ちょっと長めの囀り、あるいは食卓の上の小さな混沌(by四方田犬彦氏)。

知人のFacebookにこんな投稿をした。
「銀座のナイルレストランで『混ぜて食べてください、混ぜたほうが美味しいよ』というウェイターや二代目(ときには初代も)の言葉を無視して、ムルギランチを混ぜずに口に入れていた、そんな丼もの文化に侵されたある関東人は(ぼくのことだけど)底意地の悪いインド人から野蛮人と思われていたか。だが鰻丼でも親子丼でもカレーライスでも、混ぜずに口に入れる口中調味の醍醐味に馴染んでしまったら抗うことはできない。ビビンバだって混ぜない。唇と上顎と舌と喉の入口と喉の奥がそれぞれの感性を動員し、ハーモニーを奏でる。焼肉と白ごはんを交互に口に入れるなんていう喜びに至っては、もはや食道調味、胃中調味に近い。でも今度、白いごはんにテッサと鱧と千枚漬けと柴漬けを載せ壬生菜と九条葱を散らして西京汁をぶっかけてぐちゃぐちゃに混ぜて食べてみたい。なんや、ぶぶ漬けやないかい。ホルモン入れてソースかけたろかい、それじゃ維新漬けだ。」
前段階として、関西人の関東に対する心性(ルサンチマン込み)と、それを政治的に具現化した「維新の会」という話もあるのだが、おそらく維新の会は関東で票を得ることはできない。それは東京に数多くあるそば屋において、いまだ「鰊そば」をほとんど見かけないことでわかる。関東人の心性として、関西文化をいかにリスペクトしようとも、受け入れられないものは受け入れられないのだ。
吉本の芸人が東京キー局の番組で大きな地位を占め、ポカリスエットやポッキーがどれだけ売れようとも、関東人の中には(これを認めることは多分に苦々しいことでもあるのだが)関西文化は一地方文化のひとつに過ぎないという、いわば近代ヨーロッパ的感性が根強い。歴史に基づいた中華思想と経済と政治にに根ざした自己肯定意識がぶつかれば、これがもし大陸であれば民族紛争にまで発展しかねない。
だがそれはともかく、関東の人間は関西に憧れを持っている。時を積み重ねてきた文化の香りと自由で突破力を感じさせる気風。タイガース優勝で道頓堀にその身を投じる人の映像を見ながら「バッカだなあ」と思いつつ、お好み焼や串カツやホルモンや大仏や法隆寺や関西フォークを尊敬している。でもやはりそれは歴史と魅力に満ちた一地方文化への憧憬に過ぎない。
ところで大阪のお好み焼きは具をぐちゃぐちゃに混ぜて焼く。練った小麦粉のベースにキャベツと具材を載せ何度か返しながら層のようにして焼く広島風とは対照的だ。もんじゃ焼きもぐちゃぐちゃにするが、こちらは子供のおやつ、お好み焼きは立派な食事(一銭洋食)だ。ときには焼きそばまでご飯と一緒にぐちゃぐちゃに混ぜたりする。自由軒のカレーははじめからご飯とカレーが混ざっている。それをさらに生卵とともにぐちゃぐちゃに混ぜて食す。いっとき東京にチェーン進出を試みたが定着しなかった。
東京人は、そばにつゆ(あれをたれと呼んだ時点で完全な田舎者とぼくも思うが)をどっぷりつけてはいけないとか、江戸前の天ぷらは塩で食べろとか、鰻は白焼に限るとか、寿司はネタにちょっとだけ醤油をつけて食べろとか、とにかくルールを決める。つまり見栄を張りたがる。とりあえず経済、政治のアドバンテージをいまのところ獲得している身としては、見栄を張り続けるしかないのだ。でも大陸から離れた島国のL字に曲がったカドっこの東京も、今や東京生まれではない人たちであふれている。とはいいつつメディアが発達した現代、東京人でない人もルールを守り東京人に成り切ろうとする。関西に住んだからといって関西人に成り切るのはそう簡単ではないが、東京人に成り切るのは情報に頼れば割と簡単だったりもする。
さてカレーを混ぜるか混ぜないか問題だ。「ナイルレストラン」は南インド料理店である。米食文化圏だ。小麦文化の北インドではナンとカレーだからぐちゃぐちゃに混ぜようがない。ヨーロッパも含め小麦文化圏ではパンなどとおかずを交互に口に入れ、口中で、あるいは胃中でブレンドする。イタリア、スペインなど一部米食が普及している国では、リゾットやパエリヤなどは混ぜてから口に入れる。パスタも口に入れる前にはよく混ぜる。となると、米食文化圏で米と具をあまり混ぜずに口に入れるのは大陸の辺境に位置する離れ小島の日本くらいか。ミートソースのパスタもあまり混ぜずに口に入れる人が多い。イタリアではラグーのパスタは皿上でよく混ぜて食すのが基本だ。
握り寿司は口中調味の典型的な例だ。いまや関西人はもちろんのこと大陸の人たちも洋の東西を問わず、米料理の口中調味代表格に舌鼓を打つようになった。だがこの国には卵かけご飯という食事法もある。牛丼店でつゆだくを注文する人もいる。つゆだく注文率を地域別、あるいは出身地別にデータをとったらどうなるのだろうと思う。関西出身のわが家の同居人などは、親子丼でも汁だくを好むが、ぼくはご飯部分に白さが残っているほうがいい。そして親子丼より全体が混然となりにくいカツ丼のほうがいい。納豆もあまりごはんと混ぜずに口中調味する。だからムルギランチも混ぜずに食べる。まあよく考えれば、中国でも東南アジアでも左手に白いごはん、右手でおかずを取って口に入れるという食事法が広く浸透してはいる。結局料理次第、あるいは好みの問題ということにしかならない。‥いつまでも結論に辿りつかないことを書いてしまった。


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