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何者かになりたくて、デザイナーを目指した話 02

適応障害発覚後、秒で退職し、専門学校への入学手続きを進めて
あっという間に4月になった。

高校生ぶり、実に15年ぶりの入学式に、オドオドしながら参加したが、
学生の案内係に見事に「保護者席はあちらです」と誘導をされて、
10代のフレッシュな顔には紛れ込めないという現実があった。
(それはそう)

長い在宅勤務により、化粧も最近のスーツの着こなしも忘れていた私は
明らかに10代ではない大人だと判断されたであろう。
垢抜けどころじゃない、垢入りしていたと思う。

でも専門学校に入学してなかったら、
死ぬまで身だしなみや自分の体型に無頓着になっていたかもしれないので、
自分の見た目や、体と向き合うきっかけになったことは大きいメリットになった。

そんなこんなで、入学してみたら
まだ、あどけない顔をした、10代の子たちとクラスメイトになった。
シンプルに若者はキラキラしてて可愛い存在だった。

そして、デザインソフトの使い方を学ぶことから始まり
私のデザイン人生は幕を開けたのである。

授業は基本的に高校を卒業した学生向けへの話がベースになっていたので
社会人から入学した私には、社会のあり方やらマーケティングの基礎やらは
スッと頭に入ってきたと思う。

一方で、年下の友人作りはかなり苦戦し
お昼のワイワイとした明るい教室の雰囲気に耐えかねて
とにかく外出して、イートインができるコンビニを探し回ったり
車で通学してたので、わざわざ駐車場まで戻って昼食を食べたりもした。

やっぱり一人は心細かった。
大学生になって上京したら、友人ができなかったみたいな
よくあるネットの記事を思い出して、思いを馳せたりもした。

一人でご飯を食べることは、
気が楽で全然平気なはずなのに。
学校という環境に戻った途端に、
なんとなく寂しい気持ちが出てきた。

そんな生活を1ヶ月くらいしていたら、
同じ社会人学生のクラスメイトから声をかけてもらえた。
年齢も近く、めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている。

それを皮切りに、会話に飢えていた私の脳が
なんとか生き返ってきた。

10代のクラスメイトの子にも、
ソフトの使い方などを共有したりすることで、
話しかけても大丈夫な大人なんだと認識してもらえたと思う。

そんな中でも、懐かしくも新鮮だったのはLINEでのやりとりだ。

当時の私はLINEで誰かに連絡するとなったら、基本的に家族か、よっぽど用事がないと友人とも連絡を取らなくなっていた。

「今日の先生が言ってたこと意味わからんかったよね?」
みたいなちょっとした愚痴みたいな内容が来た時に

自分が高校生のころ、ちょっとしたことでも、友達とメールを何通も何通も交わしていたことを思い出したのだ。

そして、10代の旬な言葉遣いを身近に感じることができたのも面白かった。

教室までのエレベーター待ちの時間は、そこらじゅうから「それな」と共感する声を聞いた。

私自身も「それな」とかの相槌をもらった時は、聞きなれない相槌でなんか感動した気がする。

03へ続く


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