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赤面症

・ひょんなことから初めて経験した赤面症
・異性の話題などになると必ず真っ赤になり、必死に隠した
・良い友達に恵まれたため、ひどくならずに済んだ
誰しも、人には言いにくい身体の悩みがある
・他の赤面症の友だちのことを、いまも想う。

50歳を過ぎた最近は、少しぐらいのことでは動揺しなくなりましたが、若い時にはいろいろと思い悩むことも経験しました。

そのなかで、かなり困ってきたことが、赤面症、つまり顔が赤くなることです。

それは、小学校高学年の時に初めて起こりました。学級委員を選ぶときに、なりました。

お父さんが小学校に通っていた時は、学級委員は、クラスメートひとりひとりが、「学級委員として相応しい(ふさわしい)人」を紙に書いて投票し、それを開票しながら、黒板に「正」の字を書いて、一番多かった人に学級委員になってもらうという制度でした。途中は問題なかったのですが、ちょうどもうすこしで開票が終わるという時に、なぜか、机の上から鉛筆が転がり落ちたのです。

その鉛筆を、座ったまま拾おうとして力んでいたときに、ちょうど、開票が終わって、「では学級委員は高原くん」と言われました。

下を向いて力んだからでしょうか、みんなの拍手を受けて立ち上がるときに、なぜか顔がものすごく火照りました。

真っ赤になったことが、鏡を見なくても自分でわかりました。

友人からも「真っ赤になってる!」と言われ、耳たぶのところまで熱くなったのです。とても恥ずかしかったです。

幸いに、友達にはあまり冷やかされることもなく、そのときは事なきを得ましたが、それ以来、なぜか、ちょっとしたことで顔が赤くなるようになりました。

授業中に、先生が真面目に女の子と男の子の違いを話すだけで、「あ、まずい」となり、そう思うと止まらなくなり、次の瞬間からどんどん顔が熱くなります。意識すると熱くなり、熱くなるともっと意識する、悪循環。

手を開いて両手で頬杖をついたようにして、必死に隠しました。
こうしてなんとかやり過ごしていたことを思い出します。

中学に進んでもやはり同じだったのですが、当時、クラスメートに、もっと赤くなる子がいました。彼は友人の冷やかしの格好の標的となっていて、「赤いぞ赤いぞ」と言われては、もっと赤くなることを繰り返していました。その時に、実は自分も赤くなるのですが、みんながその子に注目するので、自分はあまり気付かれなかったようです。

だんだんと、赤くなる頻度は減ったのですが、大学生になっても、ひょんなことから、とくに異性の話になると、真っ赤になることがあり、本当に困りました。「誰かに気づかれたら冷やかされる」そう思って緊張をしました。たまには気づかれて、「あ、赤い」といわれたのですが、わりと良い友人に囲まれていて、そんなに冷やかさないでいてくれたので、ほっとしたことが多いです。

そういう自分がいま、数千人の前で話すことも、なんともなくなったのは、不思議なことだなぁと思います。50歳を過ぎた今でも、「赤くなるかも」と連想することはなくもありません。

私はこういった経験からいくつかのことを感じます。

ひとつは、あまり冷やかさないでいてくれる友人がいたから、早く「治る」ことができたということです。これはとても感謝しています。

誰しも、人には言いにくい身体の悩みがあるものだと思います。そのときに、やさしく見守ることは大切だなと思います。

もうひとつ重要なことは、中学時代に冷やかされていた友達をみたとき、「自分もそうなんだ」と打ち明けられなかったことを、今でも悪かったなと感じていることです。

そのときは、自分のことに精一杯で、それどころではありませんでした。しかし彼の恥ずかしい気持ちは、痛いほど、一番、よくわかります。彼もいまではなんともなくなっているのかもしれませんが、また会うことがあったら、聞いてみたいと思っています。

<これは、以前に、「父から子へのメッセージ」として書きました>


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