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「うまく生きる」が難しい

はじめまして。記念すべき初投稿!にもかかわらず少々後ろ向きなタイトルで恐縮ですが、このタイトルが今の私自身を最も簡潔に表す言葉であり、noteを始めようと思ったきっかけでもあったので、これにしました。

このnoteでは、毎日を生きていくなかでなにかと悶々としてしまい、つまづき、うつむきがちな私の心を文字に起こしていこうと思っています。自己満足が原点となってしまうのですが、そんな文章を見て、同じようにうまく生きるができなくて苦しかったり、何事もなく生きているように見えて、どこかで生きづらさを感じている人に、「あ、なんとなく分かる気がするな」と思ってもらえたら嬉しいです。

前置きが長くなりましたが、うまく生きるが難しいとはどういうことなのかについて書いていきたいと思います。このように感じるようになったのは高校生の頃からでしょうか。もともと人見知りが異常なまでに激しいこともあって、小さい頃から様々な面で人より劣っているという自覚はありました。それでも周りの人々には恵まれ、目に見えるような攻撃を受けたりはせずに生きてこれていました。それなのに何故自分はこんなにも生きているのが苦しいのか、無意識のうちに生きづらさを感じてしまっているのはなぜなのか、と考えることが増えていきました。

このようなことを独りで考えているうちにたどり着いたのが、「生きていることに意味なんて無い」ということです。この考え方は私の中で確固としたものになっていて、おそらく今後変わることはないだろうと思っています。そしてこの考えは意識する前から私の頭の片隅でくすぶっていたのでしょう。だから、意味なんて無いのになぜ苦しい思いや悲しい思いをして生きていかなければならないのだろう?と考え、それが生きづらさへと繋がっていたのです。

よく、歌の歌詞や本の中で「生きているだけで意味がある」「良いことは生きていなければ起こらない」「死はゴールではない」といった言葉を目にします。でも、いつか地球は寿命を迎えてなくなってしまうわけで、そうなるとこれまで人類が積み重ねてきた文化やあらゆる生き物たちの進化もすべてなかったことになります。それなのに私という人間が生きている意味なんて、あるわけがないんです。

だから、今は「意味なんてなくていい」と思っています。「生きることの無意味さ」が根底にあることに変わりはありませんが、意味がないことに絶望するのではなく、どうせ無意味なら何があっても大丈夫だな。と考えることができるようになり、漠然とした苦しさがだいぶ軽くなりました。

以上が、私を形作っている思想のベースとなるものです。生きることに意味なんてなくていいと言っていますが、時折果てしない絶望感が降ってきます。そんな毎日の心の揺れを、この場を借りて表現していきたいなと思っています。これからどうぞよろしくお願いします!

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