真面目に生きるのは損しかない

「真面目に生きろォ!!」

 あらゆる意識の高い輩たちは叫ぶ。
 良いことを徹底してやれ、悪いことは
考えさえするな…そういう道徳的生き方はどんな場所でも求められるものだ。
 その割には、いい人間であろうと努力しても世間はそんなに認めてくれない。

 僕は人一倍優しい性格になってしまった。悪いことはしようと思ってもできないし、むしろ思うことすら避ける。
 良いことをできないでいる自分に激しい罪の意識。
 叱られた時は自責の念を抱くし、相手にも自分にも不都合な事態だと知ったときには自殺したいほど恥ずかしくなる。

「でも、真面目に生きるってすごいことだよ!」
 という称賛すらある意味では責苦。その前に僕の行動なり思考なりを真似してもらいたいものだ。
 思想が同じ人間ばかりってのは危険な状況だが、少なくとも性格の方は似てる人が多い方がずっといい。趣味とか信条が違っても、共感できる所があるのはすなわち性格が合っているということだから。

 僕は好きで真面目な性格になったわけじゃない。むしろ周囲の人間のせいで真面目な奴に仕立あげられたのだ。
 この性格をうまく飼慣らしてやっていくのは、まさに綱渡りと言っていいくらい大変だよ。

○真面目に生きるデメリット

世界観が厳しくなる

 お前らは人生について考えたことがあるか!? と指摘したくなるので、この世は楽しむことなんて考えさえできなくなる。むしろ、世の中を楽しんでる人間が許せなくなるのだ。
 だから何の文句も差挟まずに生活してる人を見ると指摘せずにはいられなくなる。

周りに駄目な人間しか見えなくなる

 他の人が持ってる欠点が目につくようになり、気を揉んだり指摘したりせずにはいられなくなる。
 本当は人間は駄目な生物なんだからそれを気にするのは時間の無駄なのに、自ら目についた誰かの欠点とか醜悪さをあげつらいに行くのは独善に過ぎる。

人のことが許せなくなる

 自分に厳しくなると他人にも厳しくなる。だから過失を犯したり、自分より劣った人間を怠惰だと言って馬鹿にすることに躊躇がなくなる。逆に自分の思考への批判に対しては甘くなりやすい。
 自分が他の人よりいくぶん優れてるはずだ、という確信を抱くようになるので、ある部分で傲慢になってしまう。

 自分が素晴らしい考え方をしてると思い込むあまり、むしろ普通の人より愚かで無慈悲な言動に落ち込んでる奴ほど、悲惨な者はない。

○結局、何が言いたい?

 世の中の畜群は元から努力してる奴より昔荒れてたけど今は改心してる奴を歓迎するものだ。不公平過ぎるこの世すら僕は嫌うに至った。

 でも、こうして生きるようになった自分を捨てるわけには行かないよ。人はそのままで美しいんだから。