時間を止める三ステップ⑬

《各ステップの比較》

心を脇に退かせる方法の一つは、心を今に向かせることです。心を今に向かせるとその途端に、まるで物凄くイヤなものでも見たかのように……というのはウソですが、心は脇に退いてしまいます。今と心は相性が悪いのです。

これは逆に申せば、心が脇に退いてない時というのは、すなわち心が存在を保っている時というのは、心は過去か未来のどちらかを向いているということに他なりません。心は過去か未来のどちらかを向いている間は、存在を保つことができるのです。

さてご存じのように、我々が第一ステップと第二ステップすなわち「全心没入法」と「全心観察法」を実践している時、心は脇に退いてはおりません。そこでは、心は堂々とその存在を保っております。

前述の話と照らし合わせますとこれは、次のことを意味しています。我々が「全心没入法」と「全心察法」を実践している時、心は過去を向いているか、未来を向いているかのいずれかである。

では、我々がその二法を実践している時、心は過去と未来のどちらを向いているのでしょうか? 結論から申しますと、我々が「全心没入法」を実践している時、心は未来を向いており、我々が「全心観察法」を実践している時、心は過去を向いております。

まず、我々が「全心没入法」を実践している時、心は未来を向いていると言える理由を説明いたしましょう。

その時の「全心没入法」の実践対象が例えば自分の体の動きだとしますと、その時心が捉えているのは今存在しているリアルな自分の体の動きではなく、これから起ろうとしている自分の体の動きです。そして、心が没入(もしくは中に入ること)を試みているのはそれに対してです。従ってその時、心が向いている先は未来だということになります。

次に、我々が「全心観察法」を実践している時、心は過去を向いていると言える理由を説明いたしましょう。

その時の「全心観察法」の実践対象が例えば自分の体の動きだとしますと、その時心が捉えているのは今存在しているリアルな自分の体の動きではなく、既に起ってしまった自分の体の動きです。そして、心が観察(もしくは外に出ること)を試みているのはそれに対してです。従ってその時、心が向いている先は過去だということになります。

さてそれでは、我々がそれらに続く第三ステップを実践している時、心はどこを向いているのでしようか。このステップには、前出の二つのステップに見られるような、心を未来に向かわせる要素も過去に向かわせる要素もありません。というか、その二つの要素がこのステップにおいては均衡を保ち、お互いに打ち消し合っております。

「全心没入法」と「全心観察法」を同時実践する形になっている第三ステップにおいては、そうならざるを得ないのです。実は、そうなることを見込んで、このステップは作られているわけです。

従って、我々がこのステップすなわち「第三ステップ」を実践している時、心は必然的に今を向きますが、前述のようにそれは心にとっては脇に退くことを意味しております。そしてその結果として、心理的な時間の停止もついてくるわけです。

【追伸】

前に、「時間を止める三ステップ」の実践者であるさとしさんから寄せられたコメントの一部をご紹介させていただきましたが、その後同じ方から再びコメントを頂戴いたしました。

それによりますとこの方は今では、第三ステップを使って時間(心理的な時間)を止められるところまでは行けておられるようです。それに対してまずは、「おめでとうございます!」と言わせていただきます。良かったじゃありませんか! 時間を止められるようになって。

体験内容も含めて「同業者」にパクられる可能性があることを承知の上で、ここまで「秘伝」を披歴してきた甲斐があったというものです。

「これからは、できるだけ長く時間が止まった状態でいられるようになりたい」といった意味のことを最後に書き添えておられましたが、そのお気持ちは分かります。ここに言う時間が止まった状態というのは、我が家に譬えられることもある真我に帰った状態のことでもありますから。


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