『四月は君の嘘』感想文

こんばんは。

『四月は君の嘘』をマガポケというアプリで読みました。その感想を書いていこうかなと思います。

わたしは小学生時代はピアノ、中学生時代は吹奏楽、高校生からは篠笛、と様々な音楽・楽器に触れてきました。普通の音楽系漫画なのかなーとサクッと読み始めたんですが、人間の描写が熱すぎた。


人間メトロノームと呼ばれた有馬公正くんが幼少期のような人間味と成熟した感情が溢れ出す音楽を奏でるようになるまでのストーリー。
はちゃめちゃに簡潔に表すとこんな感じでしょうか。

椿ちゃんと渡くんという賑やかな幼なじみがいますが、まずこの構成が好き。男女比はなんでも良いんですが、3人組ってなんか無性に青春を感じられて好きなんですよね。(時をかける少女のあの3人組も好きです)

そこに起爆剤として入ってきた宮園かをりちゃん。

あくまでも私の印象ですが、賑やかな幼なじみといえど、有馬くんに彼の本心に寄り添うような事を言う時は、かなり落ち着いてる?というか、優しく諭すような言い方が多かったように感じました。
あと、椿ちゃんのお友達の柏木ちゃんも、椿ちゃんの恋心を優しくあくまでも本人に気づかせるようなヒントを与える形でお話ししてるんですよね。

それに対して、かをりちゃんと有馬くんの会話はどこか強引というか、本音本音本音のぶつかり合い、というか、とにかく激しい。


そこの対比が面白かったです。
『四月は君の嘘』という大きな譜面の中で、対幼なじみの時はピアニッシモ、対かをりちゃんの時はフォルテッシモ、そんなイメージです。(伝わってくれ)

有馬くんのことをあんなにも強引にピアノの前に座らせられたのは、きっとかをりちゃんしか適任な人がいなかった。
演奏家同士だから分かり合えた。色や形は違えど、きっと今まで2人とも似たような、苦しみ・喜びを味わってきたから。
そして、死を悟っているかをりちゃんの生命力と人間味が有馬くんを突き動かせた。


病気のことを知らずしてかをりちゃんの伴奏をし舞台を噛み締め、かをりちゃん不在の中それでも1人で舞台に立ち、そして病気を知った上でかをりちゃんを想い音に乗せ、最後は、携わった人みんなへの想いを音に乗せられた。



初めはお母さんが主軸の演奏、次はかをりちゃんが主軸の演奏、最後は有馬くんが主軸の演奏ができた。

言葉は強いけど、“誰かに依存した“演奏から自立した演奏家になれた有馬くん。

相座くんのように、人間メトロノームの呼ばれた時の完璧な音に憧れた人もいれば、井川さんのように1番初めの人間らしい音に憧れた人もいる。
表現の世界においては正解不正解なんてあってないようなもんなんですが、譜面通り100%で弾けた有馬くんが、人に触れて感情に触れて自分らしさを手に入れられたのは本当に強い。
技術的にも、精神的も。

今後強く感情が揺さぶられるような悲しいことがあっても、きっと前のように音が届かない暗闇に閉じ込められることはないのかな、と思います。

有馬くんを大木に例えると(唐突)
お母さん=根っこ で、今まではそれしか見えてなくて、根っこを失ってしまったから弾けなくなってしまった。
枯れかけの有馬くんにかをりちゃんと言う日差しがさしたことで、ぐんぐん大きくなったうえに、今まで見えてなかった、渡くんや椿ちゃん、相座くん、井川さん、ひろこさん…とにかくたくさんの枝や葉っぱが見えてきた。
こんなイメージを持ちました。(伝わってくれ)

推しでも好きな人ものでもなんでも良いんですけど、ひとつに夢中になりすぎると、周りが見えなくなって、失うと途端にダメになっちゃうこともありますよね。
この作品はそれが生命という激重テーマで描かれているので、軽率なことをいっちゃいけない気もしますが、失って初めて周りが見えて、別の何かに支えられてることに気づいて強くなって…の繰り返しなのかもしれません。



音楽に触れたことのある方なら重々承知でしょうが、正解なさすぎて分からないことってありませんか。
合奏なら同じ方向むいてやらないと音楽が崩れるし、ソリストなら作中の演奏家たちが託した表現への苦しみを味わうだろうし。
それでも好きだからやめられない。
好きだから妥協したくない。
思い思いの形で表現しながら奏でていくしかないんですよね。

日々修行、私も頑張らねば。


おわり

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