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りっしんべん(=心)が亡くなると書いて忙しい。

日中、爆速で仕事をしているのはいつも通りです。
爆速にした分の余裕を持たせたいと思っているのですが、自分の中でまだ自動化できてはいないと感じます。

職員研修後、軽く学年打ち合わせ後、
保育園へ子どもを迎えに行く。
帰ってきて、子どもたちにご飯を食べさせる。
妻はPTAでまだ帰ってきていない。

食べている間に洗濯物を出したり、自分が着替えたりしてしまおうと目を離した。(ここが良くなかった。)

リビングへ戻ると、子どもたちはご飯にゴップで水を入れ混ぜ混ぜ😅このくらいならまだしも、テーブルにそれらをぶち撒けてピチャピチャ、キャッキャとやっている。

私はここでプツンとしてしまった。
ものすごーく怒った。「叱った」ではなく「怒った」が適切である。

そしてまだ妻はいないので、子どもたちには逃げ場がない。
そのくらいでやめとけばいいのに、テーブルや床を拭きながら怒りが込み上げてしまう。

子どもたちには、この怒りは長過ぎた。

その後2人には大きな声を出したこと、長い時間怒ってしまったことを詫びて、改めて話をしたが、もはや後の祭りである。

元はと言えばその場から席を外した私が悪い。
思わずカッとしてしまうこともたまにあるが、グチグチと長引かせるのはよくない。いや、最悪である。

これで子どもが言うことを聞くようになってもそれは単なる「順応」であって、「成長」ではない。

忙しいさにかまけてなどいけないのだが、大切な心の軸を見失っていたのかもしれない。

復帰してまだ1週間なのだが、早く生活を標準化、自動化したい。そのための準備をしてきたのになぁ。

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