見出し画像

音楽に疲れる時、僕はクロマニヨンズを聞く

・音楽をろくに知らない無知蒙昧かつ浅慮な人間が適当に話していますので怒らないでください。よろしくお願いします。

どこにでもある普通の悩みをまるで特別な何かのように思いこみたい。
自分が特別だと思いたい。そういう、幼さが世界には溢れている。共感性だけを抽出したような音楽が街ではながれて、それは各々が受け取って自分の体験のことだと解釈する。人生は劇的で悲劇的であるという錯覚。誰もに素敵な個性があるという幻覚。それこそが、創作の受け取り方の大きなメインストーリームだと思う。

で、ついついそういう音楽ばかり意図せずに聞いてしまうし、そういうのがはやってるんだなとも思う(実際はどうなんだろう)

もちろん、そういうのと逆の音楽だって滅茶苦茶あるし、ただ出会ってないだけなのだけれど、時折自分は音楽を聴くのが疲れたなぁと思う時があって、それはなんというか、意味がありすぎる歌詞に疲れちゃってる時なのだ。


そういう時、僕はザ・クロマニヨンズを聞く。
ザ・クロマニヨンズは甲本ヒロト(Vo)、真島昌利(G)、桐田勝治(Dr)、小林勝(B)で構成されたロックバンドだ。曲はいたってシンプル。もちろん、そこに厚みが無いわけではなく、彼らは人生の中でずっとロックンロールをやり続けているから、シンプルで純粋なロックンロールの中に、情緒と意味合いがのっかっている。そして、一番に感じるのは、やはりエネルギーだ。決してお洒落ではない。垢ぬけた音楽ではないと思う。ロックンロールなんて、もはや老人の音楽だと言われて久しい現代で、めちゃくちゃ純粋なロックンロールをやり続ける一貫性、パワー。ロックが好きなんだという気持ちが抜群に耳から伝わってくる。

僕は意味合いに疲れると言った。そうだ。意味合いが強すぎて、しんどくなる時がある。もちろん、ザ・クロマニヨンズの音楽だって強い意味合いがあったりする。けれど、大事なのはそこではなく、あり方なのだ。

それこそ甲本ヒロトと真島昌利はメッセージ性の強い歌詞をバリバリに書いてきているし、それが時代に残る名曲にもなっている。しかし、音楽性は変わっていない。特にザ・クロマニヨンズは一生同じ音楽をやっていると言っても過言ではないし、流行りの曲のような密度(多重にいろんな楽器が混ざりあっているような)はない。けれどその音楽を十年以上貫いてやり続けているあり方が、僕のような人間には何より眩しくて、救いなのだ。生きる力を直接くれる。歌詞だけじゃない。音だけじゃない。あり方なのだ。

というわけで、早くクロマニヨンズはサブスク解禁してください。それか、MVをfullにしてください。頼む(人に勧めづらくて仕方がない……もっといろんな人に聞いてほしい)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?