「ちょっと思い出しただけ」を観た

先週の日曜日、「ちょっと思い出しただけ」を観た。

以前の自分だったらとにかく感情移入して泣いていたと思うのに泣かない自分に驚いた。思い出して苦しむ、そのことをやめられたことに気がついて昔の自分が報われたような気がした。強い気持ちで過ごせるようになったこと。

というかどちらかというと、こういう映画を観て、今の彼氏との恋愛の終わりを想像して泣くような自分でなくなって、よかった。少しでもそんなことを考えて感傷に浸ったりしたくなかった。自分は自分なんだ。恋愛に受動で動きたくない。自分以外の他人のことで自分を不幸にしたくなかったのだ。自分の心も体も消耗しちゃうってわかっているから。

そして、冒頭の東京の街をうつしていくところでは、本作と同じく池松壮亮主演の映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」を彷彿とさせた。大学1年の頃に何度も映画館に行って観た映画だ。池松壮亮の出ている映画が好きで高校生の頃から追いかけて観ていたが、しばらく彼の映画を観ておらず、久しぶりに画面の中の池松を観た。「夜空はいつでも〜」では東京の街で行きづらさを感じながらなんとか働き生きている若者だった池松が、「ちょっと思い出しただけ」では周りにもいるような若者になっていて、なんだか感動する。慎二よく生きていたね。池松壮亮の声は相変わらず立派で、しばらく顔を見ていなかった旧友の活躍を見たような気持ちになった。池松壮亮の移ろいをみることができて私は恵まれている…

大学2年の頃、辛くて辛くて、最果タヒの詩ばかりを読んでいた。特に「夜空はいつでも最高密度の青色だ」の詩は何度も、身体に刻むように読み返した。今でもそらでいえるほどだ。自分の価値を誰も分からないのなら、この世界のことを私は自由に否定していい、そういう意味だと解釈している。何度この詩が身体の中にあることで自分を許せたか分からない。あの時の辛かった自分とか頭の中で理屈をこね回していた自分を思い出すのがなんだか疲れるから、「夜空はいつでも最高密度の青色だ」をいつしか観ないようになっていた。慎二に久しぶりに会えたような気がした。今回の作品の池松壮亮は慎二ではないし、そのような見方は望まれないだろうけど、東京の中で生きるてるおを見て、生きづらそうだった慎二が別の形で人生を送っている姿のように見えて何だか安心したのだ。

一緒に見に行った彼氏は最後のシーンで泣いたと言っていた。何を思い出していたのかな、と考える。

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