『野生のしっそう』黄緑で線引いたところ

正気であろうとすることは、自分自身でその場に立ち現れた世界を受け入れながら、自己のあり方を実践的に調律していくことである。

57ページ

「彼は、知らない人がいて不安になると大きな声を出すんだよね。自分の声を聞いて心を落ち着かせる。俺もちいさい頃、そうやっていたことがあるからよくわかるんだよね」
「まあ、本当のところはどうなのかわかんないけど」

67、68ページ

 そう思うと、Kさんにかかわるさまざまなことがつながっていった。

 大事なのは、岩橋の解釈が正しいのかではない。岩橋がKさんとの間にあるズレを自覚しながら、折り合う場所を探ることであり、あるときにした解釈を回転させる、その勇気である。

71、72ページ

 二人がビールを呑みしんみりと話す姿は、そういうことがほとんど実現することがないまま日々が過ぎていくわたしにとって、人と人とが語り合うことの凄みをあらわしているように感じた。

74ページ

わたしたちはむしゃむしゃと食べた。荒々しい味が、生命力を与えてくれるように、わたしには感じられた。

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「除草剤を使ってないといったって、人間が生きていれば生き物の命を奪ってしまう」と、ヤマナシさんはわたしと兄に語った。

84ページ

みかん山を登る途中にいつも目に入る埠頭がずっとそこにあったわけではないこと、そこはヤマナシさんら地元の子どもたちの遊び場で、毎年夏にヤマナシさんは海の子として過ごしていたことを知った。

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わたしが引き受けなければいけない何かを感じ、

90ページ

国境をめぐる緊張感は高まっていた。そのことが、わたしの頭の中にあり、街を歩くときにどこか身構えていた。でもヤマナシさんはいつもの恰好で街を歩き、飯を食い、酒を呑んでいた。いつのまにか、わたしも茶を飲み、酒を呑み、語っていた。
 わたしは歴史に対しても身構えていた。しかし、ヤマナシさんの身のこなしから感じたのは、身構える以前にわたしたちは歴史の中に生きているということだ。

90ページ

祖母は祖父の耳に、彼の名前でを呼びかけた。わたしたちの前で、祖母はずっと「おじいちゃん」や「お父さん」と呼んでいた。下の名前で呼ばれたとき、祖父の心拍は一瞬上昇した。

98ページ

神経多様性(ニューロダイバーシティ)

105ページ

 ヤマナシさんは、そうやって夏みかんを介したかりそめの出会いから、縁を紡いでいく。

111ページ

自分の痕跡ごとそのものを捨ててしまうことだ。

123ページ

 贈与の毒
 贈与は煩わしいものである。
 ありがた迷惑なことは、迷惑なことでもある。

124ページ

この穏やかな共同作業の時間を邪魔しないでくれと思った。

154ページ

そして陽気な顔で、自分よりも長く生きるものとしてのわたしに語りかけてくれた。

157ページ

「おうちかえろう」と呟いた。

169ページ

そこから逸脱もできるが、それは圧力や非難にさらされる危険と裏表である。

176ページ

結局、抱えきれないことがあれば、外に放り出し、敵として断罪する。

187ページ

「お前はこんなところまで旅をしているが、地元に何もないのか」

195ページ

「学校ではローマ字を覚えてからパソコンの打ち方を教えるけれど、順番が逆なんだよね。まず文章を書きたい欲求があれば、自ずとローマ字も覚えてしまう」

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 そんな中で、わたしと長男は、眠る父に導かれて、呑気な身なりで「最前線」の傍らにやってきた。そこは、とても静かな場所だった。束の間、医療従事者と二歳児が、ふれあわない距離でふれあった。
 それこそが、大きな声で叫ばれた「緊急事態」にかき消されることなく、絶対に記憶すべきことのようにわたしは思えた。

210ページ

沈黙を無意味にするのは暴力である。

237ページ

沈黙を意味で満たしてしまうこともまた、暴力である。

240ページ

ある日、スーザンはフライデイと同じように回ってみて気づく。南国育ちのフライデイにとって、ロンドンは寒かった。

241ページ

わたしが感じた苦痛と、兄が感じた苦痛は別のものであるが、どこかでつながっている。つながっているところと、ずれているところと、その両方が重要である。

 それは苦痛だけのことではない。 

243ページ

 兄は父にふれ、また旅立っていった。春先に渡ってきた燕が、かつて暮らした場所で巣作りをはじめたが、それを途中でやめて、また旅立ってしまったように。

255ページ

 ほんとうに重要なのは始点と終点ではない。その途中にあることだ。兄が世界を攪乱しているのではない。兄は〈誰か〉や〈何か〉と世界を構築し続けている。

265ページ

 人類学とは、わたしにとって誰かの歩いた踏み跡をたどる営みである。踏み跡の先にある目的地を見出だすことではない。踏み跡をつけながら歩くその人と経験を重ねながら、その人の世界をかろうじて理解することであり、その人とわたし以外の存在も含めた世界をより嵩張りのあるものとして理解することである。

268ページ

ソルニットは街に迷うことに「官能に満ちた幸福」を見出だす。

277ページ

そういうふうなやり方で、彼は自分の感覚と、ままならない世界を調律しているのかもしれない。

278ページ

それでも兄は、わたしには想像もつかないものを手がかりにして旅に出かけていく。
 そのような勇気を、わたしは持っていない。

279ページ

もはや何が原因なのか特定できないかたちで、世界は揺れる。揺れていく世界に、亡くなった人やものたちの足跡が折々にあらわれる。

289ページ 

チューリンガとは、表面に象徴記号が刻まれた石か木でつくられた楕円形の物体である。持ち主は人のよく通る道から離れた岩陰に隠し、定期的に取り出して、手触りを確かめる。そのたびに磨き、油や色を塗るなど、手入れも怠らない。チューリンガに祈り、呪文を唱える。

289~290ページ

「とるに足らない出来事」の地になるような「社会全体」や「人類の歴史全体」など本当に存在しているのだろうか。

291ページ

少しでも気になったところは線を引く。井上ひさしさんがラジオで話してたかしたのを聞いてから線を引くようになった。その前は、誰も読んでないくらいに扱っていた。
線を引いたとこを見直してたら、自分が気にしてることがまたわかっておもしろかった。


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