女に愛されない人だと思う

1997年12月19日(木)
旧帝国軍人が、目、三角にしちゃって、「女は、細君だろうが、売春婦だろうが全て下等だ。女は下等だ」って連呼していた。

こういう人もいるんだなあ、と思って眺めた。


縄文の土偶と阿弥陀が一緒になったようなもの。


暴風のなか歩いていた。傘はなく、カッパを着ていた。
止まって、荷物を確認した。


恨み骨髄 母は非道かった


2023年11月23日(木)
「細君」
さいくん
まだ十代だったか、「ほそぎみ」って言ったんだ、親しかった人が。
普通に育ってれば、同い年の子に、「『さいくん』だよ」ってごく自然に言って、互いに気まずくもならないで笑えるのかなー?
結局わたしはどうしたんだろう?

母は本が大好きだった。子どものころは近所のお姉さんが貸してくれる少女雑誌を貪欲に読んでいたそうだ。
自分が夢中になって読んでる本のことを人と語り合いたいけど母には相手がいない。母が心置きなくしゃべれる対象は娘だけ。

母は自分が眠れない夜な夜な子どもに話した。それを言っちゃあ、おしまいよ、っていう醜い話が主で、本の話自体は害がなかった。

誰の訳を読んでたんだろう、源氏物語に熱中してたころ、母はそれはそれは熱く学童に語った。
そのときわたしは「わからない」ということばを口にした。疲れて、もう聞きたくなかったんだと思う。
母は、激昂激怒。「恥ずかしい、そんなことも知らないの?!」
「そんなの習ってないもん! ○○ちゃんだって誰だって知らないよ!」
「うるさいっ! 恥ずかしいんだよっ! 誰が知らなくてもおまえが知らないのは恥ずかしいんだよっ!」

ある日、わたしの大好きな叔母さん、母の二人目の妹が「えー、ジョン・ウェインって知らないよ」って照れ笑いしたとき、わたしは緊張で固まった。ジョン・ウェインは言わずと知れたハリウッドの大スターで母が好きな俳優。あの人を知らない人っているのかと驚くと同時に母の反応が恐ろしすぎてわたしは息をのんだ──そして、何も起こらなかった。
それはそうだ、母はちゃんと「誰が知らなくてもおまえが知らないのは」って言ってたし、わたしと「あんたの人間のクズのお父さん」以外の人にはいい人と思われるように母は振る舞っていたから。
しれっとした母の顔をわたしは数秒間は見た。叔母が非道い目に遭わなかったことで、ほっとした反面、なんとも後味が悪かった。

二十年くらい前にもっととんでもないことがあった。
尊敬している人がある生きものを評して「ねいもうだよね」と。
獰猛
どうもう
わたしは固まった。
「ねいもうだよ、ねいもうだよ」と畳み掛けてくる──結局わたしはたぶん、精一杯何気なさそうに目を逸らして、でも、同意も不同意もできなくて変な感じでお茶を濁したのではなかったか?
その人の学歴経歴からいって有り得ない誤読でなければ、わたしもあんなにも気まずくならなかっただろうか。

うちのお母さんやっぱり気違いだったなと思った。

ラジオで、あるアナウンサーがけっこうちょこちょこ変なことを言って、パーソナリティーの大人やリスナーが直していた。その度にアナウンサーは「恥ずかしい!」って言いながら明るい声で笑うのだ。

そのやり取りを聞いて、わたしは自分の負の刷りこみに毎度気づかされた。
仮にわたしがアナウンサーということばを使う職能の人だったら、万死に値する失態と感じて、とても笑えないだろうと思った。
そして、その感覚がどれほど異常なのかはわかって、暗澹とした。
そして、そんな異常な感性を持たなくてよい人生を歩んだであろう人をたぶん泣きたいほど羨ましく感じただろう。そして憎くさえ感じ、だけども明るく笑える健やかさはすてきで、ほほえましく、それが本来の、好ましい望ましい人の在り方だとも感じて、こころが揺さぶられた。

自分の不明で笑い転げるアナウンサーをパーソナリティーの大人は叱りつけたり、ずっと恥だと感じるようにバカにしたり、もちろん罵ったりしなかった。
間違いは訂正され、それだけだった。
それでいい。
恥辱を与える必要なんかない。
恐怖を与える必要なんかない。

辱しめを受けないように、痛い思いをしないようにという動機で多くのことができるようになった人、素晴らしい業績を上げた人はたくさん存在するのかもしれないが、わたしができるようになったことを数えたら片手で足りる。わたしのばあいは害の方が途方もなく大きかった。
ただ、その手も足も出ないような隅に追いこまれたところから見えるものはあるんだと思う。
そして、こんなふうに文字に表すことができるというのは間違いなくありがたく、幸いなことだ。

三、四歳のときにおねしょをしなくなった。
敬愛する中坊公平さんが、中学生のときもおねしょしていたと知ったとき、幼い自分が睡眠中の排泄コントロールに費やしたであろう膨大なエネルギーを思ってひどく悲しくなったが、すぐ、気づいた。五歳でもおねしょがつづいていたら殺されただろう。

食器をきれいに洗える。
このごろはほどほど適当。
もし汚れが残ってるのをあとで発見したら、洗えばいいだけのこと。カリカリして取ってもいい。

洗濯ものをぴしっとたためる。
このごろはほどほど適当。
きっちりしたいときはきっちり、ま、いっか、のときはそれなり。




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