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「ルワンダ中央銀行総裁日記」(服部正也/中公新書)読者ガチ勢として、16年分のレビューと、私が「旅するタルト役人」になった理由をとにかく語ってみた。

昔から応援してきた芸人さんやアイドルや漫画がブレイクするとき、みなさんはどう思いますでしょうか?「ずっと前に発見したのは私」「陽が当たって/売れてよかった」「私の方がもっと詳しく語れる!」などなど、さまざまな感情が一気に押し寄せますよね。

「ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版」(服部正也/中公新書)が最近話題(正確には2021年3月から)のようです。どうやら、なろう系(=ライトノベルの異次元召喚もの)として改めて認知され、中央公論新社でもド派手な太帯を新しく作ってくれたみたいです。

本書は日本人によるルワンダの経済再建を扱った自伝です。「日本が生んだ最高の役人」「天才!」「まるで異次元召喚」「チートすぎる」「アフリカの奇跡」「最も成功した途上国開発」「開発経済学を半世紀先取りした」などなどなど、称賛の言葉は事欠かず。読者はだいたい著者である服部正也さんファンになるのがこの本の特徴。

私、最初に読んだのは2006年で、それ以降少なくとも5回は完読してて(部分的な拾い読みは無数)、旧版含めて5冊持ってて、レビューももう3回ぐらいブログで書いてて、復刊ドットコムでもリクエストしてて、転勤・留学するときはこの本だけは持っていってて、てか服部さんをいつも目標にしながら仕事してて・・・え、すみません「ずっと前に発見したのは私!」で「陽が当たって/売れてよかったなあ」と思うけど「私の方がもっと詳しく語れる!」と、全部の感情がぐぐぐっと押し寄せてきてるのは他ならぬワタクシです(笑)

とはいえ、自分の過去について書くのは自分の進歩の墓標を書くみたいであまり好きじゃないわけですが、読んだらみんなファンになるこの本のレビューをおそれ多くも書こうと思ったのは2つの理由があります。

1つは、最近出会った県内の読書家の友人もこの本を読んでたこと。「農業の公務員で「ルワ中」好きって、センスいいですね!」って褒められてテンションが高まり、本書の内容を無限に語ってきたかったけど、時間切れになってしまい内容を語り合えないままだったので、どっかで何か語りたいと思ったんです。

もう1つは、旅するタルト役人しらとりーぬ、として最近活動してる理由の深い部分がここにあると思ったこと。「なんで「旅する」んだろう?」「なんでタルトを農園で作るの?」「なんで役人なのに現場(農場)に行くの?」というところの根底って、たぶん服部さん(の仕事の姿勢)に憧れたからなんだろうなと思ったからです。

思えば、公共政策のスケールの大きさを知ったのも服部さんからだし、現場で一つひとつ事実を確認してそれを積み上げていくことの大切さを学んだもの服部さんからだし、何より役人ってこんなにかっこいいんだと思ったのも服部さんからだったと思います。そして、服部さんみたいに仕事をする(ように努力する)ことの難しさを通じて、きちんと政策を作る・実行する・成果を上げることって(未熟な自分にとっては)本当に難しいんだなと、社会人になってからと思うのもやっぱりこの本のおかげなんだろうと思います。そう、大事なことはみんな服部正也さんから教わったんだっ!

・・・と、無駄に長いイントロでした。これから本編ですが、語りたいことがありすぎて、もうなんとも超絶長いので、好きなとこだけ拾って読んでもらえれば幸いです。もう一度言いますが、長いので読むと日が暮れます。くれぐれも全部読まないようにしてください。

1.これまでのブレイクの軌跡(全3回)をまとめてみた。

「ルワ中(って私が呼んでますので、以下は「ルワ中」で統一。)、また流行ってるよー」って私が思ってるのは、このブレイクがおそらく近年3回目だと思うからなんですね。最初に、ルワ中ガチ勢の気持ちも含めて、どのように読者層が変わってきているのかを紹介します。

-2008年:黎明期

ご案内のとおり、この本の初版って1972年でして、その後長らく絶版になっていました。とはいえ、有名な読書家や途上国開発関係の人とか日銀の人が読んでいて、玄人が知る名著という存在でした。当時は古本のネット販売もさほど流通していなかったので、そもそも手に入らなかったんですよね。私も神田の古本屋を定期的にパトロールして見つけたら買ってました。

成毛眞さんのレビューはこちらから。もともとのコア読者はこんな雰囲気だった気がします:

2009年:復刊ドットコム経由で中央公論新社に働きかけ、復刊!(ブレイクその1)

復刊ドットコムには2000年から掲載されていたんです。復刊の数年前にオフ会があって主催者にコンタクトだけした記憶があるんですが、参加できませんでした(当時は学生でとにかく余裕がなかったけど、参加すればよかったと今になってすごく後悔しています)。2000年といえば、インターネットバブルの真っただ中。インターネットの普及・定着とともに、日本中に散らばっていたルワ中ファンのみなさんが集い、復刊の機運が盛り上がったんだろうなと推測します。(wwwなどを作ってくれたティム・バーナーズ=リーさん本当にありがとうございますと言いたい)

ちなみに私は2009年に就職1年目でして、本屋でたまたま復刊されたことを知って購入しました。自分のことじゃないけど嬉しかった(この本のファンの友人にメールしまくった)記憶があります。

2013-15年:ライトノベル読者層に「異次元召喚もの」として(ブレイクその2)

twitterで話題になっているのを知って「確かに異次元召喚だ!」と妙に納得したのを覚えています。確かに、服部さんってどの時代のどの場所にいても良い政策作ってる感じがしますし、採用した政策も現代的にも斬新(産業未発展の途上国に外内資に対して共通な(競争的な)政策を導入するとか、表面的には定石に反してる気がしますし)で、「え、どこでその理論学んだの?」って感じなんですが、理にかなってるのでうまくいくんですよね。当時もそうですけど、最近、転生してパラレルワールドを無双する漫画とか小説って増えましたね。当時は半沢直樹も流行ってましたし、世間はこういう爽快感を求めてたんでしょうか。

ちなみにこのブレイク2をきっかけに服部さんの周辺情報も深掘りされて、(個人的に)理解が深まりました。この本は経済学とか金融の知識がない人には読むのはちょっと難しいとガチ勢から長らく言われてたけど、そういうのに明るそうな経済学者とか開発コンサルタントじゃなくてラノベ読者層が見つけてくれたってのが面白かったです。

当時の盛り上がりはこちらから:

2021年:「なろう系」として大ヒット(ブレイクその3)

これが今。もともとの起点はやっぱりtwitterみたいですが、あの大きな帯は中央公論新社の若手職員さんが作ってくれて、それもヒットして改めて広がったみたいです。書店側でもこの本の良さが浸透していて、PRを頑張ってくれたみたいですね。嬉しいことです。「※すべて実話です。」という書店のポップが一周回って斬新。今回は本当にいろんな方が手に取ってくれてるみたいですね。ありがたいことです。

2.どこか本書のハイライトなのか、ベスト3をまとめてみた。

前置き長くなりましたが、普通のレビューっぽいことをちゃんと書きましょう。とはいえ本書の要約は素晴らしいものが他メディアに掲載されてますので、こっちを見てください。

私は、個人的にかっこいいと思うシーン(よく読み返すエピソード)を3つピックアップしてみました。これを読めばあなたもガチ勢の仲間入りだ!

第3位:とにかく前向きな服部さん

これの選択が一番悩んだんですが、服部さんの軽やかな性格が垣間見えるシーン。ルワンダ赴任当初から課題は山積です。中央銀行はなめられているし、職員も教育されていないし、計数も整理されていないし、そもそも銀行券が金庫にない(!)果たしてこんな中央銀行で与えられたミッションなんてこなせるのか・・・と暗い気持ちになるのですが、そこからのシーン。

とにかく、引受けた仕事なのだからやらなければならない。なるほど中央銀行の現状は想像を絶するぐらい悪い。しかしこれは逆に見れば、これ以上悪くなることは不可能であるということではないか。そうすると私がなにをやってもそれは必ず改善になるはずである。要するに何でも良いから気のついたことからどしどしやればよいのだ。働きさえすればよいというような、こんなありがたい職場がほかにあるものか。ベッドの中でこう考えつくと私は、苦笑しながらも安らかな気持で寝についた。
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p25

結局、物事って捉え方で前向きにも後ろ向きにもなると思うんですが、それを意識的に切り替えられる人ってそんなに多くない気がします。その中で、最低の状況=何をやっても改善になる状況と再認識できるのは、本当に素晴らしいメンタリティ。服部さんの、常にちょっと高いところから物事を眺めている視点の独特さみたいなものではないかなと思います。

第2位:夜中にベットを飛び起きて、ひらめいた政策のアイデアを書き留める服部さん

これはおそらく読者納得のシーンの1つではないでしょうか。服部さんが立案した経済再建計画の大きな柱は、ルワンダの大半を占める農民を、自給自足経済(自分が必要なものしか作ってない)から、市場経済(他人が必要なものも作る。んで売ってお金を稼ぐ。)に引っ張り出していくということでした。これにより、ルワンダの農民が(必要な現金収入を得るために)なるべく多く(または付加価値の高い作物を)生産し、それが販売されて商品となり、その商品を購入するために他のルワンダ農民もまた生産性を向上させ・・・と経済が大きな循環を描いていくことを目指しています。

この政策を立案する根本的な前提には「ルワンダ人は怠け者かどうか(ちゃんと合理的な経済活動ができるか)」の確認が重要です。というのも、当時の一般的な社会認識は、ルワンダ人は怠け者という固定観念が多くを支配しており、事実ルワンダに赴任した外国人顧問も口を揃えてそう言っていたのです。みんなが真面目に働かない国ではどんな経済政策やっても効果はあがりません。そこで、服部さんは、これを検証するためにたくさんのルワンダ人と会います。そして役人で兼業農家のルワンダ人が、役所の仕事はおよそ真面目とはいえないけど家に戻ってから自分の畑は真面目に作ってるのを見て、ルワンダ人は働き者(=合理的な政策であれば反応するはず)とようやく結論付けます。これがファーストステップ。

とはいえ、ルワンダ農民は、別に現状の自給自足経済のままでも困ってないし、(いろんな農家の話を直接回って聞いても)みなさん合理的な意思決定の中であえて換金作物を作っていないんです。だからこのままだと何も変わらない。

ここで思考が止まらないのが服部さん。つまり、本気で実行しようと思うと、新政策のキモは、農家が換金作物を作るかどうかにかかっている=農家が換金作物を作って現金を得てまで欲しい商品がお店に売ってるかがキモであるという仮説になるんですね。この具体的なシーンが思い浮かぶような経済行動に落とし込む仮説設定が本当にすごいですけど。

とはいえ、ルワンダの商品流通網ってすごく脆弱で、今さら会社作って育成しても短期間では到底ルワンダ農民のために魅力ある商品を大量に供給するのは難しいんです。とはいえ外国人商社に頼ればどうせ利益は外国資本に行ってしまうし、独占企業が生まれて経済を支配してしまうだけだし・・・。この辺、服部さんかなり前から気づいてすんごーーーく悩んでいたようですが・・・。

 しかしこの農民に対する安定した、低廉な、多種豊富な物資の供給は、第一には農民の自発的生活改善の意欲を起すため、第二にはこの意欲が現実の生産性向上に結びつくために絶対必要であり、経済再建計画のかなめともいうべきものである。これが解決できなければ通貨改革はできても、経済再建はできない。答申を提出してからこのことが頭を離れず、一時は答申を全面的に書き直さなければならないかとまで思った。
 ある日床についてから、ふと、ルワンダ人が細々とではあるが密輸をしていることを思い出した。(中略)これに興味を覚え、ルワンダの密輸について各方面に聞いてみたら、ルワンダ人がなお小規模ではあるが、コンゴ、ブルンディ、ウガンダとのあいだで、豆類、食用油、若干の繊維品を密輸していることがわかった。私はこの話を思いだした。今までルワンダ人は輸入ができないと決めてかかっていたが、これは輸入を欧米、日本など、海外からの輸入取引に限定して考えたからであって、隣国諸国からの密輸も輸入である。それを現にルワンダ人は行っているではないか。
 彼らの輸入する商品の中には、海外原産で隣国に輸入された品物も少なくない。しかもその顧客はルワンダ農民である。かりに外国人商社が輸入商品の国内価格を、協定その他の独占的方法で不当に高く決めようとしても、ルワンダ商人がこれらの商品を近隣諸国から輸入すれば、外国人商人の独占的価格には天井ができるはずである。さらに考えが発展する(中略)
 このようにルワンダ人商人に経済再建計画の実現に大きな役割を担当させることができるのであるが、彼らの活動を今後発展させるためにはどんな方策をとるか。私は積極的奨励措置よりはまず障害の除去を、という答申全体の思想にもとづいて、ルワンダ人商人による輸入がなぜのびないかを考えた。それはまず「密輸」という言葉自体に対する不正の意識であろう。次には輸入手続きの煩雑である(中略)。最後に近隣諸国にいって仕入れをするのに必要な外貨の入手難と、その持込持出が禁止されていることもまた障害になっているだろう。
 私はとび起きて、「商業における構造的競争の導入」という題で一件二百ドルまでの国境貿易の許可免除、外国銀行券の携帯輸出入の許可免除、外国銀行券の保有と取引の自由化を内容とする答申の追加を書き上げた。
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p179-182

要は密輸してる実態があるので、密輸を合法化すればモノがたくさん流れそう!ってことに気づいたんですね。しかもルワンダ資本!これって、膨大なフィールドワークの蓄積が頭の中で政策としてつながった瞬間Connecting the dots があるすごくリアルなシーンとして鮮やかです。

いわゆるお勉強では、問題の中に必ず解決策があって与えられたらその場で解かないといけないですが、社会課題は、解決策がその場にはないものもあって問題意識を頭の片隅にためながらふらふら解決のネタを探しているうちにどこかで急にひらめいて時間差で解決することもよくあると思うんですよね。個人的には、真面目に頑張っていればこういう瞬間って神様が与えてくれるもんじゃないかと思って、いつも励みにしています。なかなかないけどね。

第1位:つるし上げられるはずの商業銀行の取締役会で、相手方を全員味方につける服部さん

もうこれは全員納得のはず、というぐらい一番印象的なシーンでしょう。
(国内に1行しかない民間銀行である)商業銀行が不穏な取引をしていたこと(=これも服部さんが毎日計数をチェックしてるから判明したもの。服部さんは中銀総裁だけど自分で帳簿もつけてるんですよね)から話は始まります。そのほかも不穏な取引が目立ち、何よりも中央銀行をガン無視して自由勝手に営業されている点が気に食わない。規制は好きじゃないけど、国内で1行しかないんだからある程度政策的な要請に応えてもらわないと健全な経済にならないよね、と協定案をサラサラと作ったところ、中央銀行の総支配人(服部さんの片腕)は「内容は賛成ですけど、マジでやるんすか?」という反応。商業銀行に投げるけど、レスポンスなし。遅レスにイラっとして商業銀行の総支配人デヴィルシャン氏とようやく面会するけど、めちゃネガティブな反応。思わず激論になった結果、服部さんは「この協定の内容は中央銀行の権限の範囲内。嫌なら強制的に履行させるまで」と言ってしまいます。すると総支配人は「協定案はそうかもしれないが、我々には常に銀行を閉鎖する自由がありますからね」との態度。

私もさすがに憤慨して答えた。
「閉鎖するのはご自由です。そうしたらしかたがないから、中央銀行で商業銀行業務をやりましょう。その例は多いし、私もルワンダでの商業銀行業務ぐらいはあわせてやる自信はあります。(中略)見受けたところ功成り名とげて隠退されるのも近いあなたの、輝かしい銀行家としての生涯最後の仕事が、アフリカの貧乏な小国がその経済を建直そうと真剣にとりかかったとき、それに協力を拒んだということでよいのでしょうか」
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p109

え、そこまでいって委員会って感じだけど、一応本人も反省してたりします。ちょっと可愛い。

その晩はさすがに眠れなかった。まず後進国で営業する外国銀行の傲慢な態度に腹が立ってしかたがなかった。それを受けなければならない後進国の屈辱的な地位を考え、またそれに対抗できる日本人という立場の強さを思った。(中略)はたして自分のとった態度が本当にルワンダのためになったのか、後進国としてはむしろ耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶのが宿命であり、生きる唯一の道であるのに、私は日本人という立場で売言葉に買言葉でルワンダに迷惑をかけたのではないか、などの反省がわいた。
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p110

翌日、商業銀行の緊急取締役会に招聘されて、(出資者たる)英仏独白の大銀行からの社外取締役の前で協定案を説明させられます。これは実はいわゆるつるし上げで、大人数で話を聞きつつその場を反対の空気で支配して、説明者をくじけさせようという意図が見え見え(実際に総支配人は各参加者にネガキャンを張ってたみたいです)。総支配人のデヴィルシャン氏がまずは口火を切り、アウェイ感満載で取締役会は始まります。

「本日緊急にお集まりをお願いしたのは、かねてご案内していました、中央銀行からの要請について結論を出したいと思ったからです。ご存じのように、中央銀行からの今回の要請はきわめて広範なもので、当方としても十分検討したうえで、慎重に態度を決定すべき重大なことがらでありますが、なにぶんにも総裁は回答を至急にほしいということですので、昨日私はジレ氏と一緒に総裁に会っていろいろ話し合った結果、その趣旨がよくわかったのですが、私から説明するよりは、みなさんに総裁から直接話していただくほうが良いと思って、総裁にこの会合に出席をお願いした次第です。」
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p110-p111

角度のあるイントロから、服部さん説明開始。

「(前略)私として問題なのは協定の件です。これに関して昨日、私はデヴィルシャン氏と、礼儀よりは率直に重点をおいた長い会談をしました。その結果協定の内容よりも、中央銀行と商業銀行とのあいだの意思の疎通が重大な問題であることがわかり、デヴィルシャン氏の招待に応えて本日の会合に出席することにした次第です。
 まず協定の内容については、すでにみなさんご存知のことと思いますが、これはべつだん突飛なことはなにもなく、すべて中央銀行法その他のルワンダの法律で、中央銀行に委任された権限なのであります。
(中略)
 先日の会談でデヴィルシャン私から商業銀行の閉鎖の可能性に触れられ、これに答えて私は、中央銀行による商業銀行業務実行の可能性を仄めかしました。中央銀行と商業銀行との話合いでこんな極端な場合のことが語られることは、礼譲の点では問題があるにしても、両者が極限の場合をも想定して議論をつくした率直さを、私は評価したい。
 私は世界でも強力な中央銀行に20年間奉職してきたのですが、その日本銀行が、日本経済の発展のために少なからぬ貢献をしてきたと信じております。私は、その経験を活かしてルワンダ経済の建直しに寄与したいと思っており、まず中央銀行と市中銀行の関係を日本における関係にもっていって、金融政策を行いたいと思っております。日本ではこの関係はまず同じ銀行業に携わっているという同業者意識と、国の利益は市中銀行の利益と同一であるという信念から生ずる信頼関係、協力関係にもとづいているのです。具体的にいえば私は、中央銀行の政策運営は必然的に市中銀行の経理に影響を及ぼすが、中央銀行としては政策実行に際して、市中銀行の収益をつねに考慮しなければならないと思っています。
 (中略)否後進国でも本来は国益と市中銀行の利益は一致すべきものだと私は信じ、そのためには先ほど述べたような、中央銀行と市中銀行の信頼協力関係が不可欠だと考えるのです。このような考えかたから私は、規則でできるものをわざわざ協定の形で提案したのです。」
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p113

服部さんは協定案の内容ではなく、その背景になる考え方、特に中央銀行が商業銀行の利益を考慮している点を丁寧に説明しています。その後、各国銀行からの代表者との質疑応答が始まりますが、質疑の中で実際に商業銀行に利益のある提案であることがだんだん明らかになっていきます。

コメルツ・バンク代表「貸出に対する規制が厳しいように思いますが、民間金融機関としては貸出が本来の活動分野なのですから、貸出規制に対する中央銀行の態度は、できるだけ柔軟にしていただきたいと思います。」
服部「中央銀行としては、現在ルワンダでは、まず銀行信用全体を適正な水準にとどめることが急務であり、財政赤字が現在の規模でつづくかぎり対民間貸出は圧縮せざるをえません。しかし近くこの財政赤字もある程度縮小する見通しで、その際は銀行貸出についても若干の拡張を認めることができると思います(中略)また貸出は中央銀行と協議して決めるやりかたはただ不健全な融資が断りやすいという消極面ばかりでなく、さきほどいわれたルワンダに対する協力の積極面からも商業銀行にとっては好都合ではないでしょうか」
バンク・ナショナル・ド・パリ代表者「総裁のお考えには私も賛成です。一つの小さな点をお聞きしたいのですが、コーヒーの収穫が大きくて、その金額が商業銀行の資金量を超える場合は、親銀行であるわれわれからルワンダ商業銀行に外貨を送って、資金援助することを期待しておられますか。もしそうだとすれば、その金額はどのくらいか、また返済について中央銀行の保証はいただけるでしょうか」
服部「私としては、コーヒーのような季節的資金で、輸出代金で決済されるようなものについては、外貨で金融を受ける必要は認めません。これは必要とあれば中央銀行で再割引することによって、ルワンダ商業銀行がコーヒーの全量を金融できるようにするつもりです。
(中略)借入をお願いする際は、ルワンダの外資繰りのために行うわけですから、中央銀行が直接借入をお願いします。私は外貨運営について責任のない商業銀行にこれをお願いするつもりはありません。また貸すほうとしても中央銀行に貸すほうが、返済の点でご安心だろうと思います。
 ついでに申しますが、私は無駄は嫌いなのです。商業銀行に余裕資金があそんでいることも無駄なら、ルワンダ・フランによる資金需要を外貨で金融することも無駄というものです。無用な規制ももちろん無駄です。今回提案した協定による規制は従って、中央銀行と商業銀行が無駄なく仕事をするために行われるものであることを、よくご諒解願います」
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p116-117

と、服部節が炸裂しまくった質疑応答がついに終わり、バンク・オブ・アメリカの副頭取(実質的な議長役)がまとめに入ります。

ここでバンク・オブ・アメリカの副頭取がみなを見廻して、
「現地当局に協力するというわれわれの方針からいって、今回の総裁の提案は当然受諾すべきものです。しかし総裁から直接お話を伺い、商業銀行に対するまことに深甚なご配慮があることがわかり、われわれとしては単に協定を受託するという受身の行為ではなく、今後中央銀行と密接な連絡を取って、こちらから一心同体となって行動するという、積極的協力を約束することを決議しようではありませんか」
と提案した。一同は賛意を表したが、デヴィルシャン氏は、
「問題がまことに円滑に解決しなによりです。さきほど申し上げたとおり、私としては昨日の総裁との会談で充分納得はしたのですが、なにぶんことがらが重大だったので取締役会に諮ることとしたわけです。その結果総裁から直接皆さんにお話をしていただき、今後の協力の万全を期することができました。」
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p117

もう、リアル半沢直樹なんですよね。さらっと何事もなかったかのように掌返しをするデヴィルシャン氏が服部さんを引き立てています。服部さん=堺雅人さん、支配人=香川照之さん、バンク・オブ・アメリカ副頭取=北王路欣也さんでキャスティングしても違和感なく見れるんだろうなあ。

本書は本人の著作なのである程度の誇張は当然あるのでしょうけど、一切妥協なく理路整然と正論を語って協力を得るところがものすごくかっこいい(ちゃんと相手にとってのメリットも設計されていて、自分にとっての正論を押し付けるということではないんです)。現実の交渉ごとには相手の気を引こうとか少しは案を変更してもおおむね認められれば良いとか、ついつい波風立てずに進めようと多少の妥協をしようとしてしまいますが、そもそも内容が合理的なものであるのか(筋が通るのか)という姿勢で突き抜けていく姿に、役人として仕事のあるべき姿をいつも問いかけられる思いがします。てかまじかっけーんですけど(心の声)。なお、後年、服部さんはインタビューでこのようにも語っています。

 「ルワンダ中央銀行総裁日記」で、私が伝えたいと思っていたことを正しく読んでくれたのは、成城大学の加藤一郎先生ですね。あの方がずいぶんあとになってから書評を書いてくださったんです。「服部という男は、アフリカ人だろうがなんだろうが、根気良く相手にわかるように説明すれば必ず理解してもらえるということを信じてやったんだ」という、この一行がぼくはいちばん日本の人にも伝えたかったんです。つまり、合理性は普遍だということなんです。
佐高信「佐高信のインタビュー社長の転機・会社の転機」経営書院、1992年、p99

なお、前述の経済再建計画は実施されて着実に成果を上げ、後に「ルワンダの奇跡」といわれる経済発展を成し遂げます(その後、近隣国の武装侵入などがあり、通常経済が維持できなくなってきたりして、その後の暗い歴史につながりますが)。

きちんと現場から積み上げて、きちんと説明して、きちんと実施して、きちんと成果を上げるという一連の流れに、きちんとやればこれほど大きなことができるんだという公共政策の可能性としてものすごく勇気をもらうし、逆にいえば、(服部さんぐらいハイパー優秀な方でも)これほどの膨大なフィールドワークによる仮説検証(実行可能かどうかも含む。)を通じた政策立案と、それを正しく説明し、実施する調整力がないと良い政策なんてできないんだ、という冷静な示唆もあり、折に触れて読み返して勝手にご指導いただいております。特にこの取締役会のシーンはアウェイ感が漂う会議に出席する際は常に思い出します。とはいえ、学生のときは近く感じたけど、改めて読んでみると服部さんを思うほど(西野カナばりに)遠く感じますが・・・。

3.本書に盛り込まれた名言のベスト5もまとめてみた。

名言が多くいわゆる「服部語録」「服部節」と呼ばれているのも本書の特徴。ここでは、個人的によく思い出す名言を5つ挙げてみました。3つにしようと思ったけど、どうしても絞れなかったので。どれもツンデレっぽい感じなのは私の趣味です。引用したら思いのほか長いのもありましたが、どれも良いので是非ご覧ください。

第5位:私は、過去は将来への準備以外には意味はなく、過去を語るようになったら、それは未来への意欲を失った時だ、と考えている。

まえがきより。過去を語るって、成果を上げた人にとっては自慢になりますし、相手にいわゆる「カマす」ことでその後の関係性を有利にするみたいなことが行われることってありますよね。輝かしい業績をあげているのに服部さんってそういうの自分から語らないんですよね。もちろん、ルワンダ中央銀行総裁としての成果は卓越したものですが、その後世界銀行の副総裁(日本人初です)になったりしてます。てか服部さんって、旧制一高の首席入学者(=現代的にいえば、デスノートのL(エル)くん、または夜神月くんってことです。あ、あれは漫画か(苦笑))ですしね。その根底には、やっぱり常に実務家として第一線であるという自負というか、自分は肩書きに頼らなくても実力で良い仕事できるという自信があったんだと思います。実際、他書のインタビューでこんなくだりがあります。

佐高 日本人というのは、どうしても縦感覚で話をしますよね。服部さんにお付き合いいただいて私がいちばん感じるのは、服部さんの場合は、合理性という前に、横感覚なんですね。先程、優越感にというお話がありましたが、ルワンダの人たちに対しても、服部さんは変な優越意識が全然ないんですね。
服部 いや、そんなことはないですよ。現地の人との付き合いがそういう横感覚で出来るということは、かなり自信がなければ出来ないんですよ。逆にいうと、横感覚でしゃべれると言う人は相当のぼせているということなんです。怖くないんですよ。逆に縦感覚でしゃべる人というのは、怖いから縦感覚でしゃべろうとするんですね。
佐高信「佐高信のインタビュー社長の転機・会社の転機」経営書院、1992年、p99-100

これって、たぶんドラゴンボール的(世代が(苦笑))には、まず通常状態の悟空がスカウターで見られて「このクズが。すぐ消してやる」って敵に思われるお馴染みのシーンに近いものじゃないかなと思うんですよね。最近だと葬送のフリーレンで、フリーレンが七崩賢1人の断頭台のアウラと戦ったときに、敢えて魔力を抑えてて舐められるシーンじゃないかと思う。共通点は、どっちも主人公の実力を際立たせるための演出ということです。やたらに強いから無駄に気を使ってなくて、逆に敵を眺めてるってことなんですよね。
(ちなみに、このエピソードが出てくるのは「服従の天秤」で、個人的には「葬送のフリーレン」の中のハイライトだと思っております。「私は千年生きた魔法使いだ」といって魔力を全開放するシーンが大好き)

で、話を服部さんに戻すと、こういう自分の過去を語らない姿勢=今の自分で勝負する姿勢が本当に徹底されていると感じます。この偉そうにしなくても勝負できるからあえてフラットに接するという、一周回って謙虚な?心持ちが服部さんです。

第4位:技術は本来中立性なもので、政策あっての技術ですから

これも結構有名です。大統領に自宅に呼ばれて、初めて重要政策について1対1で会談した際の一言。厳密には、技術=施策=手段、政策=政策理念=目的ということでしょうけど、政策理念なき施策って意味ないよねという冷静な視点を思い出せてくれる一言。服部さんはこの会談の中でいくつかの選択肢を示しながら対話型で大統領の政策理念を明確化していき、必要な施策を提案していきます。このコーチングみたいなプロセスもすごく鮮やかだし、その場で聞いた政策理念に対応する対策がさっと出てくる(そして必要な数字や過去事例は事前に調べてある!)という異次元召喚感がものすごく出ている場面でもありました。

第3位:ルワンダ政府が人頭税の増額を提案するようだったら私は総裁をやめて日本へ帰る。財政の均衡といったってどんな均衡でもよいわけじゃない。今後持続できる均衡じゃなければいけないのだ。

経済再建計画と一体となって進めている通貨改革(本当はこっちが最初にあったが、服部さんが併せて諸制度を整備しないと経済再建できないと気づき、経済再建計画も作ることにした)の実施に必要な融資をめぐって、交渉の場で切った啖呵。もちろん本気じゃなくて、IMF側にあえて聞かせるために言っているので本気でキレているわけではありません。

通貨改革の実施には、どうしても一定の外貨が必要であり、IMFからの融資を受けざるを得ません。しかし、IMF側は財政収支の均衡を要件に融資を持ち出してきます(当時ルワンダはずっと毎年赤字財政が続いていたためです。現代的には財政赤字は別に普通なわけですけど、教科書的にはダメですからね)。様々な支出のカットと税制の見直しを行うのですが、どうしても収支均衡まであと少し足りない。そのときにIMF側から人頭税(=1人当たりなんもしてなくてもかかる税金)の増額提案をされます。

これについて、一緒に交渉をしていた同僚ハビさんは妥協案として受け入れることを耳打ちします。去年も議会で提案されたし賛成議員も多かったけど大統領が反対しただけなので総裁が進言すれば通るというのがその理由(そしてこれが決まれば交渉は成立なんです)。ただ、ルワンダ人の発展のために通貨改革をやろうとしているのに理屈もない人頭税増額をルワンダ人に課して生活を苦しくするってまったく筋が通らないわけで、服部さんは絶対に首を縦に振らない。そこでこの啖呵を切ることになります。この発言ののち、人頭税に関する議論は一切出なくなり、交渉は別の形でまとまります。

このシーンを読み返すたびに、自分は同じ局面で服部さんみたいな意思決定がちゃんとできるんだろか、筋を通すことじゃなくて簡単に成果を出すことに飛びつきそうになっていないかと、思いを巡らせたりします。ま、どっちが良い結果を生むかどうかはケースバイケースだと思いますが、実際にそういう場面に出くわしたら、きっと自分の心の中に服部さんが蘇ることを期待しています。

第2位:この送別の辞の大部分を占める、私の業績に対する讃辞には、私は感動はなかった。職務を立派に遂行することは俸給に対する当然の対価であって、あたりまえのことをしたからといって讃められることはない。

ルワンダ赴任終了時の送別会の感想より。服部さんって(日銀から出向した)IMFから派遣された技術協力者という立場です。なので、本人としては与えられた仕事をやってるんだから成果を上げて当たり前っていう認識なんですよね。いやいやミッション自体がノーベル賞級に難しいんですってって思ってしまうけど。

一方、服部さんは赴任当初から(政策立案の基礎として)なるべくルワンダの人たちを理解しようと努力して行動してきていて、そこは他人よりも努力してる自負もあったんです。実は、ルワンダの通貨改革の実施直前に隣国ブルンディでも通貨改革を行うんですが失敗に終わっています。それも同じくIMFから優秀な職員が派遣されているし、通貨改革の内容もさほど悪いものに思えない(教科書通りの内容ではある)のにもかかわらず、です。これを冷静に分析した服部さん、自分の通貨改革が成功するとすれば、ルワンダ人に合ってるかどうかだ(逆にいえば隣国ブルンディの改革は、教科書通りのメニューなだけで国民の特徴を踏まえた内容ではなかったんじゃないか)と思って、通貨改革成功のためにはとにかくルワンダ人を知るしかないと思っていたということもあります。これが結果的には功を奏することになる(のでルワンダの通貨改革は唯一無二のメニューになる)し、この態度がまさに政策の王道なんだと思うんですよね。

こんな服部さんについて、送別式で大蔵大臣もスピーチするんですが、ちゃんとこの「ルワンダ人を知ろうとする努力」が理解されていて、それを知って服部さんが感激するというシーンもあります。

「あなたは、ルワンダ国民とその関心事とを知るため、(外人の)クラブや教会や、滞在期間が長いという理由で、当国の事情を知ってると僭称する人たちから聞きだすことをせず、直接ルワンダ人にあたって聞かれた。他の多くの技術援助員の考えかたや、その作業を毒する偏見にわずらわされることなく、あなたはルワンダ人に相談してその意見を聞いた(中略(原文ママ))。あなたの基本的態度は、ルワンダ国民のために働くのであるから、まずルワンダ人にその望むところを聞かなければならないということでした」
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p 294

第1位:私は戦に勝つのは兵の強さであり、戦に負けるのは将の弱さであると固く信じている。

むすびより。おそらくこれが本書の引用件数第1位だと思います。原文がとっても名文なのでさっそく引用してしまいます。

私は戦に勝つのは兵の強さであり、戦に負けるのは将の弱さであると固く信じている。私はこの考えをルワンダにあてはめた。どんなに役人が非能率でも、どんなに外国人顧問が無能でも、国民に働きさえあれば必ず発展できると信じ、その前提でルワンダ人農民とルワンダ人商人の自発的努力を動員することを中心に経済再建計画をたてて、これを実行したのである。そうして役人、外国人顧問の質は依然として低く、財政もまた健全というにはほど遠いにもかかわらず、ルワンダ大衆はめざましい経済発展を実現したのである。
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p 298

この「戦に勝つのは兵の強さ」がルワンダ赴任時における服部さんの役人としての基本思想なんですよね。ぱっと見るとふーんって感じですが、この思想ってすごく独特です。比較のために、戦(いくさ)をもとにリーダーシップみたいなものを語っている他の著名本と並べてみました。本の選択も含めてかなり私の主観なので解釈が間違ってたらすみません。

まずは「坂の上の雲」(司馬遼太郎)です。

国家公務員ならみんな読んでるので面接で聞かれるってガッコの先生に言われたけど読んでも特に就職には役立たなかった一冊。やっぱりカッコ良いのは児玉源太郎ですよね。二〇三高地の戦略、日本海海戦の快勝も(あくまで小説ではありますが)やっぱり児玉源太郎という天才がいたから勝った!という印象が個人的にあります。(直接そう書いてあるわけではないけど)「戦に勝つのは将の強さ」という思想で、リーダーが賢いことが重要という感じがします。

次に「失敗の本質ー日本軍の組織論的研究」(野中郁次郎ほか)

これは旧日本軍の敗戦の原因を組織論的な観点から分析しているものですが、「戦に勝つのは組織の強さ(戦に負けるのは組織の弱さ)」と感じられる一冊。組織の強化のための手段としてリーダーシップや戦略やマネジメントがあり、リーダーがメンバーに適切に働きかけていくことが重要という考え方だと思っています。何が正解とかはないですが、現代的な経営論につながる思想だと思います。

で、ルワ中の我らが服部さんは「戦に勝つのは兵が強いからで、戦に負けるのは将が弱いから」。結局、いい成果が上がるのは一人ひとりのメンバーが頑張ってるから(で、別にリーダーが偉いわけじゃない)。一方で、失敗するのはリーダーが方針を間違っているから(で、一人ひとりが悪いわけじゃない)。あくまでリーダーは添え物みたいなものであって、成功要因にはならないが、下手を打つと全体に悪影響を及ぼして失敗要因たりえる・・・と言ってるんじゃないかと私は思うんですよね(言い過ぎ?)。もっといえば、役人が頑張るから国が栄えるんじゃなくて、国民一人ひとりが頑張るから国が栄えるんだ、むしろ役人は足引っ張るな!という思想なんだと思ったりしています。どうしても政治や政策の議論になると、リーダーが啓蒙していくとか、指導していくとか、変化させていくとか、「上から目線」の思想になりがちで私はどうもしっくりこないんですが、あくまで頑張るメンバーが意のままに頑張れるように各種サポートするという、フラットなリーダーシップのあり方が服部さんであり、組織で働いている実感に近くてすごく共感するんですよね。

リーダーの役割をここまで限定的に捉えているのって、すごく独特ですし、成功要因として(リーダーから独立した存在としての)メンバーの活躍を重要視しているのも珍しいんですが、メンバーの主体的なコミットメント(強いエンゲージメント)こそが組織の成功において一番重要という思想は近年の経営書でよく読む思想でもあるんです。

数年前流行った「ティール組織」個々人のコミットメントを上げるための組織の建付けですし、グーグルから広まった「心理的安全性」メンバーが言いたいことが言える・やりたいことができる組織の最大公約数ということでありました。なお、私が「旅するタルト役人」の活動を始めるきっかけになったのはDark Horse「好きなだけで生きる人」が成功する時代」(ドット・ローズほか)を読んだこともあるんですが、ここでは好きなことをやることで個人の能力が最大化されてそれが時代を創るので、もはや組織にいる必要は無いってとこまで突き抜けちゃってます(ま、私は組織の力も信じてるので辞めませんけどね)。

と、もはや小難しい議論過ぎてわからなくなってますけど、要は、思想的にも「なろう系」(=異次元召喚)なのが服部さんということです。とはいえ、ここまで読み進めていただいた方はお分かりのように、異次元召喚なのではなくて、既存の理論や思い込みにとらわれずにゼロベースで自分の頭で考え抜いた上で本当に現場に根差した対策をやっていたということで、後世の人から見れば、当時のルワンダに適した思想なり政策が当時は新しかったけど、ほかの時代では存在していたものでもあったということだけなんですけどね。やっぱり、いろんな政策や過去の教訓を記憶するだけじゃなくて、(ときにはゼロベースで考えて必要なときだけ)思い出さなければいけないんだなと改めて痛感します。

4.おわりに:こんなに長い記事を読んでくださって本当にありがとうございます。

まずはここまで辿り着いたみなさま大変お疲れ様でした。いろいろ脱線ばかりでしたが、ルワ中の魅力と服部さんのひととなりについて自称ガチ勢の一人として少しでもお伝えできたでしょうか。

ちなみに、このレビューを書こうと思ったのはもう1つ理由があります。最近就職先としての公務員の人気があまりなく、いざ就職しても転職する友人も多いのですが、一方で私が辞めようと思わないのはやっぱりこの本が根底にあると思ったからです。もちろん、富を創造しない公共セクターに人材が集まることは現代の日本社会として望ましいことではないと思いますし、転職という組織本位ではなく個人本位の意思決定は常に個人にとってベターな選択であると思います。それでも同僚たちや他の公共セクターに関わる友人たちに、本書に見る公共政策によって変えられるものの可能性やそのスケールの深さと大きさに、きっと私たちが目指している/きっと目指していたものの、嘘じゃない輝きが伝わってないとしたら少し残念だなあと、恥ずかしいけど4回目のレビューをすることにしました。

私は思うに、本書が読者をいまだに惹きつけてやまないポイントというのは、決して服部さん個人の卓越さや築き上げた成果だけによるものではなく、その考え方、働き方、人の接し方などが根底にある気がします。その一部は、常に私たちの心の中のどこかにはありますし、何かのきっかけがあれば、環境を問わず私たちが心の中で再現できるものでもあるような気がしていて、その感覚が半世紀も前のルワンダについて書いたこの本にワクワクを添えているんじゃないかと思う。本レビューを通じて、本書を読んだ私がいつもそうであるように、公共政策に関わるいくばくかの方がその目を改めて輝かせてくれたらこれ以上の喜びはありません。

◇ ◇ ◇

最近流行っているルワ中。ひとまず3回目のブレイクに係る全ての感情を16年分まとめて発散してみたわけですが、改めてこの記事を書くために本書の記述を確認したり引用本文を打ち込んだりして改めて感情が湧き上がったというか、思いがもう一回大きくなった感があります。やっぱり服部さんってかっこいいよね。ここまで読まれたみなさんは、ぜひルワ中ガチ勢になっていただき、次のブレイク時には「あ、あれね。4回目!」と偉そうに語っていただければ幸いです。

ちなみに、私が進路をおぼろげながら農業分野の公共セクターに決めたのは大学3年生の頃でしたが、当時の日本農業は必ずしも明るい状態ではなく、今みたいに大規模な法人の農業経営者も多くなく、農業DXとかアグリテックとかそういう異分野の導入みたいな視点も少なくて、経済学部だった私はだいぶマイナーな存在として認識されていました(よく某経済系の官庁の志望者と勘違いされていたし、友人に「なんで農業なんかやるの?」って言われてた。「なんか」ってなんだ!)。

でも(周りに流されず)消去法じゃなくて積極的に進路を選択できたのは、農業サークルで出会った全国の同世代の仲間たちが本当に本当に本当に本当に素敵だったからです。みんな多かれ少なから農業はこのままじゃまずいと肌感覚で思っていて、農業を通じて社会を良くしていこうと素直に思って行動していて、もちろんスタイリッシュでは必ずしもないんだけど、でも悲壮感とかはなくて地に足がついていて、何よりなんか(飲むと特に!)楽しそう・・・そして彼らは大学でそれまで出会ったどの分野の人たちよりも輝いて見えました。こんな人たちと一緒に仕事がしたいなあ、こんな人たちがいれば日本の農業の未来はもっと明るいに違いないし、農業が発展すれば(地元含めて)いろんな地域社会の課題が解決するんじゃないだろうか、あとはみんながやりたいことができるようにサポートする行政があれば・・・。そんな「人」ベースの直感的な選択を後押ししてくれたのもやっぱり本書だったような気がします。ひとまず幸いにも今までその選択を変える気持ちは芽生えてきていないし、大変なことも多いけど就職後もいい人にたくさん出会えたので、いい選択だったんじゃないかと思う。服部さん、いい本書いてくれて本当にありがとうと言いたい。

やっぱりビジネスも政策も結局は人が人の集合体に作用する以上、何か変えようと思ったらとどのつまり人なんだろうなというのが、16年目の読後感でありました。あれもこれも盛り込んでしまい、ものすごく長くなってしまいましたが、結局はそんな一言です。そんな最後は本書の最終文の引用で締めたいと思います。改めて、長文を読んでいただいて本当にありがとうございました。

後進国の発展を阻む最大の障害は人の問題であるが、その発展の最大の要因もまた人なのである。
服部正也「ルワンダ中央銀行総裁日記」中央公論社、1972、p 298


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