記憶の縄釣瓶petit: 相撲中継の音。

大相撲大阪場所が開催されている。
こどもの頃、夏休みに街を歩いていると、密閉性の低い家々(というよりエアコンなどないから風が抜けるようみんな開け放っていたのだが)から、夏の甲子園中継の音が聞こえてきた。相撲中継の音もそんな外を歩いて聞こえてくる音のひとつだった。
内容に興味がなくてもあの音は好きだった。

当然そのころの僕は「巨人・大鵬・卵焼き」(本当は卵焼きよりカレー)だったので、野球といえば王・長嶋、相撲といえば大鵬、その後登場する北の富士を理由もなく贔屓にしていた。
60代の祖父は相撲が始まるとテレビの前に座り、立ち合いの瞬間に「だぁっ!」と声をあげていた。そんな祖父を半ば軽蔑気味に見ていた子どもが、なぜスタートの合図がないのか「立ち合い」という概念を理解したのは、だいぶ時間が経過し大人になってからのことだ。

さして興味がなくても、北の湖の太々しさ、千代の富士のカッコ良さ、若貴のなんともいえない家族関係、朝青龍と白鵬の緊張感溢れる世代交代は、深く記憶に残っている。そして今も夕方、さほど注視するでもなく流れてくる相撲中継の音が好きだ。
九州の不良と北陸の純情少年、東北のオタクと大阪の跳ねっ返り、そして夢を蓄えた外国人、二代目、三代目が増えたのは政治の世界と共通だがこちらは実力のみがモノをいう。

そんな交々を感じさせてくれる音が、注視していなくても聞こえてくる音、開け放ったところで自由に会話(小津の『東京物語』ラストシーンのように)できる、時間と空間が好きだ。

僕も、あのころ「だぁっ!」と声をあげていた祖父の年齢になった。

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