③悟入前の自分と悟入後の自分は赤の他人(ある意味)

「昔よくやってたけど今はほとんどしてないもの」

と言えばミーの場合、真っ先に思い浮かべるのはラジオを聞くこと。

今はラジオを聞く機会がほとんどない(たまに外で聞くぐらい)のとは対照的に、昔はラジオをよく聞いてたもんだ。

特に深夜放送だ。深夜放送を一番聞いてたのは大学受験前で受験勉強しながら聞くのが習慣になってたっけ。

その後大学(明治の政経な)に通うようになってからも一~二年ぐらいはよく深夜放送を聞いてたんだけど、今回の話はそれにゲスト出演してた某フォーク歌手(井上なんとかさん)の語りに関するものな。

その井上……じゃなくて某フォーク歌手が語ってたことはどんなことかというとだね、今具体的な中身までは思い出せないんだけど、日常生活の中で自分が思ったり感じたりしてることを色々と語っていたことだけは覚えている。

で、その話題の最後に彼がポツリとつけ加えたのは次の一言だった。ミーが唯一覚えている言葉な。

「(だから)生きてゆくって大変なことだよね」

この一言にはえらく共感しちまってさ。

その共感があまりにも深いものだったので、その時の彼の話の内容は忘れたにも関わらず、「共感した」というその事実だけは今だに覚えているほどなんだ。

少し言葉を足すけど、「彼の話の内容は忘れた」というのは細かく言うと、彼の話の具体的な部分は忘れたってことであって、その概要まで忘れたって意味じゃない。

ではどんな概要だったかというと、「生活してゆく中で感じる心理的な苦労や大変さに関する話」といったところかな。

なので前出の一言に当時のミーがえらく共感したってことは取りも直さず、彼の話に出てくる心理的な苦労や大変さと全く同じものを当時のミーも感じていたってことになるよな。

「人が生きてゆく中で感じる心理的な苦労や大変さってみんな同じなんだなあ」と思った記憶もあるから、それで間違いないはず。

さてそこで問題なのは、その生きてる人が等しく持ってるはずの「心理的な苦労・大変さ」ってやつの具体的な中身を今のミーがなぜ明確に思い出せないのか? ということな。

ミーはなぜ今それを明確に思い出せないのだろうか?

それってのは生きてる人が皆等しく持ってるはずのものだから、死んでるわけでもない今のミーがそれを明確に思い出せないってのはオカシイっちゃオカシイわな。

で、その問いに対してミーは今どんな答えを持っているかというとだね、それは次のようなものなんだ。

「あの当時のミー(私)と今のミー(私)はある意味において赤の他人だから」

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どんな意味において赤の他人なのかというと、あの当時のミーにとっては「自分イコール心」であったのに対して今のミーにとっては「自分イコール心ではない何か」という意味において。

端的に言えば゜、あの当時のミーは心。それに対して今のミーは心ではない何か。

そういう意味での不連続性が両者の間にはある。

だから、今のミーはあの当時心が感じていた苦労や大変さの中身に関しては完全には思い出せないというわけ。完全には思い出せないってのは、少しは思い出せるけど思い出せないことの方が多いってことな。

そんなミーだから、「自分イコール心」で生きてたころは何かと苦労で大変だったなあというそのこと自体はしっかり思い出せるんだけど、具体的にどんな風に苦労で大変だったのかということになると、語れることは少なくなるんだ。

ちなみに、前述のような変化をミーにもたらしたものが悟入であったことはユーが察している通りさ。

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現在ブログで悟り系記事を発表中。

キャラづくりしながら文章を書いているため主語が「ミー」になっております。違和感ありましたらご寛恕のほどお願いします。

持ち記事の中から比較的、一般の人受けしそうなものをピックアップして、こちらの方で公開することを思いつきました。

今後ともよろしくお願いします。

悟りのブログ」「アウトオブスペース系の悟りとは」管理人・中島タローでした。


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