淡々と生きるということ

久々の執筆活動になります。
最近の活動は依然とガラッと変わりました。
近況報告についてはまた近日中にします。

今日は日記のような形で最近感じていることつらつらつらっと書いていきます。

メッセージ性は特になく、整理していない文章になることを先にお伝えしておきます。


今、一番感じていることは2つ
『求められることをする』
『できることを増やす』
こと。

自分に入ってくる本や人の話しなどの情報が最近繋がってきていてこの2つを今強く感じています。

<求められていることをする>

大事なのは自分の気持ちに噓をつかないこと。
自分に嘘をついてまで求められていることをしているといつか本当に壊れてしまいます。

自分が大切にしたいことは何なのか、自分がどんな人生にしたいのか、を明らかにして、その中で求められていることをする。

人生の大きな目的や夢を忘れてしまわないこと。
まだ眠っている本当にしたいことに気づいてあげること。

求められていることの多くはそんなに大層なことじゃないことです。

ご飯食べた後に片付けや食器を洗ってあげることや困っている人の話を聞いてあげること。

今自分のいる環境で何を求められているのか、一番近くの人に対してできることなにか、それに応える。

目の前にやってきていることに感謝の気持ちを持って淡々とやることが大切なんじゃないかなと。

ただ、とは言え自分の欲求や執着をがあると目の前にやってきていることに対してい反応してしまいます。

そう感じるということは日々の幸せの中で求められていることに感謝できる自分ではないということ。

恐らく自分の肚の無意識の中では少し感じられているのかもしれないが、
頭でごにょごにょ考えていると通りすぎている。

自分の執着や欲求と上手く向き合っていかないといけないのかなと思います。

<できることを増やす>

自分のできることが増えるということは相手を喜ばせる手段が増えるということ。

相手を喜ばせる手段がたくさんあればあるほど信頼関係を結びやすいです。

ただ、陥りやすいのはできることがないと相手を喜ばせられないと考えこんでしまう。

自分にはできることがないから求められないし誰も喜ばせることができないかというとそうではありません。

これは僕も勘違いしてました。

人は一人じゃ生きていけないので、人から求められていることは誰にでもあります。
その相手は、会社の上司かもしれないし、お客様かもしれません。
将又、親かもしれませんし、兄弟かもしれません。

周りの人のために自分が何ができるかの延長に自分の人生の意味や役割があると思います。

また、できることを増やすことと、求められていることをするのは似ているようで違います。
できると思われていなければ最初から求められないのです。
求められるということはできるということ。ただ自分では気づいていないだけ。

そんな気がします。

この文章を読んで何か感じたことがある方はコメントいただけると嬉しいです!
感じたことを話しましょう(^^♪





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