牛丼屋のそうめん

現状

YouTubeのチャンネル登録者数が2万人を超える規模になった。ここ1年半で2万人以上増えており、その期間に投稿した動画はほぼ全てがMHRiseに関連する動画、つまり現在の登録者の9割以上が"モンハン"というコンテンツに興味があるグループであることに疑問はない。

MHRiseの発売日は2021/03/26

MHRiseの動画を投稿し始めるまでは"モンハン"以外にも多くのゲームを、主に生配信でやっていた。Splatoon然りあつもり然りSteamの有名タイトル然り。しかし今それらの"モンハン"以外のゲームをメインチャンネルで扱うことに抵抗感がある。

特化型チャンネル

その抵抗感の理由は視聴者のグループ特性にある。大多数の視聴者は当チャンネルをモンハンのコンテンツを楽しむために登録しているはずで、突然他のゲームを投稿したところでそのゲーム自体やその人自身に興味があるという視聴者層にしか需要が無いのは明白だ。

お気に入りの牛丼屋に牛丼を食べに来たのに最近そうめんがトレンドだからこの夏はそうめんしかやってないんすよwって言われた人がどんな顔するか見てみたい。「そうめんも好きだからまぁいっか」って人か「この店の牛丼美味しいしそうめんも期待してみるか」って人は食べて帰りそう。

YouTubeチャンネルの概念

チャンネルを作って配信を始めた当初はYouTubeのチャンネルは”人"を表すものだと思ってやっていた。その時代の潮流に諭され盲目になっていた部分も大きいと思う。ヒカキンやはじめしゃちょーなどの所謂有名YouTuberはその人自身を表現する場として、ゲーム実況者はその人自身のゲームプレイ・実況を表現する場としてチャンネルに動画を投稿した。

今ももちろん"人"を表すチャンネルはたくさん存在する。一方でチャンネルが特定のコンテンツを表すチャンネルが年々増えて来ているのも事実だ。粒度は様々で、特定のゲームタイトルを全般的に扱うチャンネルもあれば、そのゲームの解説のみ取り扱うチャンネルもあるし、魅せプレイのみ投稿するチャンネルもある。

この変遷の結果、YouTubeチャンネルの概念が"人"を表すものから"コンテンツ"を表すものとして形を変えてきていると感じる。もちろん今までも"人"が行う"コンテンツ"に依存している面もあったが、過去はあくまで"人"が主だった。現在は"コンテンツ"が主なチャンネルも受け入れられてきている。

今後

自分はあくまで趣味としてYouTubeで配信を始め、動画投稿も依然として趣味として継続している。元々は"人"を表す目的だったからだ。

その意図とは裏腹に、チャンネルは特定の"コンテンツ"で伸びてしまった。中途半端に伸びたからといって自分の根本のスタンスは変わらず、YouTubeで一山当てようとか登録者を伸ばすためにありとあらゆることをしようとはなっていない。故に目的と現状に乖離が生じてしまった。

この1年半はこのことに何も疑問を抱かなかった。なぜなら自分の趣味とチャンネルへのニーズが完全に一致していたから。しかし最近Splatoon3やその他魅力的なゲームタイトルの発表、モンハンの瞬間的な飽き、それらを身に浴びて自身のチャンネルに対して違和感を覚えてしまった。

過去にその他のゲームをする目的でサブチャンネルも作ってみた。しかしその目的とする概念も"人"であり、メインと同一の概念である。結果としてサブの役割はメインの重圧から逃れ気楽に配信するための場所でしかなくなっているのではないか?なぁ、たろたろ。

この状況を打開する策を2つ考えた。1つは"コンテンツ"として伸びたチャンネルを"コンテンツ"として認識して再定義してしまうこと。もう1つは"コンテンツ"として伸びたチャンネルを"人"路線に変えること。

前者は簡単だ。チャンネル名を「たろたろ@モンハン」のようにして一見してコンテンツ特化であることを明示し、投稿する動画もコンテンツ範囲内のものに限ればいい。他のコンテンツを投稿したければ、チャンネルを切り分けて個別に作っていけばいい。もちろん視聴者プールを引き継げないことや登録者が分散することで伸びって観点では一長一短あるが、伸びを第一の目的として考えてない自分にとってはかなり気楽で現実的な対応だ。

一方で後者は難しい、主に精神的に。これまでコンテンツを目的として視聴していた人のニーズを裏切り、"人"としての趣味を全開で行く。付いてこれる人は付いてこい状態。そうめんの良さも伝えたいけど、器用に牛丼とそうめんを同時に作れない。社会人にそんな時間無し。あれ、会社を辞めれば

結論は悩み中。布団に入って1時間くらい考えてたことをメモしようとTwitterを開いたが、140字に収まるわけ無かったので書き殴った。そのうち非公開にすると思う。おやすみ

追記

おはよう

起きてふと"人"を表しているチャンネルに思いを馳せてみたが、その人の中にも元は"コンテンツ"で頭角を現し、その後に"コンテンツ"の範囲を広げる努力を惜しまず複数の"コンテンツ"に跨って人気を博した結果として"人"を表しているチャンネルもたくさんあると思った。泊の付いた複数コンテンツの共通項を取った抽象概念が受け入れられ、領域が拡大していく可能性は大いに有り得る。
牛丼屋でそうめん出してそうめんも最高に美味しくて人気が出たら、その牛丼屋は抽象概念である"料理"ってコンテンツを表し始める、的な。牛丼屋でそうめんの人気出たら次の料理にも期待してしまう。

執筆時点では自分には"人"を表すほどの力がない前提で考えていたけど、"人"を表しているチャンネルも最初から"人"を表せていたチャンネルばかりではないので、"コンテンツ"の延長線上に"人"があるのは間違い無いと認識出来たのは個人的にとても大きい収穫。そもそも"人"っていう捉え方があまりに抽象的すぎたし、自分の可能性を閉じた盲目的な書き方をしていて反省。

だからと言って必ずしも後者が正解というわけではない。視聴者目線で考えると前者のような特化型の方がテレビ番組的な選択的視聴方式で楽しめるのは間違いないと思う。これらの違いを認識した上で、自分が本当にやりたいことを第一に最適な択を考えていきたい。

▲ 牛丼屋のそうめんに敬意を表し、記事タイトルをアップデートしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?