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たった14分のスペア・タイム

1月21日土曜日
2日目の朝は船橋の実家から始まる。
3ヶ月前に来たばかりなので、大した感慨もなく、病院へ行くと朝早く出かけた父と、その父の肺がんが早期発見され治療されてしまったことを心底残念がっている母と、不摂生を溜め込んで、はち切れんばかりのお腹をチラ見せする兄と、遺影の中の弟、それぞれ絶妙に時間をずらした朝食を、台所に居座る形でそれぞれと共にした後、荷物を持って出発した。
今日は恵比寿の『山小屋』にて4人展を終わりまで見て、そのままゆっくりお土産でも見繕って夜行バスに乗り込む予定だ。

13時会場の紫波町地域おこし協力隊4人展『私にも、できるかもしれない』2日目に際して、さて、手土産はどうしようかと電車内で悩む。昨日見ていた限りでは、甘いものが集まってくるようだ。そこにさらに甘いものを追加するのも何だろう。恵比寿駅にはDONQがあったな、駅にDONQとは、うらやましい。
「DONQといえばフランスパン!」
ここはやはりフランスパン1択…

待てしばし!

どう考えても食べずらいでしょ?
もっと食べやすいものの方が良いかと思い直し、クロワッサンとコーンパンを購入した。ボクにとっては思い出深いパンだ。

ボクがまだ実家にいた頃、ららぽーとに入っているDONQに1年間製造パートで働いていたことがある。その時のパンのおししょーからは色々と教わった。そしてさまざま怒られた。

時間には正確に、パンは秒で品質が変わる。
今手を動かしていることに集中しながら、次何やるか考えろ。
常にスピードと正確さを意識して、両方伸ばしていけ。
パン生地は君の世界で最も愛する人の肌に触れるように扱え。
1週間で今扱ってるパンの担当箇所、全部覚えて。(覚えきれなかったので、メッチャ怒られてその日は即帰されました。)
片付けと調理を同時に行え。
パンのおししょーの教え

ん?待って?

振り返ってみると、なんかむちゃくちゃなことも言われてる?
けれども、面倒見の良い人であったことも事実で、社会に出てはたらく基本をきっちり仕込んでもらった。
メン台では、色んな生地を触らせてもらった。その中でもDONQのコーンパンは缶詰の汁を混ぜるものだから、生地が余計にネトネトして扱いにくかった。
パイルームの仕事も任せてもらったりもした。
クロワッサン、デニッシュ、パイ生地を店で仕込むのは、フルスクラッチ(全部粉から作る)方式を採用しているところじゃないとなかなか経験できるものじゃないと思う。

「山小屋」へ着いた頃にはもうすでに何人かのお客さんがいて、あまのさんや星さん南條さんはそれぞれ対応していた。やはり土曜日ともなれば人出も違う。昨日は空いていた道の向かいのアイス屋も今日はお客で賑わっている。
たまたまその時空いていた岡本さんに手土産のパンを渡すと、お昼がまだだったらしく、クロワッサンを美味しそうに食べていた。

実を言うと星さんpodcast番組を1つ持っている。次週放送分の収録ストックがなかったので、昨日から収録の機会を伺っていたのだが、2日の中で収録の時間は14分だけだった。

これだけの時間いて、たったの14分…

待ってくれ
これだけの時間いて、たったの14分!

この扱いよ。
星さんはどうにもボクを後回しにしがちだと思う。来客の対応で忙しいのだろうが、ボクだっていちおう、遠方からはるばるやってきた来客なのだが!?
まあ、いいか。星さんのHATARAKUが広く知られるようになるというのはボクにとっても望むところだ。

昨日とうってかわって空気が冷んやりしている。今、日本列島に10年単位に稀に見る大寒波が迫っているらしい。岩手に戻るころにはその影響で一層の寒さになっていることだろう。そういうわけだから、今日はここ、関東でも陽が落ちてくると、結構寒い。外でじっとしていると体が冷え切ってしまう。かと言って、「山小屋」は狭く、今日は来客も多い。外にいるしかない。体を温めるために少し歩き回る。近くにある公園では、親子連れで賑わっていた。そういえば、ギャラリー「山小屋」の前の通りでも、お父さんとその子ども、という組み合わせをよく見かけた。

あまのさんはこちらでの友人知人たちとひっきりなしに対応していて、なんだか喉が枯れている。
南條さんも、大学はこちらの方だけあって友人が多く来場している。
岡本さんにも東京で就職した友人や、イベントなどで知り合った人たちと久しぶりの交流を楽しんでいる。
南條さんも岡本さんも、合間を縫って少し離れたところからチャイをテイクアウトしてくる。友人たちを引き連れて行ったりもしていた。
気がつくと、いつの間にか星さんもコーヒーを買ってきていた。
紫波町地域おこし協力隊が東京で展示をして大丈夫かいな?と思ったこともあったけれども、それぞれ活発に行動して、人脈も広く培っていた人たちだったのだから、この盛況振りは必然だった。
そう思うと、ボクのひねたイジケ心が、ボクが今ここにいる意味を考え始める。ここに居る意味なんてなかったんだ。という結論ありきで。

だんだんと陽が傾いてくると、公園で遊んでいたのだろう親子が、さっき見かけたのとは逆方向で通り過ぎる。
うらやましいな。と、感じてしまった。なんとも浅ましいことだ。
ボクの子どもたちは、お父さんと遊びたい盛りの時期はとうに過ぎてしまっている。
ふと、上の子が産まれたばかりの頃を思い出した。
パンのおししょーに教えられたうちの、「パン生地は君のこの世で最も愛する人の肌に触れるように扱え。」というのは、

あ、一応言っておくと、捏ね上げた後の生地のことで、その後の発酵、分割、ベンチタイム、成形、発酵、そして焼成に至る過程での取り扱いのこと。力一杯叩きつけたり、こねくり回していいとは誰も言っていないのであしからず。

それまでは、「この世で最も愛する人」を自分のパートナーのことだと思っていた。
けれども、初めて自分の子どもに触れたとき、柔らかくて、繊細なこの子のことだったんだな。と、考えが変わった。
子どもたちは、離婚してからあちらの家庭でお父さん不在のまま、ちゃんと成長しているようだ。それは、元配偶者のアイデンティティをかけて子育てをしているかのようで、そして「お前なんかいなくても、私は親として子どもをちゃんと育ててみせる」という、ボクの存在不要論を証明するメッセージとも受け取れる。

ふと、道ゆく幼子と目が合った。その子はごきげんそうにバイバイ、と手を振る。ボクは、見ず知らずのおじさんに愛想振りまくと危ないぞー。と、心でつぶやきながら優しく右手を振りかえす。
左手にもっている
星さんが買ってきてくれた濃いめのコーヒーが温かい。

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