鱈井元衡

歴史と言語が趣味 お問合せ tarawi_novel@yahoo.co.jp

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  • 日本未来誌-FUTURITATES JAPONICAE 設定

    架空歴史小説シリーズ「日本未来誌 -FUTURITATES JAPONICAE-」にまつわる設定資料をまとめていきます。二次創作などご自由にどうぞ。

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    ネタ帳とか。

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「なろう」とかいう魔窟www

 あれ……この作品ずっと更新されてぇな?  あれ……作者、ツイッター見ても更新されてないんだが?  おいおい。本当にやめちまったのか? 創作活動?  ざざけんな! てめえの作品が更新されるのを期待してたんだろうが! なんで、なんで音沙汰亡しなんや。もう気が狂う。  僕は「なろう」で活動してもう五年になるが、正直言って「なろう」っつーサイトは魔窟だと思う。  こいつは面白い作品書くんじゃねえか? と見込んだ人間が創作活動をやめちまうのが普通に起きるし、あんなに評判のあった連中

    • フクイのトーホク喪失

      ホカイドが2426年にフクイの支配を脱した後、2460年ついでトーホクが独立した経緯は次のようなものである。  2326年の征服以降トーホクには絶えずフクイ人が流れ込み、トーホク人はフクイへの隷従を強いられた。そのために絶えずフクイ人への反乱が起きていたが、一方でこの地に定着したフクイ人が本国からの支配に反抗して蜂起することもあった。数世代が経つと両者の混血が進み、トーホク人とフクイ人は分かちがたいほどに混在していた。  2426年以降、ホカイドからの難民がトーホクに押し寄

      • サガミ・アロマ

        2352-2420 相良 芳香  フクイ国のアキタ属州オリコシナイにて生まれる。父親から古代の歴史や地理に関しての教育を受けた。この時期、フクイはまだアキタ内陸を支配しておらず、アロマの父はしばしば内陸の探検に出かけていた。アロマも彼と旅を共にし、アキタやアオモリの各地を巡った。このことは彼女に世界を見る上で、非常に多角的な視点を提供した。  2370年代以降、フクイはオシマ半島から出撃して本格的にホカイドの征服を進めた。入植のために多くのフクイ人がホカイドに渡った。アロマ

        • 謎の漢詩……

          何だこの漢詩! 何だこの漢詩は!? 數鬪 https://www.inven.co.kr/board/webzine/2097/795699 画像検索で調べてるとこんな文章がいくつかヒットする。 受學始發年 存奈齬廉耐 謎粉芥索紀 凱産足艱來 韓国語の訳文がついているにはついているが、はっきり言って漢文として読むにはかなり苦しい。 これを漢詩として解釈すれば、五言絶句、仄起こり、しかし韻は踏んでいない。耐は上声であり、平声の来とはマッチしないのだ。 無理矢理訓読する

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          仮面ライダーアギトを見終えて

           仮面ライダーアギト観終わった。本当に良かった。  人間が人間ならざるものになってしまった悲劇を、どう乗越えていくかというテーマに感動せずにはいられなかった。  やはりこれが一つの神話なのだ。幾多の登場人物が現れて目まぐるしく消えて行き、巻起こる事件に翻弄されていく。神秘的な事象がどんどん取捨されていく現代において、突然理解しがたい試練に見舞われた人間がどのように反応し、どのようにその本性を表していくかこの物語は様々な例をあげて教えてくれる。 『アギト』の世界において、人間

          仮面ライダーアギトを見終えて

          五柳先生伝を読む

           陶淵明の著した五柳先生伝は私小説に非常に近いものがあるのではないかと思われる。  少し前に、藤澤清造「根津権現裏」を読んだ。それ自体は架空でも、清造の貧窮した環境は主人公の身の回りの環境を反映している。そこに書かれているのはもう一つの自分だ。こうなるかもしれない自分や、自分が将来するかもしれない物を語るのが私小説の醍醐味。僕にとっては、自分のありうべき姿を想像し、書くことほど面白いことはない。 面白さの意味が違うとはいえ、僕がはまるのはこういう小説なのだ。  五柳先生とは

          五柳先生伝を読む

          詩の中の俗語

           文語と口語の違いは明確ではない。徒然草第十六段に、「常に聴き『たき』は琵琶・和琴」とあるように、どれほどかしこまった文体で書こうとしても、必ずその当時の話し言葉の影響が混じってくるものなのだ。  ラテン語にしてもそうで、教会の文書でも必ず古代ローマに使われていない文法やつづりが混じってくる。-ae-が-e-になってしまうような。misericordiae(慈悲の)とあるべき単語がmisericordieとなってしまうようにだ。  五胡十六国時代に成立した遊仙窟は漢文作品の中

          詩の中の俗語

          陶詩の技巧

           最近になって陶淵明の詩の暗記がすっかり習慣として定着した趣がある。すでに彼の四言古詩はほぼ習い終えた。暗記というのは実際に用いるためにやるのだから、それを実際に使わなければ自然に内容を忘れてしまう。覚え続けるためには、ひたすらに実践で続けるしかない。ではどう用いるのかと言うと、他でもなく漢詩そのものを吟味するために用いるのだ。  陶淵明は、スケールの大きな冒頭から目の前の狭い現実へ収束していく結末までを実に手際よく歌っている。  このような収束する感覚というのは詩において

          陶詩の技巧

          スペイン語の中のアラビア語

           僕がスペイン語の中にアラビア語由来の語彙に魅力を掻立てられるのは、それが本来ロマンス系の言語とは交わるはずのない異国の言語である以上に、民衆の口に膾炙し使われ続けたという事実があるからだろう。例えばそれは、近代になって西洋の概念を漢字で表すために作られた造語とは違って、もうどういう風に人々に認知され、浸透していったか分からないが確かに人間の往来や知識の伝達があったことを教えてくれるからだ。  アラビア語の語彙は大抵al-で始まるから判別できる。アラビア語の定冠詞alのことだ

          スペイン語の中のアラビア語

          レッドホットの曽野村――仮面ライダー鎧武

           レッドホットの曽野村という人間は影が薄いように見えて、実際には無視できない存在だ。  彼らは出番はわずかだが、どうしても特別な人間のヒロイックな活躍の物語である鎧武にあってむしろ見逃してはならない人間である。  初めて登場した時、彼は悪友と共にベルトを見せびらかして騒ぎあっている。もうこの時点で日陰者だし、成長する種子も宿ってはいないのだろうと思わされる。  少しして、ヘルヘイムの侵食と人間のインベス化が一層ひどくなった沢芽で彼は強盗を働いている。元から目立ちたがりで荒々し

          レッドホットの曽野村――仮面ライダー鎧武

          駆紋戒斗、強者――仮面ライダー鎧武

           仮面ライダー鎧武を観終わった。  4クールに渡って一つずつの話が綿密に絡み合った作風は、大河ドラマにも似た感じがあった。  葛葉紘汰が主人公という扱いではあるが、誰もがキャラが立っており、記憶に残らない人間がいない。そして、どんどん大きくなって行く話のスケール。それが非常にゆっくり、着実に進んでいくのですぐその中へ引込まれる。  最後は、世界を終わらせるか、世界を守るか、という究極の選択の話になった。これはもはや一種の神話であり、人間が介入できる余地は全くない。  実際には

          駆紋戒斗、強者――仮面ライダー鎧武

          何でもできるという期待

           自分には何でもできるという思いと、もうこの先はないんだ、という諦めの両方が心の中でせめぎあっている。元から人は矛盾する生物であって、その矛盾する部分に一種のたくましさや美しさがあるものだが、いざ当事者になるとその矛盾に例えようもない息苦しさを覚える。  人には、無限の可能性がある。それを信じても信じなくても、自分は何者にでもなれるという確信を誰でも一回は抱いたことがあるはすだ。それはある程度心が成長した後に残続けるか、消えてしまうかするものではなく、ふとした節目にまた蘇って

          何でもできるという期待

          漢詩「寒門燕雀」をかきつけた。 https://ncode.syosetu.com/n2231fh/58/

          漢詩「寒門燕雀」をかきつけた。 https://ncode.syosetu.com/n2231fh/58/

          手書きの面白さ

           ネット上で文章を打つのに倦んで来たら、手書きを始めるのがいい。紙に字を書くのは、いい気分転換になる。  最近紙に自作の漢詩を写した。こういうことすると、普通に勉強するよりもずっと時間が経ってしまうよね。絵を描くのと同じで、依存性があるかのようだ。  ネット上には原稿用紙やルーズリーフ上に手書きで書かれたエッセイや小説の画像が色々と転がっているが、こういうのを見ると僕も同じようにしたくなる。パソコンやスマホで文章を打つのとはまた違った面白さがあるじゃないか。特に、昔の小説の

          手書きの面白さ

          仮面ライダーディケイド描いた!

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          頼山陽 川中島

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