盲腸 (前半)

 二〇一五年九月。シルバーウイークの最中のことだった。
吹奏楽部に所属していた私はその日も練習に励んでいた。正午になり香辛料のよく効いたカップラーメンを食べた。音楽室に隣接している、音楽準備室という場所には大抵のものは揃っている。ポットもレンジもある。食べ終わって椅子から立ち上がろうとしたその時だった。突然耐え難い腹痛に襲われたのだ。さっき食べたカップラーメンが原因か。しばらく座っていたがどうも腹痛は治まりそうになかった。私は母に電話で学校まで迎えに来てほしいとだけ伝えた。同じ打楽器パートの人にだけ事情を説明して、帰ることにした。彼女らは、特に心配する様子もなくこぞって不信そうな眼差しで私を見つめた。それを無視して、鞄を持って音楽室を出た。正面玄関でスリッパからローファーに履き替え、正門の前まで歩いた。車を待ち続けること数分、さっきまでの痛みとはまるで違う、無数の棘で一斉に腹部を刺されるような激痛に、私はとうとう立っていられなくなり、体中の空気が抜けたみたいにその場に座り込んでしまった。

母の乗った車がこちらへ向かってくるのが見えた。最後の力を振り絞るかのようにして立ち上がり、後部座席へ乗り込むと、すぐさま横たわった。自分の声とは思えないほど掠れた、まるで重い病を患っているおじいさんのような呻き声を発し、母を驚かせた。
「あれ、声変わりした?」
 何でそうなる! 心の中で叫んでみたが、それは言葉にはならなかった。

 目を覚ますと、寝室だった。どうやら後部座席でそのまま眠ってしまったようだが、ここまで自力で移動してきたのだろうか。全く憶えていない。あれ、と私は思った。痛みが無いのだ。試しに立ち上がって歩いてみたが何ともないように思った。しかし下腹のほうを触ってみると、痛かった。が、あの時のことを思えば比較にならないほどに和らいでいた。

しばらくして父が帰宅した。念のため薬を飲んでおいたほうがいいと言われて渡されたのが正露丸だった。錠剤が飲めない私は、あのとんでもなくどぎついニオイの正露丸を三粒口に放り込み、噛んで飲んだ。
 
正露丸を飲んだところで変化が見られなかったため、母に相談してみた。
「生理痛やないの?」
「ちゃう。」
「筋肉痛は?」
「そういうのやない。」
「そうやなかったら、モウチョウかもしれやんな。」
「モウチョウって何や。」
「やけれどモウチョウって痛むん左側やなかったかな。自分から見たら右なんやろか。そういやマッサがモウチョウなったことあったわ。ちょっとラインで聞いてみたろ。」
「んで、結局モウチョウって何。」
「あ! もうこんな時間や。さっさと風呂入らな月九始まるやん!」
 そう言うと、母は勢いよくリビングから飛び出していった。
 モウチョウって何やねん!

 グーグルで検索してみた。
『モウチョウ とは』
 あ、母が言っていた「マッサ」とは、母の二つ下の弟である。つまり私の叔父にあたる人で、身長が百九十一センチもある。本当は「マサヨシ」という。
 話を戻そう。モウチョウについて調べた結果分かったことは、病名としては盲腸ではなく「虫垂炎」という名称が正しいということと、盲腸から出ている細長い器官である虫垂が炎症を起こして痛むのだということである。そして、虫垂が右下腹部に位置しているということであった。
絶対これやん、と小声で呟いた。
 手術で盲腸を取り除かなければいけないらしいので祝日が終わる明後日に病院へ行くことにした。

「えー、お腹の右下あたりが痛むということですねー。盲腸の疑いがあるんでとりあえずレントゲン撮って、結果を見ましょう。」

「あー、間違いないですね。盲腸です。それほど炎症はひどくありませんが、手術しといたほうがいいかもしれませんねー。点滴で炎症を鎮めることもできますが、あくまで一時的なものなので、いつ再発するかも分かりませんし。」
「母と相談してきます。」
 私は診察室を出て、母のいる待合室へ向かった。
「やっぱり盲腸やったわ。」
「右、 左、どっちやったん?」
「手術しやなあかんって。」
「すればええやん。」
「え?」
「やから、手術。すればええやん。」
「軽いな!」

 再び診察室へと戻る。
「手術します。」
「そーですか。」
 その後、手術の概要やら何やら、例えば下半身麻酔で行いますよとかそういうことを説明され、手術は三週間後の十月十五日に決まった。


 これは少し前に書いた『盲腸』という小説といっていいのかも疑問なエッセイみたいな一応多分小説です。こちらは前半です。のちほど後半も載せますよかったら読んでみてください。

#小説 #盲腸 #エッセイ

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