺたんこのブーツに履き替え、ヒール靴を履いていた母はわたしが履いていたスケッチャーズのウェッジソールパンプスに履き替えた、気がする。

靴屋さんを後にしたとき、流石に周りをみて、どうやら交通機関とか止まりまくっておかしいぞ、ただごとではないぞ、と気づいた。でもまだこの時は、こんなタグができるような、毎年特集されるようなことが起きてるなんて微塵も思っていなかった。

地震が起きて1時間後くらいには母がまとまった金額の現金を、宮下パークのあたり、チョコレート屋さんリンツ近くのみずほ銀行でおろしていたのを覚えている。

そのあと東横線沿いに学芸大学や目黒あたりまで歩いた。途中で自宅のある神奈川県に入れるようなバスを見つけて、乗ったと思う。とりあえず多摩川は越えられると。途中でコンビニでホットスナックを買ってもらった。

1つめのバスはとても混んでいて、30分前のメールが今届くのは、バスの混雑のせいだと思っていた。1つめのバスで神奈川県に入って、そこでさらに自宅に近づける、横浜市内に入れるバスを遠目に見かけた。わたしは視力が悪いのだけど、かろうじて新横浜行、の文字が見えて、スーパーで少しパンを買ってもらって母と2人で乗り込んだ。そのときのスーパーにはもうほとんど品物がなくて、不安だったからたくさん買っておきたかったけど、そういう空気でもなくて、2-3袋くらいに購入を抑えたと記憶している。あと、2つめのバスでは運良く座れた記憶がある。

新横浜駅に着いた頃にはたぶんもう21時とかで、とりあえず新横浜プリンスホテルに行ってみた。今思えばあのとき、スマホも持ってなくて、Twitterもmixiもやってなかった。ラジオを聞けるMP3を持っていたのだけど、存在をすっかり忘れていた。新横浜プリンスではロビーにテレビがあって、そこで初めて津波という言葉を聞いた。その瞬間まで、こんなに混乱しているのは首都圏だけで、帰宅困難者、自分たちが一番大変なんだとすら思っていたと思う。21時頃にはじめて、そういう次元ではないと知った。

そしてその頃、新横浜プリンスが1部屋か1人9000円で、女性子供しかいないグループから部屋を提供するとアナウンスし始めた。運良く女性2人組だったから、これに申し込むかどうか、そんなときに、とても時差のあるメールをやりとりした果てに父が車でホテルまで迎えに来てくれて、そこから渋滞に巻き込まれながら数時間かけて自宅に帰って、もうその時には深夜の1時2時を回っていたと思う。べつに怖い思いをしたわけでもないのに、やっぱり気を張っていたということなのか、安心したからか、帰りの車の中で少し泣けてきて家族に引かれた記憶がある。

翌日にはわたしは留守番をしながら母が電池やらなんやらを買い足していて、テレビはぜんぶ避難所中継、ぽぽぽぽーんの嵐、色々中止になった。後期試験を出願していた大学からは定期的に試験日が変わるとか変わらないとか、試験は中止になりました、センター試験で判断しますと連絡が来ていた。大学職員も大変だったと思う。



大学の入学式や数々のオリエンテーションイベントは中止になったけど、わたしは結局311では何も失ってないし、そのせいで何かに忙殺されたこともないし、人生の転機にもならなかった。だからこのnoteがなにかの足しになるとは到底思えないんだけど、ひとりの首都圏の高校生の体験も一つのサンプルとして参照してくれる人がいるのであれば、と残しておきます。



#それぞれの10年

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