自己紹介

宮崎県川南町で養豚一貫経営の有限会社尾鈴ミートの代表をしています遠藤です。

社内報的な使い方をしようかと思ってるのですが、外に公開しても差しつかえ無さそうな内容のものをアップしていこうかと考えてます。(この記事を書いている時点ではそう考えてます)

簡単に自己紹介です。

宮崎県川南町生まれ、地元中学校、高校を卒業後、1年遊んで後に東京の大学に4年通う。
大学での専攻は考古学と、ちょっと変わり者?インディージョーズに憧れた世代です(笑)
進学した時の理由(言い訳)が実家の周りに古墳があるからと先生に言いましたが、単純に東京に行きたかったといういい加減な理由でした。

大学時代にはメキシコに先輩を頼りに遺跡巡り1人旅したりしてインディージョーズ気分を満喫するも、4年時後期に入って1年通期の必修科目履修漏れが発覚。後期がスタートしていたため救済できないということで、4年終了時点で同期の卒業を見送ると同時に退学しました。

そこから2001年4月から家業の養豚に従事することになります。
そこから、2010年には口蹄疫で5月末に農場の豚約6,000頭全てを殺処分、そこから同年11月に豚の再導入を果たして経営再開しました。
ちょうどいいタイミングだからというこで、2011年3月に、代表取締役に就任することとなりました。当時、33歳です。

ということで、いつのまにか養豚業界歴20年を超え、代表歴も10年を超えてました。現在、関連会社の食品残渣を飼料化する会社の、代表権のある副社長も兼任しています。

会社の方は現在、31期を迎え、実は今年6月に法人設立から30年の節目となります。
成り立ちは祖父が昭和32年に市場で子豚3頭を買ってきたことが養豚の始まりと聞いてます。

祖父母は戦後、満州からの引き上げてきたそうで、祖父はシベリア抑留を2年ほど経験したそうです。
日本に帰ってから川南町に移り住んで、現在、農場がある場所で開墾して土地を切り開き、露地作物をつくりながら、豚、鶏、馬を飼っていたとのことでした。
なんでも、祖父はネギ先生と呼ばれるほど、ネギ作り名人だったとか。

そんな複合農業をしていたのを専業の養豚業として、今の礎を作ったのが父でした。
父は高校卒業と同時に、埼玉種畜牧場(現在のサイボク)に研修生として3年ほど行っていたとか。
そこから川南町に戻って、母豚600頭一貫農場にまでしていき、法人設立から、自家配合施設、生協との取引など、基盤を整えてきました。そんな父も、ちょうど、6年前に他界してしまいました。

現在は、母豚400頭一貫、丸粒とうもろこし、エコフィード、飼料用米等を使った自家配合飼料での養豚を行っています。
ここ数年、農場の建て替えと規模拡大を目指して取り組みを進めています。

簡単な自己紹介と思い、書き出したら結構長くなりました。

ここまでおつきあいいただき、ありがとうございます。

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