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茶ノ湯の掛物;011 喝

「臨済録」

僧問、如何是佛法大意。師便。僧禮拜。

見るからに背筋がゾクッとする厳しい語のように感じます。

解釈についていくつか引用いたします。

『禅林句集』柴山全慶編
「言葉では表現し難い悟りの境地を提示する禪的作用はたらきとしての激しい叫び。又學人を教導する激しい叱咤の叫び。一切を喝破する聲」
『禅語字彙』
「叱咤の聲。禪門にて唱ふる喝は、理盡き情亡じて眞機を露呈するところの玄旨あり、臨濟四喝の如く種々の玄機を含む、參じて知るべし。……」

「喝」

古くから「徳山の棒、臨済の喝」といわれ、臨済禅師が弟子に教えを説くのに「カーッ」と一喝したと伝えられています。

どうな言葉を並べるよりも、この「一喝」のほうが有効であったようです。

徳山宣鑑
[782~865]
中国、唐代の禅僧。初め律や唯識を学んだが、のち禅を学び、その修行は非常に厳格であった。
また、常に『金剛経』を講誦していたので、「周金剛」と呼ばれる程であった。

臨済義玄
中国、唐末の僧。臨済宗の開山で、諡は慧照禅師。曹州南華(山東省荷沢地区)の人。
若いころ、各派の仏教を学ぶが、生死の解決に無力と知り、名師を訪ねて彷徨ののち、洪州黄檗山の希運に参じ、3年の坐禅によって大悟した。
黄檗に一掌を与え、仏法は無多子と叫び、印可状を焼き捨てたという。鎮州の王氏に招かれ、沱河の辺に小院を構え、自ら臨済と名のる。
経典によらず、伝統にこだわらず、即今直下に自己の全体を生かす、真正見解を説く。ちょうど武宗の破仏のあと、各派の教学が衰滅するのと逆に、その主張は広く一般の共感を得、達磨に始まる禅宗の正系とされ、臨済宗とよばれるに至って盛行した。

「喝」に関してこんな故事もあるようです。

唐時代の禅匠百丈慧懐は師匠の馬祖道一によって一喝され、三日間耳が聞こえなくなった。そのことを聞かされた黄檗希運がゾッとして、思わず舌を巻いたという。。


寒さも緩み、
なんとなく春の訪れを感じる3月。
なんともなく浮き足立ってしまう
ふとした瞬間に、
気のゆるみが出てしまう。。。

そんな心の弛みを、
ピシャッと律してくれます。


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