「生きづらさ」を吐露する場としてのnote
noteを始めて2週間が経った。
面白く、惹きつけられる投稿ばかりで、つい夜更かしをして読みふけってしまう。
様々な人(の書いたもの)に出会って思うのは、世の中にはこんなにも『生きづらさ」を抱え込んで生きている人がたくさんいるのだということ。
多くの人が、あわよくば誰かに届いてほしい、と願いながら発信し続けている。「生きづらさ」を吐露しながら、なんとか日々を生きている。
鬱々とした気持ちをつぶやき続けるTwitterを「鬱いったー」などと呼ぶこともあるが、Twitterとはなにかが違う。noteの投稿は、語りかけている。読まれることを意識している。皆、クリエイターなのだ。
中島みゆきの歌に「C.Q.」という作品がある。1991年のアルバム「歌でしか言えない」の1曲目に収録された曲だ。
「C.Q」とはアマチュア無線における呼び掛け信号。「誰でもよいので交信する相手を探しています」という意味合いのようだ。
noteという世界では、毎日数多くの「C.Q.」が発信され、それを誰かが受信している。応答してくれなくてもよい。受け取ってさえくれれば。きっとそれだけで、気持ちは少し、軽くなる。
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