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好きを仕事に vol.7:学びの2期

これは2017年7月〜2018年3月に起こった出来事である。

創業メンバーの退社

FULMA株式会社は2016年に2人で創業している。
最初の体験事業が2016年10月でやめ、2017年3月からYouTuber Academyを開講した時、新たに2人増えて4人体制で授業を行なっていた。当初はYouTuber Academyのアイディアもないタイミングで創業メンバーになるのはかなりハードルが高いと思うが、それでも参画を決めてくれたことに今でも感謝している。

2017年7月、少しずつ事業がカタチになり始めていたが、彼のモチベーション低下などが気になり始め、ついに7月初旬にFULMAで働くのは週3がいい、と言ったのであった。

彼は創業者メンバーであり、取締役という責任があると思っていたので、この件を簡単に快諾できなかった。

しかしそう言わせてしまった段階で、僕のやりかた、組織の作り方、ケアの仕方が圧倒的に足りていなかったのだと思う。事業を運営する上で、事業も組織も人も、最後は全部自分の責任である。

未来に対してワクワクして、言われなくても勝手に仕事をしてしまう状態をつくれていないことがとても辛かった。

この件についてはしっかり話し合うことにし、しっかり腹を割って話そうと言うことになった。

僕の中では既に一緒にこのまま続けていくのは難しいかもしれない、という思いがよぎっていた。しかし結論ありきの話し合いは意味がないので、まずは自分の意見を持ちつつもフェアに話すことにした。

まずは彼の意見を聞いてみることから始めた。
どうやら新しいことにチャレンジしたくなったこと、取締役の責任を感じているから今すぐはやめないが、3ヶ月後ぐらいには辞めたいと考えていることを聞いた。

そうか、やはりプレッシャーを与えてしまっていたのか。

そう思った。そしてその結論は自分の意見とも一致していたため、退社する方向で決まったが、一つ自分が加えたのが、3ヶ月後ではなく今月に退社する、ということである。

今が7月初旬、8,9月は学生の夏休みだからこそ、フルマとしては事業にフルコミットできる時間をチーム一丸となって使いたいし、辞める人と温度感がズレてしまう。それに彼の立場から、貴重な夏休みを使って早く新しいことをやりたいし、貴重な時間だからこそ、次に向かうならそれに時間を使える環境を整えるのが優先であると考えたからである。

そしてお金についても、起業した当初決めた通り、辞める際、持っている株式は全て置いていく(無償譲渡する)、この先負担する分を辞めても負担しろとは勿論いわないが、過去に立て替えた分を遡って返せとフルマには言わない、と決まった。
(2018年11月に彼が立て替えていた分は全額返金した)

正直フルマはギリギリの中で運営していたため、急にピンチになるわけだが、ピンチはチャンスを合言葉に夏を全力で頑張った。結果これで良かったのだと思う。

その後も彼とは食事に行ったりと、元の友人関係に戻っている。
創業メンバーというのは難しい、起業する際はこんなことになるなんて1mmも考えていなかったけど、実際に事業を行なっていくと何が起こるか分からないものである。

それでも最初の一番苦しい時期を共に戦ってきたことはいい思い出。

オフィスの移転

2017年8月、FULMA社はオフォスを移転する。当時はオフィスというよりも齊藤の自宅である。ちょっと広めの家に引っ越して、そこをオフィスとして毎日集まって仕事をしていた。

そんな中で起業してからずっとお世話になっている方に近況報告をしに行ってきた。そしてその際に

まだ学生感抜けてないね

と言われてしまった。
実際そうだった。YouTuber Academyは当時1回3000円のワークショップを月に2回だけやっていた。どんな計算の仕方をしても1人にもまともな給料を払えていない状況だった。そのこともあり、まだ甘えているというか、学生感が抜けてない、という一言はグサッと自分の心に刺さった。

このままではいけない

すぐにそう思った。ちょうどその時に出来た未公開のシェアオフィスがあった。そこには知り合いの起業家も数人いた。自分の精神の弱さを知っているからこそ、環境から変えなきゃいけない。そう思い、入居を決意するのである。


これが本当に大きかった。今も入居しているが、コミュニティができ、新しいことを学び、悩みを共有し、成果を喜び合い、もしあのまま当時のオフィスにいたらもっと遠回りして悲しい結果になっていたかもしれない。

このオフィス移転は自分の弱さの克服のために、フルマの成長角度を上げるために入居したわけだが、そこで得たのはそれだけでなく、素敵なコミュニティ、学び、信用などたくさんあった。

いつか自分も恩送りをしていきたいと思う。

SNSで大炎上

オフィスの移転もひと段落し、メディア掲載も増えてきている中、事件が起きた。2017年8月23日に放送されたNEWS ZEROが引き金だった。僕はいつも通り仕事をしていると、オフィスの友人に

「これ見た?めっちゃ炎上してんじゃん」

と言われ、よくみると確かにとてつもなく炎上していた。それがこちら


特にこの日本終わったというツイートは伸びに伸びてTwitterのトレンドにも入った。メディアに対しては注意深くなっていたつもりだったが、見ている人の多さ、放送時間帯、紹介の仕方などが影響し、SNSで壮大な炎上が起こった。

さらにお問い合わせページからものすごい長文の「今すぐサービスやめて下さい」「何考えているんですか?」みたいな長文のメールも届きはじめ、袋叩きにあった。

正直この時ばかりはチームの士気が大きく低下した。
自分たちのやっていることは正しいのだろうか、そんな気持ちになるほど辛かった。みんな口数がほとんどなく、子どもたちへの授業だけは一生懸命やるが、終わると無言になっていた。これじゃいけない、どうしようと悩んでいると、ある方が慰めてくれた。

「実はね、僕も前職マイクロソフトだったんだけど、僕がいた当時は悪の帝国と言われていたんだ。新聞とかでもものすごい誹謗中傷を受けてね。でも今はもうそんな事言われない。大丈夫、これだけ話題になるということは、それだけすごいことをやっているということだから。今はチームの人を心配した方がいい、そうだ、どこか気分転換に出かけるとかするといいかもね」

そんなことを言ってくれた。
その日の翌日、朝出社するとみんな昨日と同じでとにかく暗い。これはもはや仕事もまともにできんな、そう思い、

ねぇ、どっか行かない?
そうだ、筑波山に行こう!

と急遽仕事を放り出し、みんなで筑波山に向かった。天気もよくて、山登りも最高だった。なんか今の辛い状況も笑えてきた。

この筑波山の山登りは最高だった。


ここからみんなのテンションも戻り、この件を教訓にして頑張ろう、と一致団結することができた。

ピンチはチャンス。

突然なくなった企業連携

2018年2月、これまで進んでいた企業連携が突然なくなった。
正確には無くなったという知らせすらこなくなった、返信が返ってこないのである。

とある企業とメールや打ち合わせを重ね、年明けにコラボ事業をやりましょう!という話が進んでいた。とても楽しみにしていたし、子どもたちにも新しい価値を提供できるとワクワクしていた。

異変を感じ始めたのは年末、突然返信が返ってこなったのである。
何度送っても1通の返信も返ってこない。

僕らがこのコラボ企画がなくなったと決定的に気づいたのは、僕がFacebookを見ていた時だった。これまでやりとりしていた企業が、僕らと話していた内容のイベントを別の企業と実施することを発表していたのである。

この時に初めてこれがビジネスの世界か、と思い知らされた。
これまで付き合ってきた企業さんとは信頼関係を気づいてきたし、そんなことが起こるなんて1mmも考えたことがなかった。でも確かに契約書は結んでいないから、何の強制力もない、ただ一言ぐらい、せめてなしにしましょう、ぐらいは言って欲しかった。

これは自分たちも気をつけねばと思っている。
とはいえ組んでいる企業の競合とはコラボしない、とかをやりだすとどんどん自由が無くなっていくから、さすがに独占契約とかは一切結ぶつもりはないが、無くなった話などは早めに連絡するなりしていきたいと思う。


おわりに

2017年4から2018年3月はFULMA株式会社の2期目、本当はここに書ききれないぐらいの出来事があったわけだけど、トピックを抜粋して記載した。
起業すると色々起こって面白いなぁと思う。

2018年4月からについても随時更新していきます!

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