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うまれてはじめてクレームを入れた話

それも、国の偉い人に対して。

政治と宗教の話は酒が不味くなると、サラリーマン時代からよく教えられていたけれど、ちょっとだけ、書く。

政府の対応に、あきれてしまう日々が続いた。未曽有のウイルスを前に一部対応が後手後手なのは仕方ないこともあるかもしれない。…とは言いつつも、「マスク2枚配布」でさすがに黙っていられなかった。

2枚、に怒りを覚えているのではない。マスメディアが切り取った情報のみならず、病院などの医療従事者にもマスクが行くということも確認した。広く薄い支援を施すよりも、必要なところに狭く厚い支援が必要ではないだろうか。

こうなってくるとつい先日まで少ないと騒がれていた「現金10万円給付」が随分立派な支援策に見えてくるから錯覚というものは怖い。

世界では「外出したら罰則としてスクワット」を課した国もあると聞いた。カオスな対応をとっているのは日本だけでもなさそうだが、「あの子もそうだから自分も平気」というのは通用しない自分でありたい。

ネガティブなことは書かないと決めていたTwitterにちょっと吐き出したら、思いが止まらなくなった。文字化したことで自分が思ったより苛立っていることに気が付いたということもある。それから、忙しいであろう国の偉い人は、私がこうして自分のアカウントを穢してまで書いた言葉を、きっと読むことも知ることも無い。自分自身の気晴らしで終わるわけにはいかない、今回はそんな気がした。

こんな風に考えるのも、きっとおそらく、昨年私が母親になったことも大きい。娘が安心して暮らしていける社会を私たちが作っていかねばならない。大げさではない。命を宿したときから、それは親としての使命だ。

首相官邸のホームページを開く。なぜだろう、Twitterだとサラサラと書けたのに、いざ開くと正直言って尻込みした。そうだ、これは個人的な殴り書きではなく、真っ向な「意見書」なのだ。ウェブ経由とはいえ、ここにクレームを投じる。140字でいいのだ、140字で。なんならTwitterに走り書きしたことをコピペしたっていい…。

気付けば、自分でも驚くほどの文字数を書いていた。決して冷静さは欠いていない(つもり)。前職でクレーマー対応も度々経験したが、口汚い言葉で罵られたクレームは正直言って「うるさかった」という記憶しか私に残さなかった。笑顔でゆっくりと告げられたクレームが、今でも忘れられない。

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深呼吸してから送信ボタンを押す。クリックひとつが重たく感じたが、それでも、押した。

はじめてクレームというものを入れてみて気付いたことがある。クレームとは、クレーム対応以上に気疲れするものだということ。「期待しているからこそ言わせてもらいます」こんな前置きをいただいたことが山ほどある。定型文だと思っていたが、きっと違う。変化を期待している相手に対してではないと、こんな労力は到底使えない。こうしてnoteを書くよりもずっと長いことパソコンに向き合っていた。文句を投じてはいるものの、それは懇願という感情にも近いかもしれない。

大切な人を、守るために。思うことがある人は下記から短文でもいいので送って欲しい。文句をぶつけて欲しいのではない、自分にできると思うことを行動に移してほしいと思ったまでだ。「E-mail」の記入欄まであるので怯むかもしれないが、空欄のままでも送信できる。

ほかに、私にできることはないだろうか。小さい娘の世話をしながら思考を巡らせている。

2020/04/02 こさいたろ


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