タスク管理と生産性

生産性の定義は難しい。難しいので、簡単なものに飛びつきやすい。わかりやすいのは「早さ」という生産性であろう。例えば1日で10個しかできなかったことが20個できたとする。そのときに生産性は2倍であるといえよう。

さて、その2倍の生産性を得たときに次の日に体調を崩して1日休んだとしよう。さて生産性はどうだろうか。元の1日で10個できた生産性に戻ったか、むしろ体調を崩したことによる見えない部分での悪影響が残って蓄積してマイナスにカウントされるかもしれない。

どこに着目するか、どこに価値を置くのかで評価が分かれてくる。2倍の生産性を得たときを正とし、常に2倍の生産性を生み出すことを求めるのか。それとも体調を崩したことを避けようとするのか。

普段から体が丈夫で多少の無理も効くような人であれば、常に2倍の生産性を生み出すことに価値をおき、2倍の生産性を求めるかもしれない。反対にあまり無理が効かないとわかっている人は、2倍の生産性ではなく健康に価値をおき、体調を崩したことを避けた上で生産性を保とうとするかもしれない。

両者の価値観によりお互いが異なる方向性を持つ。お互いの意見がぶつかることもあるだろう。それもまた一つの問題かもしれないが、より問題となるのは、あまり無理が効かないとわかっているのに、2倍の生産性の価値を求める場合に、行き着く先に待ち受けるのは悲劇かもしれない。価値観の多様性が生産性の多様性を生み出しているようである。

本来この悲劇を避けるのもタスク管理との付き合い方次第である。人がタスク管理をやるときに期待することの中にも「早さ」という生産性が含まれることが多い。しかし、それは特にマーケティングの戦略としてビジネス寄りのタスク管理に付随させている付加価値のように思う。

タスク管理という考えに触れたときにイメージする中にビジネス寄りの余分な付加価値を抜いてみる。文字どおり「タスクを管理する」こと本来の価値。総和としてのタスク管理で「タスクを管理する」こと本来の価値を考えていきたい。


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