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【プロフィール7】不登校の息子の県立高校受験に行けただけで感慨無量、泣けてきた

三年前の今頃は絶不調だった息子君

3年前に中学進学の頃の息子は高校受験の日を迎えるとは考えられませんでした。

親の私が自分の夢を幼い子供に押し付けて中高一貫校に受験をさせようとして、無理をさせ子供本来の伸びる芽を詰んでしまったのです。そのために、子供が食欲不振、昼夜逆転、寝たっきりのうつ、起立性低血圧のようになったからです。

10才の時は、完全なネガティブでイヤイヤ期でした。子どもなのに全て却下、ノー、逃げる、隠れる、塞ぎ込むの手の付けられない状態でした。

母一人幼い息子一人の母子密着家庭状況の中で、障がい者一級の夫の介護、90代の義母の介護をしていましたから、不安や無力感、悲しみ、罪悪感、孤独感を全部息子は感じてしまっていたのです。

その上、私は息子に過去の親や夫を転移したり、過去の自分を投影したり、悪循環にハマっていました。当に、子どもに重荷を背負わす親子逆転の毒親さながらでした。

さらに、近所の方まで、幼い息子に対して「お母さんを支えるんだよ。がんばれよ。」というメッセージを送っていたので、小学4年生の時に息子はプレッシャーでしかなかった。

さらにさらに、外部の刺激から親の私が守ってあげられない分、小さいココロと体にどれだけ負担が直接かかっていたか当時を偲びますと、申し訳なさがこみ上げてきます。


小学4年から中学3年まで不登校の息子がしたこと

彼は一切「嫌だ」と思うことはできませんでした。自発的にすること以外は受け付けない感じでした。

学校の先生から言われても学校に行きませんでした。しかし、高校受験をすると決めてからは必要な時に学校に行くようになりました。

区役所の支援課家庭相談室には行ったり行かなかったりでしたが、受験を決めてからは支援員の方を頼りに定期面接を自分で決めて頑張っていました。

昼夜逆転は直っていません。が、受験日は徹夜したまま試験会場に行きました。ひとりで帰ってきました。

勉強もしている様子は見えませんでした。模擬試験は一度も受けませんでした。その代わり、好きなことは毎日コツコツしていました。

私たち親子は境界線を守りながら何でも話せる関係性になっています。私の方が何度か息子の領域に入りましたが、彼はしっかり「今は忙しい」とか「嫌だ」とか「これお願い」とか言いたいことを私に言えています。また、私も息子を心配しすぎないで、信頼して本人に委ねることが自然と出来るようになっています。


母子密着共依存を止められました

変化①
彼の人生を何とかしようと一切しなくなりました。
彼の人生を支配コントロールしなくなったのです。
どうなったかというと、私は自分のやりたいことを見つけて優先するようになりました。

変化②
それから、彼の気持ちに共感できるようになりました。以前は一心同体のように彼の気持ちを同一に乗っ取っていました。(~_~;)
共感と同感は違います。共感は相手がどう思うかを尊重していますが、同感は全く同じ気持ちになることです。

変化③
彼に正解、不正解、条件を持ち出さなくなりました。自分にも他人にもいちいちジャッジしなくなりました。

変化④
私からの一方的な言い方ではなく、彼と雑談を交わすようになりました。

変化⑤
私は子どもに「学校に行きなさい」とか「勉強しなさい」と言うようなことは全く言わなくなりました。その代わり「あなたはすごい素敵だね。」「できるね。」「信頼しているよ。」と言えます。

彼には高校生活を思いっきり過ごして欲しい。


息子の門出を親として見送りたいと思います。

機会をくれる息子に感謝しています。

そして、私自身も親の責任から解放され自由になりたいと思っています。

子離れをしていき、自分の人生も思いっきり生きて、今度は自分のパートナーと共に旅行など楽しめるようになっていきたいものです。

セカンドライフスタート!タラニ

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