『新・所得倍増論』(デービッド・アトキンソン)

この本の主張は極めてシンプルであり、以下の3点に要約できる。

・日本の生産性は世界27位であり、先進国最低水準である
・ その原因は、日本人の客観的に数字を見て事実を受け入れない姿勢や、それに伴う危機感のなさにある
・日本の生産性を改善するには、生産性改善に向けて政府が経営者にプレッシャーをかけるべきである。年金基金などを用いて物言う株主になればそれは可能である。

本書を通じて筆者が主張する「生産性」とは、「購買力調整後の一人あたりGDP」のことである。

日本ではメディアも含めて絶対額のGDPばかり議論されてきた。絶対額のGDP自体は中国に抜かれて世界3位となったが、それでもまだ3位なので危機感を持ちにくい。

しかし、実際には1990年から2014年にかけてアメリカのGDPが2.9倍に伸びているのに対し、日本のGDPは1.1倍とほぼ横ばいである。これはグラフで見るとかなり切ない。


指摘は極めて正しいが、本書自体の通読は「非推奨である」とこの時点で断っこのておく。以下では非推奨である理由と、それを踏まえても本書が優れていると僕が個人的に思う理由を書く。


通読をおすすめしない最大の理由は、本書の大部分の議論がきわめて粗くて中途半端だからである。

たとえば、「一人あたり」で見る重要性と数字で客観的に見る重要性を指摘し、日本の農業生産性の低さを指摘しているが、その根拠は「農業総生産額÷人口」である。しかし、農業の生産性を正しく評価しようと思ったら、それは耕地面積あたりの生産額や農業就労人口あたりの生産額で見るべきであって、人口で割っても意味がない。全産業における農業の相対的シェアが低い国は当然に農業生産性も低く見えてしまうからだ。

このように「日本の農業生産性は低い」という主張は多分正しいのだけれど(農業就労人口あたりの生産性を自分で確認したわけではないので、”多分”)、指摘の根拠が雑なので胡散臭く見えてしまっている。


これ以外にも、生産性の低さの原因と改善が進まない理由を指摘している5~8章は、事実なのか不明な怪しい主張が多い。

日本経済が停滞しているという事実がどのように認識されているかを議論している第6章で、

その中でも、私が特に多いと感じているのは、「日本人が自信をなくしているから」という意見です。(p.166)

といった主張は、それ自体が客観的事実に基づく主張になっておらず、「どうなのそれ?」という気持ちになってしまう。


このように全体としてはけっこう怪しい本になってはいるが、個人的には以下の2つの点でこの本は素晴らしいと考えている。

ひとつ目は、日本の生産性が低く、25年にも渡って停滞しているという事実を端的に指摘していることである。
体感としても、15年くらい前と比べても日本人は海外で確実に貧しくなっていると実感しており、個人的にすごく危機感を感じる。先日約10年ぶりに台湾に行ったが、10年前は日本の3分の1くらいに感じた台湾の物価も、今では日本とそんなに変わらなくなってしまった。(前述の日米との比較で確認したところ、台湾の一人あたり名目GDPは1990から2014年で3.1倍になっていた。)
この辛さを日本人はもっと切実に認識すべきだという主張は、100%正しい。

ふたつ目は、女性の生産性の低さを指摘し、その改善には「女性ももっと国に貢献すべき」という言いにくいことを主張していることである。
著者によれば日本の生産性の低さの47%は女性の賃金の低さで説明できるらしい(計算根拠は不明)。男女の賃金格差が欧米より大きく乖離していることは客観的に見えるが、それは同一労働で同一賃金になっていないというような男女差別ではなく、そもそも女性が任されている仕事が非正規雇用になるような付加価値の低い労働に偏っていることが問題だと主張している。これは言いにくいけど大事なことである。
個人的には、この問題の解決には女性が活躍しやすくなるような環境整備に加えて、女性全体がもっとアグレッシブにキャリアを追求するような意識改革の両方必要だと思う。

そのためには、中小企業まで含めた産業全体で管理職における女性比率を目標設定(義務化)するような、アファーマティブアクションが必要だと思う。それは男性に対して逆差別にもなり得るので反発されるが、そんなセコいことより社会全体の生産性向上の方が全員にとって得である。

お読み頂いただけでも十分嬉しいですが、サポートして頂けたらさらに読者の皆様に返せるように頑張ります。