母と妻、私とは。
いやーーー。
英語を勉強し始めて1ヶ月。
まぁ驚くほど時間がとれない。
あくまでも趣味の一環なので、期限があるわけでもなく、達成しなければならない目標もない。
それでも、新しい目標を持つことに決めた私に突きつけられたのは…
いまの私に人権はない
その現実だけだった。
半年ほど前から始まった、夫の激務。
終わりは見えず平日休日問わずワンオペが常態化していて、パートとはいえ仕事をしている私は仕事と家事と育児をほぼひとりで担っている。
魔の3歳児。
そう言われる所以は、反抗期と同じで”自分はどれだけ愛してもらえているか”を試して確認していくさまが、とてつもなくややこしいからである。
息子ももれなくややこしい。
自他共に認める、お母さんっ子。
もうめちゃめちゃかわいいんだけれど、ひたすら求められて、叶わないと泣かれ叫ばれ、それでも家事もしなければならず、私って何だろう、、に行き着く。
子どもが好きで仕方がない!24時間一緒にいたい!と思うタイプでは全くないけれど、息子のことはとても愛している。こんなに我が子が可愛いなんて、全く予想もしていなかったほど。
それでも私は24時間戦わなければならないだろうか。
それほどまでに、母親は全てを差し出さなければならないだろうか。
たった一日数十分でもいいからちょっと静かに勉強がしたい。
私の願いは、ワガママなのだろうか。
激務の夫も大変である。
でも、働いた分がきちんと給与に反映される夫がうらやましい。
嬉しそうに給与明細を見せてくる夫に、終電まで働けるのは、誰かがその間子どもを見てるからだよね?と意地悪に言いたくなる。
仕事だけしてたら楽やん、意地でも服を着ん奴とか、トイレついてきてとか言う奴おらんやん!と言いたくなる。
でも本当はそんなことが言いたいわけじゃない。
本当は一緒に子育てがしたい。
協力して家のことを何もかもできていた時間が懐かしい。
ふたり落ち着いて話ができたのはいつの頃だろう。
大したものではないけれど、一生懸命作った夕飯は無言で吸い込まれ、当たり前にシンクに置かれたカピカピの食器。
忙しいという大義名分の下、お風呂上がりのお風呂掃除の約束も言わなければ果たされることもない。
私の人生はどこにあるのだろう。
一日の全てを仕事や家事育児に捧げているのに、どうしてこんなに空虚なのだろうか。
母親って?妻って?なんだろう。
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