記憶の縄釣瓶petit: 本の話。

同居人がシラスというサイトで「書棚探訪」というシリーズをやっている。さまざまな人の自宅や仕事場を訪ね書棚を見せてもらい話を聴くというものだ。発想としては30年前によく雑誌で行われていた企画ではある。その中で必ず最後にする質問を彼女は用意していた。「あなたの人生を変えた一冊は?」と「あなたの座右の書は?」というものだ。
彼女は人ん家行ってそんな質問してるのに、同居人の僕にはそんなこと訊いたことがない(そもそも僕は彼女の百分の一も本を読まないのだが)。で、ちょっと考えて本棚から古い本を2冊取り出した。

僕の人生を変えた一冊=『蓮實重彦/映画の神話学/泰流社』
中学から高校時代、週3〜4回は銀座並木座や池袋文芸坐、ときには丸の内ピカデリーや有楽座のリバイバル上映に通い、月に2回キネマ旬報を買い、兄の本棚から話の特集を引っ張り出して読んでいた僕に取って、それらの雑誌の執筆者だった蓮實は竹中労と共にカリスマだった。
上記の本は杉浦康平デザイン、カバーの背には「蓮實重彦による映画の神話学が」とある。そして表1に続き「映画の神話学としてしか読まれえぬことの制度的残酷さを稀薄なる表層体験として虚構化する蓮實重彦の過激なる模倣と反復」と記されている。著者名と書名は僅かに見える0.1ミリの鉤括弧で括られた銀色の装丁。カッコよかった。
その後、蓮實文体は多くの思想系、文芸系の著者が模倣することになり、いまや笑いの対象にさえなるくらいだが、とくに僕が繰り返し何度読んだかわからない記憶があるのはのは、これに続く『シネマの煽動装置/話の特集』の、一冊を通じて句点も改行も一切ない、それは話の特集での連載に句点も改行もないということなのでもあるが、おそらくp33〜39の「ニコラス・レイの『理由なき反抗』の」」あたりから始まると思われる「殺意に満ちた映画館」で演じられた事実の描写で、この蓮實の記憶の記述あたりから、おそらく文体、デザイン、すべてを含めて「本をつくる」ということへの興味を強く感じ始めたのではないかと、今にしては思っている…という感じ。

座右の書=『宮川淳/紙片と眼差のあいだに/叢書エバーヴ』
美しい本。とにかくすべてが美しい。
ロラン・バルトの『明るい部屋』も美しいが、銀色の装丁は前述の『映画の神話学』の模倣とも思われる。
70年代から80年代前半の現代美術は、現代思想と共犯関係にあった。当時美術予備校に通い始めると、講師からも先輩からも友人からも「あれを観ろ」だけでなく、「これを読め」という情報が押し寄せてきた。(もちろん『李禹煥/出会いを求めて』は必読ではあったが)メルロ ポンティやレヴィ ストロース、デリダ、ドゥルーズは言うに及ばず、廣松渉や大森荘蔵なんて名前もあった。シニフィエだのシニフィアンだの、エクリチュールだのディスクールだのとそれまで聞いたこともない言葉が襲いかかってくるなか、僕に取って宮川淳との出会いは大きかった。『引用の織物/筑摩書房』の、引用を連ねて物語(と言ってよければだが)を構築していく知的作業に衝撃を受けた。
本は内容=テキストについて語られることが多い。だがテキストはテキスタイルなのだ。絵画が形と色を持ちながらそれはテキストであるように…。

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